昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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基本は海。

2017.01.24 (Tue)

理想の住処はどこか?

そう聞かれれば、一も二もなく「海」。

海を見ていれば、心が百倍も癒される。

たぶん、一日中でもいられると思う。

ほどほどの田舎で、でも、田舎すぎることはない。

少し歩けば田んぼも畑もある。

でも、自転車で10分も走れば日課の図書館通いができる。

義父の相手をしながら釣りもできる。

排気ガスで悩まされることはない。

チャンスがあれば小さな菜園生活ができるかも。

あと少しで、それが手に入る。

海1

海2

海3


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介護&リゾート

2017.01.18 (Wed)

ようやく住処がきまりました。

詳しくは引越しが終わって少し落ち着いてから

お伝えするとして、

今回は、歩いて約20分の海辺を見てください。

もっともこれは、去年夏の写真です。

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‪雨の御堂筋‬ならぬ・・・

2016.10.09 (Sun)

かつて「田舎の香水はどこへ行った」というエピソード載せたことがある。
「田舎の香水」など、今や知る人はまずいないが、我々より年輩で田舎出身であれば記憶の中にある筈だ。

「田舎の香水」は・・・、そう、ポッタン便所から汲み取る時に発生する芳しい臭いのことである。もちろんそれだけではない。

かつて、田園の広がる田舎では、自前のものや家畜の堆肥で作物を育てていた。その”コヤシ”は一定の期間、野壷(農地の中に施した肥溜)に放置して醗酵させる。そうした後に田畑に撒くのである。

稲の収穫が終わる11月頃から、翌年の農作業が始まる。家畜の糞や人さまが落したモノを、人力で野壷へ運ぶ。そうして翌年の、春の田植えシーズンまで寝かせるのだ。

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大阪ではこの季節になると、この記憶が蘇ってくる。
が、公園や通りに野壷なるものがあるわけではない。

♪♪
銀杏並木は枯れ葉を落し
雨の歩道は淋しく光る・・・と、
欧陽菲菲が歌ったように、「雨の御堂筋」のイメージが壊れるほど銀杏地獄が展開される。





悪夢が蘇る場所

2016.07.31 (Sun)

先日の金曜日から個人の仕事で神戸にいました。

神戸は年に7〜8回は行っていますが、

恐るべき暑さでした。

暑さ好きのボクも、さすがに参りましたよ。


仕事の合間に湾岸の震災跡地に行ってきました。

ここへ来ると、あの生々しい21年前が蘇ります。

1995年1月17日午前5時46分。

淡路島から神戸市にかけての震源とするM7.3の地震が

家族も友人も家も仕事も生活も、根こそぎ奪ったわけです。

ボクは当時、たまたま地方で仕事をしていて

直接、震災には遭遇してなかったんですが、

友人知人の中には、家族を目の前で亡くした人もいました。

ボクのように直接被災しなかったり、

遠くでテレビを観るしかなかった人は、時が経てばどうしても

こういう悲惨な災害は忘れてしまいます。

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5年前の東日本大震災も然り、です。

この前の熊本地震だってそうです。

日々、平々凡々とお決まりの仕事をし、恋愛をし、ポケモンを探し歩く。

そうしていつか、すぐ近くで地獄があったことさえ忘れてしまう。

それが一番恐ろしいのです。

ボク自身も、どんどん記憶が薄れていっています。しかし、



ここへ来ると、否が応でも21年前に引き戻してくれます。

自然のパワーは、人のチカラではどうすることもできない。

人が何万人集まろうが、

このエネルギーに、到底勝つことはできないのです。

仕事先でいくら威張り倒しても、その実、大したことはしていない。

目が飛び出るほどお金を稼いでも、

核兵器を何千発も持っていても、南シナ海を奪っても

仮に東シナ海や竹島を奪ったとしても、

この自然を前にしたら、目に見えない、ただの塵でしかない。

この場所を見ると、総てが小さく見えてしまうのです。


64「ロクヨン」

2016.06.18 (Sat)

改めて言うことはないが、「64」は「ロクヨン」と言う。
映画(前編・後編)を観終えた今、思うに、やはり原作がいいと思う。もちろん映画も良かった。実力派揃いのキャストで厚みのある作品であったことは言うまでもない。しかし、原作を映像にすると、どうしても違いが出てくる。当然だけど。

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原作では主人公の三上(警察の報道官)が、刑事課とマスコミとの狭間で苦悶する部分が、延々と綴られている。が、映像では説明する必要はない。それだけに、三上たちの苦悶する心の中をどれだけ伝えられるかが、役者の演技力にかかってくるのだ。

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原作がある映画を観ていつも思うのだが、映画化するとどうしても割愛する場面が多くなってしまう。2時間半(今回は前編・後編の約5時間だが)で完結しなくてはならないのだから仕方がないが。やはりボクは原作の方がいいと思う。

と言うのは、文字を追っていくと自然に、場面場面を頭の中で描き(空想)、登場する人物の心の中の動きを、鏡のように見てしまう。そこが面白いのだろう。場面も心の中も読者それぞれ違ったものになる。そこを想像してみるのもまた楽しいものだ。

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「64」は、昭和64年のことだが、昭和64年は同時に平成元年でもある。そしてこの原作は、実は実際にあった事件をモデルにしているといわれる。

原作者・横山秀夫氏は地方新聞の記者であった。昭和62年、幼児誘拐殺人事件が起きた。身代金誘拐である。しかしこの事件で身代金は見事に奪われ、直後に幼児の死体が上がった。初動捜査のミスと逆探知のチャンスを逃すというお粗末な事例であった。

「64」は、当時、記者として事件を追っていた横山氏の、ある意味、汚点でもあったのだろうか。昭和62年に起こった、あの未解決事件を忘れてはならないとの思いで、元号が変わる64年(平成元年)をタイトルに用いたのだろう。

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暑さは元気の素

2016.05.22 (Sun)

この間の寝不足が原因で、多少の体調不良が続いていました。

でも、昨日今日の天気で復活。

寒いのは勘弁して欲しいけど、暑いのはいい。

なんかワクワクしてくる。

で、そろそろ靭公園のバラがいい頃かなと思い、出かけました。

ドーム沿いの遊歩道から木津川沿いを歩き、延々遠周りして靭公園へ。

でも、ちと遅かった。

バラはとうに盛りを越えて、もうだいぶ終わりかけていた。

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1年振りの貫徹でダウン

2016.05.19 (Thu)

いやはや、迂闊でした。

貫徹などする歳ではないのに、ついうっかりと。

あれだけ徹夜しても大丈夫だったのだから、

まあ、大したことはないだろうと高を括ってしまいました。


一昨日の夜、あるクライアントから受けた仕事を

翌日8時までに届けなければいけなくなって、

つい「了解」してしまったのです。

予定通り昨日の朝6時過ぎに仕上げ、8時前に納品。

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朝6時の景色を見るのはいつ以来だったか?

出社するまでの1時間、仮眠しようとしたんですが、

如何せん興奮していて、眠れるわけがない。

ヨメのいない(実家でオヤジの世話中)リビングで

出社の準備をしていたら、頭がグルグル、意識朦朧。

立ち上がる気力もなく、ヘロヘロで会社へ欠勤の電話。

電話した途端、意識喪失。

そのまま午後4時まで爆睡しました。

『もう絶対、貫徹はせんぞ!』

きぬかけの路散策

2016.04.03 (Sun)

今回の花見は、友人のお薦めコースを散策することにした。
京都の嵯峨嵐山から、山沿いを東へ歩くコースだ。

JR嵯峨嵐山を北へ。
県道29号まで来るとのどかな田園地帯だ。
空気も美味しい。
遠くにそして近景に、心地良い桜の香りに、多少むせながら、
ひたすら東へ。

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外国からの旅行客、旅好き花見好きの老若男女とすれ違う。
広沢池は初めてだ。想像より小さく感じた。
池の周囲の桜は、他と多少遅いようだ。

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池の対岸に草葺き屋根の建物が見えた。
入口まで来ると「平安郷」春の一般公開と看板。
外人の多いこと。案内係まで外人だった。

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「平安郷」の前の「岡田茂吉記念館」と「藤右衛門邸」の
年代物の枝垂れ桜の見事さには瞠目した。

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暫し見とれて次の目的地へ。
山越峠越えた辺りから道幅が狭くなり、所々歩道がなくなる。
歩けど歩けど町並みの切れ目がない。

気づかない内に「きぬかけの路」に入っていた。
しかし、町並みは続く。
仁和寺を過ぎ、龍安寺を過ぎても、風景に変わりはなし。

とりあえず金閣寺まで行った時、ヨメが一言。
『もう疲れたよ。帰ろ!』

スマホでは、15000歩を超えていた。


グリル『ピエロ』

2016.02.27 (Sat)

暫くぶりに帰ってきたヨメと、

うん十年振りに、グリル『ピエロ』に行きました。

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25年振り・・・、30年は経ってないと思うけど、

『ピエロ』は食通ではよく知られた店。

ドンとしたボリュームのハンバーグとニラとモヤシの炒め、

それにフライドポテトが乗っている。

味は、昔から変わっていない。

ハンバーグの生地にレーズン、上にチーズ。

オヤジもおばちゃんも、ちょっと年とったけど、

昔からあんな感じの印象で残っている。


また行こ!



ボヤキ

2016.02.21 (Sun)

なんと、日本には100才以上の高齢者が6万人いるらしい(2月11日ニュース)。医療技術が優れた日本故、何ら不思議ではない。だが驚くことに、100才過ぎてもまだ現役でバリバリやっている人が大勢いるという。もちろん、そうではない人の方が圧倒的に多数ではあるが。

連日のように、高齢者や家庭内での嫌なニュースは、聴く度に憂鬱になってしまうが、それを考えると、我が家など幸せな方だろう。

以前にも言ったように、我が家には90才超えが3人いる。義母(ヨメの母親)は残念ながら3年前に他界したが、義父もボクの両親も健在だ。

ボクの両親は、さすがに足腰が不自由になってしまったが、今のところ大病を患うこともなく元気だ。しかし、そろそろ心の準備くらいは必要だと考えている。

還暦の頃から10数年間、マラソンをやっていた義父は、義母他界後から少々ボケ始めているが、身体は頑丈にできているらしい。

ただ、心配は尽きない。
腐ったものを食べていないか。ビールを冷凍庫に入れていないか。オレオレ詐欺に引っかかっていないかなど、気が気ではない。

ということで、ヨメは毎月のように片道4時間かかる実家を往復しているし、大阪にいる時は、毎日電話をして様子を確かめている。

今や社会問題となっている「核家族」という言葉は、我々が社会人になった頃はまだなかったと記憶している。子どもは独立して家を出ていくものと、その頃、どの親も我が子のためにと考えていた。

息子や娘は卒業すると家を出て、夢を求めて都会へいく。残った親たちは、たまに帰ってくる子どもたちを楽しみにしている。しかし、都会で家族をもった子どもたちは、親が年老いても帰ることはない。

高齢化、独居、そして認知症や孤独死と、頼る人さえいなく、やがてその村が限界を迎える。こんな自治の存在しない自治体が日本中に広がっているのだ。

6万人の100才。−−−日本は平和で健康だと、一見、勘違いしそうだが、現実は全く違う。
彼らの子どもたちの殆どは、既に現役を終えた世代だ。例えば、歩けなくなった親を支えるため、子どもは収入の道を探さねばならない。

しかし年齢制限と年金問題に、生活の道は塞がれる。行き着く先は悲しい出来事だ。政治家は大企業のための政治はしても、末端のことのための政治はやらない。自分の生活は自分で考えるしかないのだ。

世の中は今、株や為替の動揺で慌ただしい。三本の矢どころか、一本の矢さえ折れてしまった。相変わらずの不景気。盗賊周辺国の横暴、テロや難民。世界がオカシな方へ向かっていることは、誰でも解っている。

なのに「対岸の火事」を貪っている。政治や世界の情勢など全く無関心だ。話題にさえ上らない。こんな脳天気な日本人だから、政治屋に嘗められる。強請たかり紛いの口利き、政治献金と勘違い男の不倫問題と、予算委員会は安っぽい三面記事と化している。

野党は攻め手なく、スキャンダル探しに終始している。右傾化してしまった与党は横暴極まりない。世界の笑い者だ。

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『こいつら、血税を何と思っとるんや』

『・・・・・・・・』

『若者や高齢者が、普通の暮らせる時代がくるんか』

『来ない! 天下り奨励政権だからな』

『天下りがなくなったら、何兆円もの金がそっちへ持って行けるのにな』

『そないなことはしないな、自民党は』

『自民党を推したんは国民やで』

『国民は「天下り反対!」とか『格差社会云々』とか言ってるけど、結局、自民党を推してるやんか』

『国民がアホ言うことか』

『国民は、自民党の正体がわかってへんのや』

『野党はもっとアホやさかい、政治できへんしな』

『対抗する政党を育ててこなかった、国民の責任は大きいと言うことかな』

『まあ、そういうことやな』

『夏に参院選があるけど、景気後退と最近のスキャンダルで旗色が悪くなったのか、いつものバラマキ始めたしな』

『一億総活躍なんたらという、一見、国民のためのような妙な政策を始めたみたいやけど、単なるパフォーマンスなんやろな』

『猫キャラが流行るくらいだから、きっと平和なんやろ』

『平和なんかやない、平和ボケなんや』



今年初めての雪

2016.01.20 (Wed)

よく考えたら、高校時代まで山の中で暮らしていて、

3メートル越す雪など、珍しくなかったのに、

殆ど降ることがない大阪暮らしが長いせいで

ナマクラな身体になってしまったようだ。

九州育ちのヨメもそうだが、数センチの雪を見ただけで

「大雪や!」と、思わず叫んでしまう自分が恥ずかしい。



今日は、お仕事で京都へ行きました。

誰かの小説ではないが、

出町柳を出ると、外は大雪だった。な〜んてね。

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重たそうなボタン雪は視界を遮り、

静かに通りを埋めていました。

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5センチ位だったか、こんなもんは大雪などとは言わない。

けど、大阪人としては確かに珍しいのだよ、今となっては。

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更に、よくよく思い出したら、

子どもの頃、ひょっとして何度か凍死していたのではないかと。

今思えば、だけど。


生野義挙志士殉難153年

2016.01.11 (Mon)

「生野義挙」から153年。

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この事件は福岡藩脱藩・平野国臣、河上弥市(南八郎)、長州藩脱藩・美玉三平、薩摩藩脱藩・沢宣嘉ら、外来の多数の尊王攘夷志士30~40名が主導したもので、出石藩・多田弥太郎ら地元の志士も参加した。

一方、地元の豪農・北垣晋太郎、養父郡大蔵村・中島太郎兵衛、朝来郡佐中村・原六郎、竹田町・太田六右衛門らも、日本海を通る外国船に危機を覚え、早くから海防のための「農兵組織」を唱えていた。

西園寺公望揮毫建設
(西園寺公望揮毫建設)

正義十七士之神霊
(正義十七士之神霊)

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(13人の志士たちは、この岩の上で次々と自刃した)

1863年10月12日未明、無血で生野代官所を占拠した志士や豪農らは、ここに本陣を定め、参集した2000~3000人の農民兵とともに倒幕の狼煙をあげ京へ進軍するつもりであったが、近隣藩(出石藩、姫路藩、豊岡藩)の出動の報など、形勢不利となって決起か自重かで軍議が別れ、13日夜には結局、本陣解散となった。

13日夜半から14日早朝にかけて、総帥の沢宣嘉や志士、豪農らの逃亡が始まり、事態を知った農民兵は藩兵の取り調べや村へのお咎めを恐れ、騙されたと、残った志士や逃走中の志士たちに襲いかかり、妙見山に立て籠もった13人の浪士が自刃するなど、10月14日には完全に破陣。わずか3日間の挙兵だった。

破陣後、志士の逃亡、討死、捕縛、殺害、斬首などが相次ぎ、惨憺たる顛末。各藩の追っ手を逃れ、長州や因州(鳥取)に落ち延びたものも数名いたが、ほとんどは無残な死を遂げ、捕縛された義徒8名も、1864年1月、京都の六角獄舎につながれ、禁門の変の際、斬首された。

しかし一部は逃亡に成功し、明治以降まで生き延びて、活躍した者もいた。志士たちの過半は無念の最後だったが、地元の豪農や農民兵指導者の多くは逃亡・潜伏し、維新後、地元に戻って活躍した者も多かったようだ。中には、北垣晋太郎や原六郎のように、その後も討幕運動に果敢に参加し、中央に出て大偉人となった人物もいた。

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(筑前・平野国臣の詩)

生野の騒動はその後、百姓たちの矛先が庄屋の方に向かって暴動化し、梁瀬(現山東町)辺りでは打ちこわしなどが多発したが、生野の町中は日増しに落ち着きを取り戻し、10月19日には避難した代官婦人は代官所に戻り、23日には倉敷に出張中だった代官・川上猪太郎も帰町した。

しかしその後世の中は、薩長連合の成立をきっかけに討幕運動が加速し、4年後の1867年10月には「大政奉還」が成り、明治元年・1868年1月には戊辰戦争が始まるなど、時代が激動する中、生野の町も但馬も否応なく時代の渦に巻き込まれていった。

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明けましておめでとう!

2016.01.01 (Fri)

明けましておめでとうございます

新しい年がやってまいりました。

我々くらいになると、良いのか悪いのか、

何故に「おめでとう」なのか分かりませんがね。

今年もまた、年寄りの顔を見に帰りました。

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が、悪い予感は当たりました。

降りなければならない駅を寝過ごしてしまい、

2つ先の竹田までいってしまいました。

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(竹田駅のホームから見上げる)

竹田は、そう、雲海で超有名な天空の城・竹田城が

目の前にあります。

このお城は何度も上ったのですが、あいにく

雲海を見たことはありません。



我が家は例年に珍しく、暖かい正月でした。

ですが、朝晩はこの通り、パキパキの霜が降ります。

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(近所の田んぼ)

摂氏3℃。

霜を踏む度に、パリパリと音がする。

耳が切れそうな朝も、8時を過ぎれば

暖かい日差しが山を覆い、靄が流れます。



大阪の明日はどうなる?

2015.11.22 (Sun)

今日は大阪の浮沈に関わるW選の投開票日である。ここで非常に気になるのが、若年層の投票率である。5月の「都構想」の住民投票では、20〜40才台の投票率が30%に届かなかった。

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一方、65%以上という高投票率があったのが60才以上のシルバー層であった。結果的に、当初の予想に反して反都構想側に軍配が上がったカタチだ。

投票後の調査で、何故維新側が敗北したのか、理由がはっきりした。若年層の受け取り方と考え、いわゆる年寄りのそれと、全く違っていたということだ。

つまり、当時、非維新が掲げていたのは『暴言を吐く橋下を許すな』、『橋下維新は大阪をダメにした』、『大阪から維新を追い出そう』などなど、維新が明確な行政方針を示している一方で、あまりにも稚拙な「維新排除」というシュプレヒコールで擦り込まれ、その熱風に年寄りたちは騙され、煽られてしまった。

裏を返せば、若年層の投票率があまりにも低かったので、維新の掲げる「都構想で二重行政に終止符」が敗北してしまったのである。

今回のW選は、あの時の総決算になるのか、それとも再び維新の敗北で、暗黒の大阪に戻るかの分かれ目の日である。

全く個人的な問題だが、近い将来、大阪を離れるボクにとって、大阪の未来がどうなろうと、もはやどうでもよいと、当初は考えていたが、どうやらそう言ってはいられないようだ。

というのは、大阪に古くから蔓延る二重行政は、何も大阪だけに限ったことではなく、日本全国に巣食っているからである。「二重行政は悪」というのは、今や国民共通の認識である。
言うなら、橋下代表率いるおおさか維新がここ数年の間に、意識改革したその賜物と言っていい。

何故ここまで大阪が借金地獄に陥ったのか。何故これほど日本は、1000兆円超える借金を作ってしまったのか。
それはつまり、国民を無視した公務員制度が旧態然として温存され、後進国並みの意識の低さからなるものと言える。

「公務員は国を司る国家機関の組織であり、国民はそれに従わねばならない」という考えは、半世紀も前に終わっている。
(公務員総てが悪いのではなく、制度が悪だと言っている)

一般の家庭の平均月収が30〜40万の時代に、公務員は、何と70〜80万。この格差を年寄りたちはどう見るか。

一旦上げられた月給を下げられるというのは、とても納得できるものではない。これは身をもって体験したからよく分かる。

収益のある企業、能力のある働き手の収入が多いのは、資本主義の常であり、これには全く意義無しである。

しかし、一般人と公務員の格差がこれでは、納得の範囲を遥かに超えるだけでなく、退職金制度、天下り制度、公務員年金に守られもしている。

(疲れてきた、つづきは後で)

大阪W選挙の喜劇。

2015.11.21 (Sat)

『これは、おかしいんちゃうか?』

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今朝の、朝日新聞の全7段だ。
阿部首相のドアップ写真の隅に、今回知事選の候補者・栗原某の写真が小さく載っていた。某候補のバックアップでの選挙広告である。

おおさか維新 VS 反維新の対立構図となっている、今回のW選挙そのものが、安っぽいコントか喜劇と言うしかない状態である。
では、何故喜劇なのか?である。

これを言うには中央政治論から始めなくてはならないので、ちょっとややこしい。
それぞれの党の、くだらない思惑はともかく、分かりやすく端折って言うなら、自民 VS 民主 VS 共産 VS 維新(分裂前の)である。

中央では「安保法案」と「改憲」が、以後の大きなテーマとなっていて、両方を進めようとしていた自民党に対して、何が何でも阻止しようとする勢力が、共産、民主と中心とした野党であった。

対して、維新側は当初、橋下代表とする大阪系は「安保法案」「改憲」に、一定の理解と必要性を表明し、安倍首相&菅氏共闘表明をしたカタチだ。一見、これが内紛のような印象を受けるが、実はそれだけではない。

もともとこの内紛は、柿沢幹事長が山形市長選に関し、党としての対応が決まっていない段階で、民主党などが推す立候補予定者の応援演説を行ったことに端を発した。

当然、大阪系議員の柿沢幹事長に対する辞任を求める声、松野代表の庇う姿勢に、松井知事が猛反発し分裂した。これがきっかけで、W選挙まで延焼する火種となってしまった、と言うのが本ネタである。

さて、明日投開票される大阪W選挙の対立構図のことである。
おおさか維新の立ち位置としては、府、市の二重行政をなくすこと。それをするには都構想を実現するしかない。このことである。
http://matome.naver.jp/odai/2143081063162066101 参照)

おおさか維新は、反維新のように単なる「理由なき反攻」ではなく、一貫して「大阪のため」だけを考えているというのが分かってきた。

反維新は反攻の理由として「市がなくなれば、大阪が大阪でなくなる」、「都になれば、大阪府民は大きな負担を抱える」という。あり得ない。これで府民を騙せると思っている。全く論筋になっていない。

大阪は今、借金地獄である。一歩間違えば夕張市と後を追うことになる。この不名誉な負の遺産を作ったのは、言うまでもなく、現在、反維新側が積み上げたものである。このことを府民、市民は忘れているのだ。

たった10cmの高さを争うために2000億円近い税金を遣い(WTC、りんくうゲートタワー)、そのいずれも破綻してしまった。
(以下はHPにて http://matome.naver.jp/odai/2142892293318388201
つまり、二重行政が生んだ膨大な借金だ。

あるシルバーサークルのメンバーの話しによると、「とにかく橋下が嫌いだから」、「敬老パスサービスが低下するから」が理由だそうだ。笑ってしまう。年はとりたくないものだ思ってしまう。

明日、夕張のように財政破綻するかも知れないという時に、「嫌い」だとか「減る」だとか、自分のとこしか考えていない。情けない。

少子化が進行する中、これから年金生活に入っていく世代の、バックアップ役になる若い世代の未来、子育て世代のこれからのことを考えず、「敬老パス云々」だと。

話しを本題に戻す。
朝刊を見た時の違和感である。橋下維新との共闘意志を見せていた安倍首相が、何故に、反某維新の2ショットなのか?である。自民党なのだから、何の問題もないのだが、共産党や民主党と協力関係にある「某」とが違和感になるのだ。

共産党や民主党が自民党と協力関係にあること事態、驚愕すべきことなのに、大阪弁で言うなら、『ワケ分からん!』だ。

そして、知る人ぞ知る反維新の末路とは、おおさか維新を追放して、再び「既得権益」を手にし、大阪を夕張のような負債を市民の背負わせること。


東京でお仕事

2015.10.21 (Wed)

半年振り、東京での仕事です。

天気がメチャクチャ良くて、暖かくて、

気を抜いたら居眠りしそうな状態でした。

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昼ちょっと過ぎに到着。

東京での食事はちょっと塩辛くて、いい思い出がない。

それで一気に、目指す四ッ谷に行き、吉牛へ。

吉牛は全国共通なので迷うことがない。

打ち合わせと取材が午後3時半までかかり、

4時半過ぎの便で帰阪。

途中、夕暮れの富士山が美しかった。

日本の象徴であるこの美しい山が、実は活火山だとは。

オレたちが小学生の時は、確か休火山などと教わったが。





歩き過ぎの反動。

2015.09.28 (Mon)

先週からヨメが実家に帰っている。

それで土曜日は午前中掃除して、布団を干し、洗濯と買い物。

昔からのクセで、掃除となると徹底的にするので、

さすがに疲れてしまう。

てきめん、午後は昼寝してしまうことに。

翌日(日曜日)、きのうの昼寝を取り戻すかのように

歩きまくった。たぶん、15km以上は歩いたと思う。

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ひとりで夕飯を食べて、中秋の名月を写真に

おさめていた辺りから、体調がおかしくなった。

風呂に入れば良くなると思ったが、余計に

だるくなった。

会社の同僚が風邪でダウンして早退したのを思い出す。

でも、風邪ではない。

身体がだるく、歩くとふらつく。

今朝も調子がすこぶる悪いので、一日休むことにした。

平日、通勤する以外は運動らしい運動をしていない

その怠惰な生活と、急にハードに動いたのが原因か。

3日徹夜しても平気。毎週ハードな運動しても

月曜日には普通に仕事していた10年前が

遥か遠い昔のような気がする。







箱モノの遺産_その3

2015.09.06 (Sun)

こういう内容は、このブログの趣旨に反するので

ほんまは面白くないが、報告せずにはいられない。

この箱モノ、実際は「その3」程度で終わる筈もない。

アホらしくて、吐き気を催すほどだ。


幹線道路の「多々良木のダム入口」からダム現地まで

どれほどの計画が、当時あったのか、今となっては測れない。

しかし道路沿いに未だに残る残骸を見るに、

呆れずにはいられない。

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入口を入ったすぐの所にある食堂。

見る限り営業しているのかと思って覗いたが、

その気配がまったくなかった。

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この建物の入口に「喫茶・◯◯」とあったが、

奥を見ると2階は物置、1階にはタマネギが吊るされていた。

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これなどはまだ使えそうできれいである。

エントランスには「SAKAGUCHI」とプレートがある。

ログハウス風に建てられたそれは、相応のお金をかけて

作ったのだろうが、如何せん人通りが殆どない、

夢のまた夢となって消えた残骸だ。

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ギャラリーや教室、集会所などでと建てられ、

ちょっとしたイベントでもと考えられたという。

果たしてここに、どれほどの人が呼べるのか

真剣に考えたと思えない、そんな無様な姿である。

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「その2」で載せ忘れたが、美術館のすぐ近くにあるオブジェ。

何もオブジェを置くなとは言っていない。

問題なのは、自然環境を害していないかと言うことだ。

名だたる作家かも知れない。が、どうせ分からないだろうとか、

金を出すのは「お前ではない!」と横柄な声が聞こえる。

「オレたちの金ではなかったら、一体誰の金なのだ」

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しかも、未だにまだ、こんな計画をしている。

犬が道端でするマーキングと、どこが違うというのだ。


箱モノの遺産_その2

2015.09.02 (Wed)

さて、「箱モノ」の第2弾です。

多々良木のダムは、道の駅のすぐ隣りが入口になっている。

「河川公園入口」と同じような標識が見える。

そこからは平坦な道をただひたすら。表示では2.5kmとあるが、

暑さのせいもあって、もっとありそうな気がする。

ダムに通ずる川沿いの一本道は、車はほとんどない。

汗をかきかき、アタリをキョロキョロしながら歩いていると、

異様なオブジェがいきなり目に入る。

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道中には、ダム見学者を目論んで食堂や喫茶店があるが、

その総て(たぶん)が閉店。

見たくないものを後にしながら、ダムの見えるところまで来る。

ダムと周辺施設の案内看板が見える。

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何とか館とか何とかの家というのは、どこにでもある。

でも、このほとんどは機能不全状態だ。

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この看板のすぐ隣りにあった「ギャラリー」は大昔に閉館。

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ギャラリーの角を回ると、「あさご芸術の森・美術館」と

その後方に「多々良木のダム」が見える。

さすがにここまで来ると、手入れがされてあるのが分かる。

ダムは石造りの小さいものである。

このダムを造るにあたり、周辺の町には多くの補助金が出た。

下流にはダム御殿が建ち並び、今や無人となった建物も多い。


美術館周辺に、これも観光客を目論んでの色んな施設がある。

このほとんどが、言うまでもなく機能不全か閉館している。

少し離れた所にせせらぎの見える小道がある。

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この辺りの川辺に、何組かの家族連れがキャンプをしていた。

美術館だから周辺に彫刻が置かれていても不思議ではない。

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他にもたくさんあるが、これなどは結構気に入っている。

が、

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何だ!これは? と言いたくなるオブジェもある。



(箱モノの遺産_その3)につづく


箱モノの遺産_その1

2015.09.01 (Tue)

お盆帰省のネタが、ネット不良のために今になりました。

さて、暑っつ〜い大阪から実家へ帰ってみると、

既に秋の様相でした。

昼間はましですが、朝晩はトレーナーが要ります。

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東の空は見事なウロコ雲。寒〜〜〜い!

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年寄りの話し相手以外に、まったくすることがないのです。

それで、老夫婦の昼寝の間にちょっと遠出しました。

帰省の時は必ず寄る「道の駅・あさご」から、多々良木のダムまで。

「道の駅・あさご」まで、家から約2.5km。

そこから多々良木のダムまで、更に2.5km。

これを往復したわけです。

高々10kmですが、昼間の暑さは堪えました。



話しは変わり、大阪は今、大阪維新の党の党結成が話題です。

都構想の「二重行政にメス!」の延長線ということで、

にわかに慌ただしくなってきました。

「都構想」はともかく、「二重行政にメス!」は

是非やってもらいたいものです。

今のままだと、いずれまた税金垂れ流しの再現ですから。


ここでもそうです。いや、でした。

今回、長い距離を自分の足で歩いてみて、

いわゆるバブル景気に浮かれていた時代の残骸が、

こんな小っこい町にも仰山ありました。

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この「道の駅・あさご」は、どこにでもあるし、

敢えて箱モノと言いにくいですか、やり方に無能さが見える。

写真の左側だけが、わずかに機能していて、

イベント広場や何とか教室などはクモの巣がはっています。

お土産コーナーは地産のものは殆どなし。

野菜コーナーこそはと産地表示を見れば、

北は北海道(北見)から南は宮崎産がほぼ8割を占める。

「道の駅」の基本は「産地モノ」だと聞いたが、ウソだったとは。


驚くのは「道の駅」ではない。

その向かいには何と、「千と千尋」を思わせる

テーマパークへの入口があった。

「河川公園入口」とある、が、鬱蒼とした森に埋もれ

誰も入らない、気がつくものもいない。

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僕も、これには初めて気がついた。

試しに潜ってみた。

無駄に多い植栽の隙間に、護岸工事の川が覗く。

10秒とかからない、のっぺらぼうの川までにどれだけの

コンクリートの階段があることか。

もちろん手入れされていないから、苔や雑草に覆われている。

「河川公園入口」のすぐ横に、面白い(皮肉)ものがあった。

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敢えてこれについて述べるのには、ちょっと恥ずかしい。

まず、何のつもりで建てたのか、建てたヤツらに聞いてみたい。

今にも落下しそうな風車(?)の羽。

中はもぬけの空、いや、クモの巣でよく見えない。



多々良木のダムは1970年に着工して、74年に竣工している。

このダム建設時にばら撒かれた行政(税金)からの補助金で、

確かに朝来市は相当潤ったと聞く。バブル経済が始まる直前だ。

世の中右肩上がりの時代に、バカな輩が大判振る舞いした

その恥知らずな姿が、町を汚している。


(_その2は「多々良木のダム」)

2つ、ようやく!

2015.08.29 (Sat)

これ以上苦手なものはないというメカ。

PCのネット切断が長らく続き、ようやく復旧しました。

えっ、誰が? って、自分でやったんです。

まさか?

そのまさかです。

ともかく見てください。

旧型

これはちょっと古い目のAccton(HUB)。

ひょっとして10年、・・・もっと前かな?

何にしても憶えがないくらい前の代物。

これが突然、全ランプ同時点滅し始めた。

ある人は滅多に壊れるモノではないと言うし、

またある人は結構壊れやすいと言う人も。

まっ、いい加減なのだが、今となってはどうでもいいようで。


今日、Y電器に行ってきました。

Acctonの時と同じ1000MのBUFFALO。

やれやれ、こういうのもうこりごりやね。

新型

こりごりと言えば、マンションの改修工事がようやく終わった。

ほらこの通り、スッカーンと見通しが良くなりました。

ついに

すっかり片付いたベランダに、少しずつ鉢を並べたりして、

でも、実の着かない八朔とレモン以外は全滅しました。

オーシャンブルーは、近くでパクってきて水耕。

さてっ、まだまだ残暑の季節。

これからどうするかな?

茜色

足場が取り払われ、目の前が明るくなって初めて気付いた。

改修前は気づきもしなかった向かいのマンションが、

あっという間に・・・

神戸の夜景が見事!

2015.07.25 (Sat)

またまた神戸に行ってきました。

毎回のように屋内で黙々と仕事し、

支給された弁当をせっせと掻き込み、現場に出ていく。

そんな繰り返しであったが、今回はちょっと志向を変えた。

いつも見る神戸港をすぐ近くで見るのはもう飽きた。

で、待ち時間を利用してカメラマンと布引の風の丘へ。

神戸港の夜景は、それはそれは本当に見事。

神戸湾

暫し見とれてしまった。

ストレスを忘れさせてくれる瞬間であった。

725

30年振りの奈良・今井町

2015.07.20 (Mon)

1年ほど前からスケッチに目覚めたヨメのたっての希望で、

約30年前に行った、橿原神宮の今井町に。

当時、町の文化財としての保存はしていなかった。

崩れかけた神社や現代と過去が複雑に入り交じり

道が狭く、一度迷ったら出てこられなくなるほどだった。

だが絵としては、別の意味で魅力たっぷりだったと思う。

そんな印象が強く、今回も期待していたが、

随分変わってしまった。

町はものすごくきれいになって、

どこかよそよそしい雰囲気があり、しかも人の臭いが薄いのだ。

P1090413

町家を保存するというのは難しい。

特に文化財ともなれば、自分で勝手に改修できないし

自分の意思と関係なく、快適な筈の生活ができなくなる。

アルミサッシは不可。エアコン設置にも許可が要る。

洗濯物が見えない位置に干さねばならない。

保存地区になれば、そんな「縛り」ができる。

30年前に、ふと寄った醬油屋さんがあった。

町家の殆どがそうであるように、間口が狭く奥行きがある。

一歩入れば奥からすーっと涼しい風が。

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(「となりの人間国宝」のステッカーが貼ってある)

この町の人たちのことは知らないが、

全員が足並み揃えて同じ方向へ進むとは限らない。

特に、古くから住んでいる人にとっては

長年暮らしてきた生活サイクルを崩されるかも知れないわけで、

でも、文化財ともなれば維持費用が少しは助かる。

生活やそこにある文化は自分たちのものであるが、

そこへ来る人のためでもあるという矛盾を抱えながら

住まなければいけない。

P1090424
(中には取り残された風景もある)


幹線道路沿いに観光案内所がある。

古民家風に建てられた立派な建物だ。

だが、その中の職員は積極的に活動するわけでもなく

そこにある郷土資料もただ置いてあるだけ。

何の説明もなくだ。

一組の老夫婦が、食事のできるお店を訊いていた。

小さな町家内にたった5、6件のお店。

そのお店を紹介するのに、そんな手間も時間も

必要ないのに、「そこのパンフレットをみてください」と。

これだけでも、この町は、これ以上望めないと思えた。

梅雨の合間に

2015.06.13 (Sat)

ほんまに梅雨の合間の、ほぼ1日のチャンス。

この1日がなかったら、仕事はどうなっていたことか。

そう思うとゾッとする。

梅雨だからある程度、覚悟はしていた。

だが天気男として通っているオレだからという

根拠のない自信のようなものが。

分厚い前線と厚い雲。時折吹く強い風。

その雲の帯が足早にかけ去る。


3日目の朝。 

晴れた。

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生き物が一気に目覚める。

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最近、気付いたこと。

2015.06.06 (Sat)

大改修工事が、とうとう梅雨入りした。

雨は降るし、風が通らないから、よけい鬱陶しい。

キッチリ窓を閉めているのに、ベランダ床用の

防水塗料の、不快な臭いが鼻を突く。

土曜の午後5時過ぎると、待ってたかのように窓を全開。

あしば

先週、気付いたんだが、

足場での作業員のための標識が変わっている。

標識には『ここは安全帯使用区域』とあるが、

最初は矢印と文字だけだった。

標識01

ところが、よく見ると矢印に何やら絵のようなものが

描いてある。

標識02

『安全帯』はよく知ってるので気にもしていなかったが、

誰か、余程気になった人がいるらしい。

作業員ではないのに、それでも気なって注文したと見える。

このマンションには、結構口うるさい人がいるのだろう。


うつぼ公園のバラ

2015.05.16 (Sat)

それにしても雨が多い。
先週も雨だった。その前もそうだ。
このサイクルは去年あたりからだったと思う。

雨が降ると外にでたくなくなる。
雨が特に嫌いなわけではないのに、何故か...
ヨメが言うには、傘を持ちたくないからだと。

鋭い!

今日もまた、朝から雨。
鬱陶しくて出る気がしない。けど、
うつぼ公園の薔薇を見る最後のチャンス。

よかった。まだ残っていた。

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四月朔日(わたぬき)

2015.04.04 (Sat)

大阪はズズ曇りで皆既月食は、
残念ながら見ることができなかった。

無彩色の町にも、ようやく春が目覚め、
桜吹雪の四角い公園に、うららかな日溜まりと、
鮮やかな花が、咲き乱れている。

とはいえ、まだ不安定な日和だ。
この時期、昔は、それまで着ていた綿入れの着物の
綿を抜いて春日和に備えたという。

そこから「四月朔日(わたぬき)=綿を抜く」と
言うようになったらしい。

毎年行く土佐稲荷神社の近くの、見事な枝垂れ桜。

土佐稲荷01

土佐稲荷02

かと思えば、既にサクランボの実がなっている。

サクランボ

「俺の春だ」と言わんばかりに、
カメラをよそに、堂々の小さな生き物。

モンシロチョウ

例外なく草木にも四月朔日がやってきた。

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紅葉盛り

2014.11.24 (Mon)

秋がいつからだったかなんて、考えるヒマもなく

もう冬の気配がしてきました。

でも今日は、日向ボッコにはもってこいの日和。

銀杏並木も、ほれこれこの通り、見事な黄金色だ。

銀杏並木

公園の秋

紅葉を見ながらブラブラ散歩する。

あまりにこ暖かいから、ついついウロウロしまくる。

日除け替わりにしていたオーシャンブルーは

先週くらいから落葉が始まり、今はパラパラ。

花の大きさも三分の一ほどに。

朝顔落葉

正月に咲いたこともあるのに、そろそろ終わりかな?

でも、シシトウは何故かまだ収穫しているし、

残りのレモンも、やっと黄色く色づいてきた。

シシトウまだまだ

黄色いレモン

そして、ショボイ二十日大根も。

二十日大根



夏の終わり、秋の始まり。

2014.09.23 (Tue)

山林引き渡しが1ヶ月伸びた。
水稲早稲の刈り入れ準備が重なったとのこと。
雪の季節になるのは避けたいものだが、
場合によっては年明けになるかもしれない。

ともかく、ポコッと空いたすることのない休日だ。
で、疲れ気味で外出を嫌がるヨメのケツを叩いて、
約半年振りに鶴見緑地に。

萩の花見は今日が最後だろうと思って行ったけど、
もう殆ど終わっていた。

いつもは奈良の白毫寺の、燃えるように染まる
萩の石段を訪れるところだったが、ヨメの体調を考えて近場で。

サルビア

コスモス

冷え込む朝晩と打って変わって、日中の暑さときたら
まるで真夏だ。
見るべき花も余りなく、小振りのコスモスとサルビアが
色鮮やかに野を占領している。

ヨメはしつこく、終わりかけた萩にカメラを向ける。
オレは、これも終わりかけた彼岸花を。

はぎ

不思議な花だ、彼岸花というのは。
年に2度、春と秋のお彼岸に、ポコッと忘れずに咲く。
「あの世」を信じないオレでも、何だか不思議な気持ちになる。

彼岸花1

「あの世」のことはもちろん、彼岸のことも知らない。
オレたちが生きるこの世を「此岸(しがん)」と言い、
夕日が沈む、遥か西の果ての極楽浄土を「彼岸」というのだそうだ。

春分と秋分。つまり「お彼岸」に咲く曼珠沙華は
ひょっとしたら、あの世の接点かもしれない。
あの赤い花の咲く向こう岸から、オレたちが住む現世を見ている。

彼岸花2

中秋の名月

2014.09.09 (Tue)

昨日は中秋の名月。

旧暦の秋は7月から9月で、

8月は「仲秋」といって、真ん中の1ヶ月間のことを言います。

その中の更に真ん中の日のことを「中秋」と言うらしいです。

真ん中は15日ですが、どうも今年は少し早いといいます。

昨日も見事な月でしたが、今夜が満月でした。

少し肌寒さを感じるなあと思いきや、

既に鱗雲が月の周りにかかって、何とも幻想的でした。

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半袖、短パンではちょっと寒い、

静かな秋の夜長を、月を見ながら思いに耽る。



そやっ! 団子食べよっと。

だんご

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