昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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その男_7

2015.12.28 (Mon)

houm

「にいちゃん、あんたもややこしそうな顔しとんな」
 男は、杉田の方へ一歩近づいて言った。
「えっ、俺? そないな顔しとんか?」
 男は、筋張った喉を震わせて笑った。

「判りやすいがな、にいちゃんは」
「俺の顔が判りやすいて?」
 杉田は、その男の方へ顔を向けて言った。そして、
「俺の顔を見て、なんか見えたいうんか?」
 その男は一瞬、微笑んだように見えた。

 頭上から一枚の枯れ葉がクルクルと舞いながら、ゆっくりとドブ川に落ちた。
 ほんの一瞬、ほんの少しだけ過去の自分に戻れた気恥ずかしさを、大きく吐いた煙で誤摩化した。
 久しく忘れていた、誰にも知られたくない杉田の恥部である。

 仕事に真剣なあまり誰かと衝突したり、避けられた筈の揉め事を、わざわざおおごとにする度に、もっとオトナになれと言われた。杉田は、オトナとは一体何なのだと思っていた。ほどほどに仕事をし、結論を出さず、曖昧さに妥協する。これが立派なオトナだと言うのだろうかと。しかし、最近になってやっと、その考えが間違いであることに気付いた。

 いつの時代でも見る光景だ。自分の考えをごり押しし、誰彼かまわず突っかかり、むやみに敵をつくる。そういう性格だからこそ、人格をも否定するような言い方になってしまうのだ。独りよがりの思いなど、ただの傲慢であり、他人にとっては何の魅力もない、不快にさせるだけだということを思い知らされたのだった。

 数歩離れた所に、その男はいた。それから男はフェンスから離れ、何か思い出したように、さっきまで自分が座っていたベンチまで戻ると、茶色い紙袋の中を覗き、ゴソゴソと何かを探しだした。紙袋の中に更に小さな紙袋が入っていて、何かを出そうとしているのが目に入った。

 吸い差しのタバコが飛び散った。杉田は、それを見て見ぬ振りをして男に背を向け、忙しく飛び散る空を見上げた。
 杉田の後ろで、カチッカチッという音がした。吸い差し特有の湿った臭いが漂ってきた。

 フェンスの外側に、褐色のドブ臭い川が、ゆっくり流れていた。その川に、街並と無彩色の世界に相応しくない、鮮やかな濃紺のビロードが広がっていた。ビルと空の境界線は激しく動いている。まるで唸りを上げてビルから湧き出すかのように。

「おっさん、いつからここにいるんやの?」
 唐突な言い方にその男は、怪訝そうな目で杉田の横顔を覗いた。
「にいちゃん、それ、ワシのことかいな?」

 デリカシーの欠片もない、こんな物言いに応えるホームレスなどいない。単なる軽口のつもりだったが、意外であった。
「そや、おっさんのことや」
「いつからて、憶えてるかいなそんなこと。何しろカレンダーと関係なく生きとるさかいな。いや、ワシらはゾンビなんや」

「世捨人」と、誰に言うでもなく口にした。自分でも分かっている。悪いクセだ。心とは裏腹に人を傷つけるような言い方だ。
「にいちゃんの言う通りや」

「そやない。オレのことでもあるんやおっさん」
「どうも、ややこしそうな顔をしとる思たで」
「紙一重というヤツや」

「ほー、ワシの方が一歩先だったいうわけかいな」
「一歩どころか、薄紙一枚や」と言いながら杉田は、ショルダーバッグの中から、缶ビール二本取り出すと、その一本を手荒くその男に放り投げた。男は口の中の真っ黒い空洞を向けたままキャッチした。
 杉田は、タバコを握った手で缶ビールの口を切った。白い泡が指に飛び散った。

「昼間からいい身分やな」
 その男も、ビールで濡らした鬚を、手の甲で拭った。 
「おっさんアンタ、いつもあんなややこしいことを考えてるんか?」
「ややこしいこと? 何のことや?」

「さっきのほら、地球が動いとるのが見えるって話しや」
「なんやそのことかいな」と、男は鼻で笑った。
「他に考えることあれへんがな」
「俺なんか、そんなこと思いつきもせえへんわ」

「仕事が忙しいんやろ。誰もそんなアホなことを考えるヤツなんかいとらへんわな」
 確かに、何もすることがなく、“考える人”のように固まっていれば、普段見えないものまで見えるということがあるのかも知れない。

「ぜんぜん。貧乏ヒマなしやで俺は」
「そういやあそうか。平日、こんな所でワシなんかと、ビール飲んどるんやさかいな」
「もう三年もこれやから、馴れてるんや」
「いま流行りのリストラってヤツか、にいちゃんも」

「いや、ちゃう。仕事でちょっとトラブってな・・・」
 杉田は、言おうとした言葉を飲み込んだ。
「・・・・・・・」

「憶えとらんほど昔から、ここにいてるんちゃうんやろ?」
「ワシのことなんかどうでもええがな。それよかにいちゃん、ワシなんか相手にしとってええんか? 世間体とかいうのがあんのんちゃうんか?」
「世間体が笑うな」
 杉田の脳裏に、沙希の顔が過った。

「身勝手に会社を辞めて、知り合いと仕事を始めた広島でケンカ分かれして、また勝手に大阪に舞い戻り、事務所開いたと思ったら、また騙されて、挙げ句の果てに、もう嫌だと言って、今度はフリーのライターなの? それでご飯食べられると言うの? 毎日ブラブラしてて」と罵られ、冷たく突き放された。 

 三年も経てば耳に蓋をすることもできるが、顔を見る度に胃の痛い思いをする。


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菜緒 ---3

2015.06.20 (Sat)

naos2

聡の勝手な思い込みだったのかも知れないが、普通の、ちゃんとした会社から見れば、とんでもない会社である。そういう怠惰なものを許してしまう空気が、会社全体に蔓延しているのだろうかと。

 一体、経営者は何を考えているのかと、そう言われても仕方がないほど、よろしくない強烈な空気を充満させていた。
 聡にしても最初に入った会社がこれだから、ともすれば「これでいいのだ」と思ってしまいそうであった。だが、一見だらしのなさそうな社風でありながら、ここぞという時の集中力が、あの空気の中から、どうして生まれてくるのだろうか、不思議でならなかった。

 社会人と学生との間にある、理解し難い違い。たぶんそれは生き方や価値観の違いという一般論的なものではなく、ヒューマンリレーションといった聡としては未体験ゾーンであったから、分かるはずもなかったのだ。

 ディレクターの大隈は、自他ともに認めるいい加減な男であった。しかし仕事のセンスといい、スピードといい、彼の右に出るものはいない。だから、彼がいくら遅刻しようと、出先を告げずに外出しようと、酒の匂いをプンプンさせながら仕事しようと、誰も文句を言う者はいなかった。

 スチールデスクの引き出しの奥には、いつも好きな酒が常備してある。酒なら何でもいいのかも知れないが。仕事の合間にチビリチビリと呑っている姿を、聡は時々、デスクライト越し見ていた。

 入社した当時、大隈は聡のことを「俺と同じ臭いがする」といったことがある。いい加減な大隈のことだから、根拠もなく言ったのだろうと聡は思っていた。だいいち、いい加減さにおいては大隈には敵わないし、それに聡は下戸だ。一滴の酒も飲めないのだ。

 それだけではない、大隈に似ても似つかぬ小心もので、結構周囲に気をつかう方なので、どこが同じ臭いなのか、聡には見当がつかなかったのである。

 多少短絡的であるが、大隈の豪放磊落さの中にある繊細さとのギャップは、聡にはある種、畏敬らしきものを感じたところであった。特別お得意を説き伏せる話術があったわけはないらしい。

しかし、自分が作った作品への、自信とか愛情のようなものは、特別な話術などなくても、伝わるものは伝わるだろうし、また、その自信は総て周囲を抑える力になっていたはずである。



ちょっと短編を書いてみた

2015.02.28 (Sat)

月の夜

硬質の月

 今日が一体、何曜日なのか分からなくなることがある。それというもの、メグが夏休みだからだろう。

 役場から帰ってみると、メグはダイニングで夏休みの宿題を広げたまま、うたた寝をしていた。毎日、沙希と一緒に起きて畑の世話をし、迫田の手伝いと、沙希の留守の間に田んぼの世話をして、勉強もしなければならない。

 文句ひとつ言わずに、さぞ疲れているだろう。その上、温泉を造ることになってしまって、余計な仕事が増えてしまった。村長や迫田や村の人たちは、家族と思って面倒をみると言ってくれたが、そこまで甘えていいものだろうかと思う。

 スースーと細い寝息をたてて眠るメグの横で、そっと添え寝をしてみる。ベランダから爽やかな風が通り抜けて、ヒラヒラとカーテンがウエーブする。

『彼岸へ行けずにいとる人たちの霊が、まだこの辺に彷徨っとる』と丸岡が言った。康平もその中にいるのだろうか、と沙希は思う。あの世とこの世の境には、どんな壁があるというのだろう。もしかしてまだ、この世のどこかで彷徨っているとしたら・・・。でも、あの時の電話は・・・、確かに康平のものだった。

 もっと早くケイタイを持っておくべきだったと思う。大阪に住んでいた頃から沙希は、ケイタイというものが何となく嫌だった。いつも監視されているようで、いつも追いかけられているようで、落ち着かなかったのだ。

 湯瀬に移ってからも、康平にさんざん言われた。「家にあると言うけど、畑では聞こえへんやろ?」と。それでも、とうとうケイタイを持つことはなかった。

 ケイタイを持つようになったのは、康平がいなくなってからだった。彼を捜し歩いていて、知り合いから連絡がとれないからと言われ、仕方なく手に入れたのだった。でも、一旦手に入れると案外便利なものだった。

 家にも置き電話があるというのに、ついついケイタイを使ってしまう。たぶんそれは、いちいち電話口まで行くのが面倒になったのだろうと思う。

 沙希はTシャツにも、ケイタイを入れるポケット付きのものを着ていた。薄着しかしない暑い夏は、特に便利だと思う。沙希が今着ているシャツは、康平が愛用していたものと同じタイプのものだった。

 大阪にいた頃に、康平は知り合いのテーラーから、何枚も購入していて、ついでにと、沙希用のSサイズのものまで5、6着手に入れてくれていたのだ。初めは少し違和感があった。シャツの左下に入り口があって、そこからケイタイを入れる。取り出し口はポケットの下にあって、親指を押し出すようにすると、スルッと出てきた。

 どんなに動いても落ちない構造になっていて、畑仕事をしていても、田んぼの中に落ちてしまうことはないし、便利この上ない。康平がこの姿を見ていたら、きっと笑うだろう。『ええやん! カッコええやん! そやから、ええ言うたやろ?』と。

 でも康平は、私のケイタイ番号を知らない。知らずにアッチへ行ってしまった、のだろうか?
 沙希は、電話の横のメモ用紙を引きちぎって、ケイタイ番号とアドレスを書き入れた。何枚も。そして、それを部屋のあちこちに貼った。

 康平は、このメモを見てくれるだろうか? 見つけて、メールくれるかも知れない。
 メグは相変わらず、気持ち良さそうにスヤスヤと眠っている。
 ノートに落ちたヨダレを、そっと拭いてやる。

 沙希は、ダイニングテーブルに両肘を置いて、メグと同じようにして頭をあずけた。
『・・・行けずにいとる人たちの霊が、まだこの辺に彷徨っとる』




 いつか見た硬質の月が、四角い窓の外に浮かんでいた。あれは確か、康平と初めて肌を合わせた夜だった。腕枕になっていたそれを、そっと抜いて、彼は月を見ようとしていた。夢を見ていたような気がした。暖かい彼の腕で、半分だけ見開いた目の中に、ぼんやりと映った。

 美しかった。欠けていたのか、満ちていたのか憶えていないが、鮮やかな銀色に光る月だった。でも、そんな美しい月よりも康平の温もりの方が大事だった。

 あれから何度、そんな月を見たことだろう。その度に、いつも康平が横にいた。あの嵐が来るまでは。



(二)その男…6

2014.07.06 (Sun)

 黒く筋張って痩せたのど仏が、コクコクと上下した。よれよれのサファリ帽の下から、日焼けして垢のこびり着いた顔が覗き、白髪混じりの髪と鬚が、紙縒り状に固まって肩まで垂れている。元の色が判別できないほど、衣服が濃灰色に染まり、肘や袖の当たりがテカテカ光っていた。

中之島の秋.jpg

「まだ見えへんのんかいな?」
「おっさんの言うように空見とんやけど、なんも見えへっ・・・、おっ、分かったで。あれやろ、おっさん」
 杉田はフェンスを掴んだ。ヒルガオの蔓が小さく揺れた。それと同時に、男はベンチから立ち上がり、杉田と同じようにフェンスを掴んで、空を見上げた。

「何が見えた言うんや?」
 男はよれよれの帽子を脱いだ。
 眩しい日射しが、垢のこびり着いた顔を照らした。
「地ベタやろ。地球が動いとる言うんやな」
 杉田は、嬉しそうに応えた。

 すっかり忘れていた記憶がふいに蘇った。まだ幼い頃、真っ暗な山頂で寝転がって見た記憶。星明りの中の稜線のシルエットに、吸い込まれるように落ちていく星々。銀河の滝のように、恐ろしいほどの勢いで落ちていった。

 ビルと空の境界線に、生まれては流れ、消えてはまた生まれる雲。とてつもない大きな地球が、その何万倍も大きな太陽の回りを回っているなんていう実感はないのだけれど、今ははっきり、自分が立っている地面が動いているのだと、初めて遠い記憶と符合した気がした。

 杉田は、太陽が見え隠れする慌ただしい空を見上げた、その男の横顔が、わずかに微笑んだかのように見えた。

「にんちゃんは、なんでワシなんか助けたんや?」
 その男の顔は、空に貼り付けたままであった。
「何でか分からん」

 分からないと言ったが、これが正直なところであった。青臭い正義感がなかったわけではないが、他人事の、しかも面倒臭いことにわざわざ関わるべきではなかった。なのにそういう気持ちと関係なく、身体が動いてしまった。

「そやけど、にいちゃんは強いんやな。格闘技かなんかやっとんかいな?」
「大昔な」
「ワシ、にいちゃんみたいに強けりゃな・・・」

「腕力が強うても、役に立たへんことなんて、なんぼでもあるわな。本当に強い人間いうのは、手なんて出さへんもんやで」
「ほんでも、自分を守るくらいでけたらと思うで」
「それは、思う。でもやで、本当に強い相手には、腕力で立ち向かうなんてでけへん」

「分かるなあ、それ。そないな時、どないしたら良かったのやろ・・・」
 その男は、ドブ色の川に目を落とした。
「おっさんアンタ、なんや、ややこしいことがあったみたいやな」
「ややこしで。もう忘れてもたけどな」

 男は自嘲気味に口を歪めた。
 杉田は、この辺りが潮時だと思った。このままだと、この男の身の上話を聞いてしまいそうな気がした。そろそろ腹もへったことだし、三百円の牛丼を食って、あのヤニ臭い事務所でテレビでも観ながら居眠りしようと思った。

 しかし、


(二)その男…5

2013.11.17 (Sun)

(二)その男…5

 「しかし、くだらんガキがいるもんやな」
 誰に言うでもなく、杉田は川面のきらめきに目を細めながら言った。
 杉田は少年だった頃のことを思い出した。中学生の頃だったか、その頃、学年に一人くらいは、いわゆる番長がいて、それを数人の子分が取り巻いていた。彼らは、いま時の弱い者だけをターゲットにする、くだらないイジメグループとは真逆の、正義という一種のイデオロギーを持っていた。

ochiba.jpg

 いつの時代でも弱い者イジメというものはあるが、彼らはそういう弱い者たちの駆け込み寺的存在になっていて、教師もまた、度が過ぎない限り、それを放任していたふしがあったようだ。

 つるむことを嫌った杉田は、番長グループには属さない一匹狼であった。そうして一線を引くことで要らぬ誤解が生じ、時として彼らと対立することもあったが、一度も暴力沙汰に発展することはなかった。いま思えば、それは彼ら、つまり番長グループと、お互い根っこは同じだったということだろう。

 杉田は、高度経済成長の時代も、バブル経済の崩壊も見てきた。敗戦国日本が一九六十年代に入ってから、毎年十パーセントという恐ろしいほどの経済成長を遂げてきた。そして九十年代初頭に、そのバランスシートが一挙にひっくり返った。

身の丈以上の夢を追っていた、殆どの人や企業は暗転した。太っ腹が残らず青ざめ、“金は力なり”と豪語していた輩が一斉に、守りに入ったのである。一面識で信用していた時代が、友人や親兄弟までも信用できない、世知辛い世の中になってしまった。

また杉田は、時代とともに複雑化した社会が、人の性根を変えてしまったのかもしれないと思った。経済社会が崩壊すると、地域や家庭がバランスを失うこともあるだろうし、そういう時代背景だからこそ、ドロップアウトする人間や、人間関係を上手く維持できない人も出てくる。その男もたぶんそうだろうし、他でもない、杉田だってその男と大きく違わないだろう。

 男をベンチに座らせ、饐えた臭いが遠ざかる位置まで歩いた。
 その男はベンチに座ったまま動こうとはしない。彼と妙な関わりを持ち、引き上げるタイミングを失ってしまったことを、今更ながらに後悔した。

 川沿いのフェンスに、短いヒルガオの蔓が絡んでいる。杉田は、そのフェンスを背にして、短くなったマイルドセブンを携帯灰皿に押し込んだ。
 ジャリを満載した一艘の台船が、ゆっくりと川上の方へ滑っていく。その台船を見送りながら、片方の視野でその男の様子を窺った。

 「おっさん、身体痛まないか?」
 男は俯いたまま片手を振ってよこした。
 十月を過ぎると台風の進路は、東へ向いて去っていく。今頃は小笠原をとっくに過ぎ、北上している頃だろう。

それほど大きくなかったようだが、これを境にして偏西風が流れ込み、急速に冬を呼び込む。雲の合間に覗く陽の光りが、足下にまだらな陰影を作っては去っていった。
 「台風はとうに行ったいうのに、まだ風きついな」と、杉田は独り言のように言った。

 その男は、北浜のビル街に目を移した。湧き上がる雲のせいで、ビル街がどんどん後退しているような錯覚を覚えた。
 「えらい早いな、雲が・・・」
 もう一度杉田が言うと、男は何か思い出したように、荷物を手に、ベンチから腰を上げた。

 「まるで雲が飛んどるみたいやで」
 「飛んどる?・・・どっちがだ?」
 男のしわがれ声が耳に入った。以外とぶっきらぼうな言い方であった。
 「えっ? どっちがだって。雲や」

 「そやないんや」
 「雲や、見えるやろ?」
 「そやから、そやないって言うとるやろ」
 杉田は、妙なことを言う男の方へ目をやった。何か面倒臭い男に関わってしまったと後悔したが、帰るタイミングではない。

 その男は、黒く煤けたサファリ帽を目深にかぶり、杉田の視線を避けるように、空の切れ端へ顔を向けていた。
 「飛んどるんやろ? 雲は」
 「そや。飛んどる。・・・いや、そやないんや。動いとんのは、こっちや」と、自分の足下を指差した。薄汚れた軍手の指先だけが覗いていた。まるで漫才の掛け合いを一人でやっているようであった。

 「動いとる? こっちが?」
 「そやっ、そのまんま空だけ見てりゃええんや」
 杉田は、その男の言う通り再び空を見上げた。しかし、杉田には、雲が流れている以外何も見えなかった。
 その男は、残っていたカップ酒を、ひと口飲んで言った。

 「にいちゃんの目には、ビルも目に入っとんやろ。それじゃなんも見えへんのや」
 「確かに街もビルも目に入っとるな。雲だけ見るんやな」
 男はそれには応えず、わずかに残っていた酒ビンを天井に向けて、もう一方の手でビンの底を叩いた。

 黒く筋張って痩せたのど仏が、コクコクと上下した。よれよれのサファリ帽の下から、日焼けして垢のこびり着いた顔が覗き、白髪混じりの髪と鬚が、紙縒り状に固まって肩まで垂れている。元の色が判別できないほど、衣服が濃灰色に染まり、肘や袖の当たりがテカテカ光っていた。
 「まだ見えへんのんかいな?」



(二)その男…4

2013.10.23 (Wed)

(二)その男…4

 杉田は、転がるように去る五人を見送りながら、マイルドセブンに火を点けた。

 いくら人を助けたとはいえ、暴力を使ったことに違いはなく、こんな時の杉田は、決まって罪悪感に苛まれるのだった。暴力で他人を攻撃しケガをさせたりり、勝ち誇ったりすることが、そんなに楽しいのかと。楽しくないばかりか、罪悪感という空しさが、手の届かない胸の奥にへばりついたままになるのだ。

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 空手を止めてしまった十数年前も、今回と同じようなことがあった。 
 大阪ではその頃から、引ったくりなどの事件件数が全国一位という不名誉な記録が続いていた。
 ある取材の帰り道のことであった。

十月に入って間もない頃である。五時を過ぎると薄暗くなる。千日前を堺筋から西に入った辺りで、女性の悲鳴が聞こえた。振り返ると、六十才台の女性が若者数人にバッグを引ったくられたところであった。

若者は四散したが、偶然、バッグを持ち去る男が杉田の前を横切るところだった。とっさに足を引っかけた。若者は俊敏に避けたが、つま先が当たったと見えて踏鞴(たたら)を踏んだ。杉田は相手の右手をひねり、肘を掴むと真上に押し上げた。カリッと音がした。肩を脱臼させてしまったのだ。

 こういう場合、大阪ではすぐに野次馬が集まってくる。仲間は既に逃走した後であった。いくら被害者を助けるためだったとはいえ、ケガをさせてしまった以上、立ち去るわけにはいかない。

 誰かの通報でほどなく警察が到着。警察からは、女性を助けたのは認めてくれたものの、やはり脱臼させたのはやり過ぎと、厳重注意を言い渡された。

 脱臼男を救急車が運び去り、女性の手にバッグが戻り、野次馬の輪から拍手が起こった。が、杉田の心は後悔と虚脱感に襲われた。
 そんなことがあって以来、杉田はできるだけ、ややこしい場には関わらないようにしてきた。


 その男はまだ、ベンチの前であぐらをかいていた。
 「あんた、ケガはないんか?」と言いながら、バッグの中からハンドティッシュを数枚抜いて、その男に渡した。
 男は無言で受け取り、赤黒く汚れた鼻を拭いていた。
 杉田は、くわえ煙草で男の両脇を抱え、ベンチに座らせた。饐えた臭いが鼻をついた。
 「大丈夫か?」
 男は相変わらず無言で、それでも首を振ってよこした。
 台風の余韻がまだ収まらない。堂島川の川面をさざ波立たせ、中途半端に色づいた桜の葉が舞って、そして落ちた。ものの数分出来事が、さも何もなかったかのような静けさに戻っていった。

 「しかし、くだらんガキがいるもんやな」と、誰に言うでもなく、川面のきらめきに目を細めながら言った。
 杉田が少年の頃は、学年に一人くらいは、いわゆる番長がいて、そしてそれを取り囲む数人のグループになっていた。彼らは、今時の弱い者だけをターゲットにする、くだらない不良グループとは真逆の、正義という一種のイデオロギーを持っていた。


(二)その男…3

2013.10.20 (Sun)

(二)その男…3

 杉田が歩道沿いのベンチに腰を下ろそうとした時だった。
 その男を取り囲んだ五人の中学生が、植え込みの死角をいいことに、彼を襲撃し始めたのだ。何が原因かは分からない。五人は奇声を発しながら足蹴にし、持っていたスポーツバッグを振り回した。男は、ベンチから転げ落ちた。

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 杉田は、警察を呼ぼうとして携帯電話を持ったが、一旦出した携帯をバッグに戻した。警察が来るまで、その男が無事でいる保証はないし、五人は逃走するだろう。

 杉田は急いだ。その男を取り囲んでいた五人は振り向き、杉田を睨んだ。リーダー風の男は、赤いTシャツを学生服の下に着て、眉をツルツルに剃っている。五人揃って、学生服の前をダラッと開けて、一応にして腰パン風にズラしていた。チンピラの玉子にもならない、ボウフラのようなものである。

 杉田は笑いを抑えるのに必死であった。だからと言って、放っておくこともできない。おそらくその男は抵抗もできないだろうし。

 赤シャツの男は威嚇しながら前へ出てきた。
 「おっさん、何やねん」
 杉田は、持っていたバッグをその男が背にしているベンチへ置いた。そして、
 「お前らどこの学生や」と言った。

 「関係ないやろ。おっさん、そないにケガしたいんか」
 転倒したその男は、ベンチに背を預けたまま俯いている。鼻血で口の周辺を汚しているものの、幸い大きなケガはしていないようだ。

 杉田は赤シャツに向き直り、言った。
 「警察呼ぶけど、いいんか? お前らどこのガキか知らんが、弱いもんを痛めつけて、それで楽しいんか?」
 「だっせー。関係ない言うとるやろ」
 「そうか。そないに汗かきたいんか」と言いながら杉田は、身体に染み付いている三戦(サンチン)立ちの構えに入った。

 杉田は十数年前まで空手をやっていた。始めたきっかけは実に不純な動機であったが、それから一度も、自ら手を上げることはなかった。

 杉田は五人に向かって言った。
 「俺はケンカでけへんのや。そやけど、お前らが手を出した瞬間、こっちの正当防衛が成り立つんや。それでもくるんやな」

 赤シャツは半歩下がった。他の四人は遠巻きにしていた。杉田が不利になるや否や、飛びかかるつもりだろう。
 「おっさん、五対一じゃ勝ち目あらへんで」
 「アホか、うしろ見てみんか。他のガキはもう怖じ気づいとるやんけ。さっさとケツ捲って、いにさらせ」

 赤シャツは、一旦上げた手を引っ込めるなど、男としての沽券に関わると思ったのか、低い姿勢から右腕を突き出してきた。

 杉田は、左に躱しながら右手首を掴んだ。転瞬、赤シャツの背後に回り、腕を捩じ上げた。そのまま上げれば脱臼するが、止めた。同時に杉田は左肘で、赤シャツの首を押さえつけ、右脇腹に手刀をくらわせた。

 赤シャツの身体はくの字に折れ、膝から崩れ落ちた。水月(スイゲツ)であればより効果があるのだが、場合によって、命の危険に関わることもあったので、筋肉の少ない脇腹にしたのだ。
 「まだやんのんか?」

 遠巻きの子どもたちは、それぞれにバッグを拾い、赤シャツを担いで立ち去った。
 杉田は、転がるように去る五人を見送りながら、マイルドセブンに火を点けた。



久しぶりに、いちびり小説。

2013.10.16 (Wed)

(二)その男……2

 この公園は今まで何度も歩いている。それでも以前は、この公園の花も木も人も空も、そして流れる雲さえ美しいと思えた。
 無秩序な風が右から左へ、左から右へ吹付ける。
 堂島川の川面がさざ波打ってキラキラ光る。

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 杉田は煙草をくわえ、風の裏側を見付けて火をつけた。白い煙が、あっという間に並木の上空に掻き消えた。
 歩道沿いにいくつものベンチがある。整備されて美しくなっているが、植え込みや歩道橋の下に青いテントが見え隠れしていた。平日のこの時間帯ともなれば、さすがに人気は殆どない。ただ、青テントの住人なのか、視界の端の桜の老木の陰に、男がひとり見えた。そこまで老木が三本。まるで考える人の彫刻のように微動だにしないその男は、随分小さく見えた。

 造幣局へとつながる桜並木と並行した公園沿いの道路は、のり面とコンクリート柵で、通り過ぎる人の上半身しか見えない。不夜城と揶揄される梅田周辺からもさほど遠くはなく、中之島まで歩いて十分圏内と利便性もよく、いつからか、ここで事務所を構えることがある種のステイタスのようになったこともあった。もちろん住宅街だからそれなりの生活感はある。小さな町工場や広告業界の会社、コピーライターの事務所が民家に混じって散在していた。買い物かごを持った主婦とサラリーマンが日常的に混在する町である。

 サラリーマンが携帯電話を片手に、急ぎ足で通り過ぎる。彼らもまた、幻想という世界でもがいているのだろうかと、杉田は思ったりする。
 かつては造幣局の仕事の行き帰りで、この道を何度も歩いた。ひっきりなしにかかってくる電話に閉口しながら、人並みをかき分け、移りゆく季節や桜を見る余裕すらなかった。同じカタチのアンドロイドのように右から左へ、左から右へ。携帯片手に走り続けた。さも自分は「出来る男なのだ」と言わんばかりに。

 ふいに杉田は、携帯を持たないという友人のことを思い出した。お互い外出することが多く、緊急の時に連絡がとれなく、困って、携帯を持つように頼んだが、彼は「追いかけられるのは嫌や!」と言って、最後まで持たなかった。追いかけられるのは誰でも嫌だが、それより彼の性格からして、別の理由があるだろうと想像はできた。

「是非に」と名指しで依頼されることが多い彼は、それでも几帳面に、外出先から連絡を入れるなど、気遣いは忘れなかった。常に控え目で、どんなに評価されようと意識過剰になることはなかったし、高圧的な態度を最も嫌い、誰に対しても丁寧な対応をした。

そんな彼を見て杉田は、時には高い木の、せめて真ん中辺りまで上ったとしても、罰は当たらないだろうと、密かに皮肉ったことがある。しかし彼は、携帯片手に東奔西走する自分の姿を、恥ずかしくて想像さえしたくないと言いたそうな顔をしていた。あくまでも杉田の私感だが。

 杉田は駆け上がりの小径を上り、アンドロイドたちをかき分け、通りに出た。向かいのコンビニでマイルドセブンを二箱買って、店の前で封を切った。喫煙所でボールチェーンタイプの携帯灰皿から、満タンになった吸い殻を落とす。杉田はヘビースモーカーであった。一日最低二箱は吸っている。徹夜ともなればその倍になることもある。

 昨夜一晩がかりで仕上げた原稿を、この先のお得意に納品して、そのまま事務所に引き上げるつもりにしていたが、帰ったところで次の仕事が控えているわけではないし、ヤニ色の壁を見ても空しいだけである。
 杉田は、もと来た小径を下りた。
 時折吹く風が老木の枝を軋ませる。

 特別な理由はないが、なんとなくその男の方に目が向いてしまった。男はさっきと同じカタチのままベンチに固まっている。
 何をするでもない、ただひたすら時が過ぎ去るのを待つだけのその男と、ヤニ臭い部屋で毎日、煙草の山を作るだけのこの身と、どれほどの違いがあろうかと考える、自虐的な自分に苦笑した。

 杉田は、ベンチに腰を下ろした。
 半分ほど色づき始めた桜は、先端になるにしたがって疎らになり、黒い枝がビル街の空に突き上げていた。
 どれほど時間が経ったであろうか。堂島川沿いの遊歩道を、造幣局方面から数人の学生が、騒ぎながらやってきた。

 杉田は、今時の学生は嫌いであった。教育について云々言えるほど立派な行いをしてきたわけではないが、このところ教育社会に置ける「イジメ」問題が発端となる醜流は、かつて不良の片隅にいた杉田でさえ、目を覆うばかりであった。もちろんそれが総てではない。

むしろごく普通に学生生活を送っている子どもの方が圧倒的に多いだろう。しかし、そういう道を外さない子どもたちが、病的な社会の中で神経をする減らしながら生きていかなければならないと考えると、杉田はいたたまれない気持ちになるのであった。
 杉田が歩道沿いのベンチに腰を下ろそうとした時だった。


その男−4

2013.07.15 (Mon)

(二)その男

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 秋は間近い。
 枯れ葉の混じる桜並木の下に濃紺の空が、そのまた下に中之島のビル群が、まるでブロックのようにびっしりと埋まっている。台風一過。そのビロードの青と競うように流れる雲が、いつもより激しく去っていく。ビルの谷間から次から次に湧き出る雲は、あっという間に地球の裏側へ消えてなくなった。
 杉田は二年前のある出来事が、頭から離れなかった。あの頃はこの激流がまだ、心地良かったと自分でも感じていた。自身が地球であり、総てがそこを中心に回っているのだという幻想。しかし、その地球でさえ星くずのひとつであり、宇宙の中のチリでしかないのだと、否応なく気づかされてしまったのだった。
 自分は今まで何を探し求めてきたのだろうかと、杉田は思う。仮にそれが幻想だったとするならば、では現実とは一体、何なのであろうかと思う。

 時折吹付ける風が、あたかもあざ笑うかのように、杉田の足下でクルクルと枯れ葉を操っていた。
 そう言えば杉田は最近、誰かと活きた会話というものをすることがなかった。無駄話をしなくて済むなら、それはそれで効率的でいいのだが、何か空しさだけが募ってしまうのだった。お得意での打ち合わせは、実に味気ないものである。もともと杉田は、おべんちゃらが言える性格ではないし、そこまでして相手の懐に入ろうなどとは思わない。それでもかつては冗談もいい、相手を喜ばす術も知っていたが、今はそれすらバカバカしく思えてならなかった。

 社会の力学は大きくふた通りある。ひとつは、力を持つ人とそれにあやかろうとする流れ。もうひとつは、それに組みしない、或は弾き出された人の流れである。杉田がそうであるように、人は誰もが弱い生き物である。だから知能という武器を手にしたであろうし、弱い生き物であるが故、狡く生き抜く術を身につけたのだろう。使い方はともかくとして。

 人間って嫌な生き物だと、杉田はつくづく思う。たとえば人を信じようとする時の、その基準である。それは自分自身で決めなくてはならないもの。しかし、多くの人間は曖昧さを巧みに活用する。つまり、自信がないのである。自信がないからこそ他人の顔色を伺い、求心力という幻想力学に身を委ねるのだろう。真実が何なのかを自分で考える前に、安っぽい噂を信じる。そんな生き方のどこが楽しいのかと、杉田は思う。


いちびり短編小説「その男-3」

2013.06.15 (Sat)

その男-3


 「今、南天満公園ですわ。例の仏さんと初めておーたとこですが」
 「そうでっか。ほんじゃ、帰りに電話くれまへんか? 署じゃまずいよって、近くの茶店でも待ってまっさかいに」
 松浦は、どこの茶店か言わずに一方的に切ってしまった。
 斑な陰影の公園内は若干、肌寒さが残る。それでも、弁当を広げる数組の塊が、日溜まりを選んで座っていた。
 志村が最初に座っていたベンチは、既にOLに占領されていたので、そこから少し離れた公園の角のベンチを選んだ。
 ———ここやと広い範囲をほぼ一望できそうやな。
 杉田は、すぐ松浦にリダイアルできる設定にしてバッグの上に乗せ、マイルドセブンに火を着けた。
 ———五ヶ月か。
 あの日は台風一過の風の強い日であった。落ち葉がつむじ風のように足元でクルクルと舞い、上空では雲が大急ぎで流れていた。
 ———何で志村に声をかけてしもたんやろか。色々理由はこじつけられるけど、志村である必要も、ましてやわざわざホームレスを選ぶ必要はまったくなかったやろ。そやのにどないしたんやろ。志村の異臭を我慢してまで、何で声かけてしもたんやろ。
 ———さーて、俺はいよいよ独りになってしもた、らしい。仮に警察が協力してくれるいうたかてだ。
 いずれにせよ、志村が汚名を着せられてしまっても、結局、警察は何もしてくれなかった事実は変わらない。松浦は協力すると言ってくれたが、一旦決着した事件を、再び蒸し返すなど、警察は弱者に親身になるとは、到底考えられなかった。

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 杉田は志村の遺書とも思える手紙を捲った。几帳面に綴られた字は、志村の生真面目さが滲み出ているようだ。



 S様
 貴殿と妙なかたちで知り合え、一度は世を捨てた小生にとって、この上もなく有意義で幸せな日々を過ごすことが出来ましたこと、感謝申し上げます。貴殿に声をかけられなかったら、このまま小生は、一生吐き溜めの底から這い上がれぬまま終わっていたでしょう。しかしながら、遅々として進まない調査と、最近、何やら怪しい陰に付きまとわれ、いよいよ身の危険を感じるようになりました。
 もし叶うなら、着せられた汚名を拭い去り、一人の人間として再認識できる日が来ればと、夢見ておりましたが、どこまでも不運がつきまとっているようです。
 さて、実は先日来、かつて勤めておりました元同僚に数度に渡って会って参りました。その方の名前は都合上、手紙には記せませんが、二月に貴殿にお会いした時に、お渡ししたメモの最後に記した方と申し上げておきます。

 手紙はその部分から一行ほど塗り潰されていた。そして、

 ともかく、ことの次第は総べてメモにして、然るところに隠してあります。何ごともないことをひたすら祈るしかないのですが、小生にもし何かありましたら、貴殿が訪ねられた時に分かるようにしてあります。
 もともと危険を承知で始めたわけでして、貴殿にご迷惑をお掛けする可能性を思えば、いっそこのまま何も告げずに姿を消すことも一考ではないかとも悩みました。
 ホームレスにまで堕ちた身でありながら、この後に及んで未練がましく、また往生際が悪いとお笑い下さい。しかしながら、個人的なことは別にして、小生はやはりこういう欺瞞に塗り潰され、不正義が正義かのような世間の風潮が許せないのです。出来得るならば、出来得るならば彼らに社会的制裁をと、このことが唯一の願いでした。
 今日は何とか、怪しい影から逃れることができましたが、居場所を知られた以上、どこかに移らねばなりません。住みやすかったこのムラを出るのは残念で辛いですが、仕方がありません。小生も今、死ぬわけには参りません。

 手紙は更に続いていた。
 その中には、志村が勤めていた印刷会社の近況や、実名は記されていなかったが、鏑木の様子や、志村の元上司を知る人物のことも綴られてあった。そして最後のページに〈裏面へ↓〉と書かれ、捲ると更に一ページ半に渡って埋まっていた。
 裏返した手紙を両手に分けて持ち、最後のページにかかった時、背後から風が吹いた。杉田は振り向いて、身構えようとしたが、ベンチで寝ていたホームレスが、突風で起こされたところであった。
 ———俺と会うまでは、志村もあないしてのんびりと、うたた寝しとったんやろか。そういえば俺と始めておーた時、志村は俺のことを〈抜き身のまんま歩いてるようなもんや。何されるか分からん雰囲気があった〉と言いよった。〈死ぬことなんか恐ないいう風に見えた〉とも。

 ———死ぬことなんか恐ないか。・・・俺はほんまに、そないな顔しとんやろか。死ぬことなんか恐ない?
 そんなことがあるわけがない、と杉田は思った。自分のことぐらいは分かっている。人一倍臆病なことも。
 弱味を見せたくないくせに恐がりで、いつも逃げ道を探していたし、誰よりも死ぬことを恐れていた。だから身内や親戚の不幸にも、何か理由をつけて避けてきたし、テレビのニュースで殺人事件の現場取材や、被害者の様子が映像で流れると、そのことばかりが脳に焼鐺を押されたように再生されて、眠れないこともあったのだ。
 ———あの時・・・、あのアド・ネクストの時もその気さえあれば、何だってできた筈や。と、後悔ばかりしている自分が情けなかった。デザイナーをやめたことだって、単に、苦しさから逃げただけだった。いつもそうである。何かトラブルがあると、すぐに居心地のいい場所を探し、逃げ込んだ。
 杉田は、そういう意気地のない自分を、とっくに見抜いていた。だから同じ臭いのする志村のことが分かったのだろう。

 戦いから降りた志村もまた、自分と同じ臭いのする杉田の心を感じ取ったのかも知れない。
 手紙の最後に、杉田への感謝と、自分のために無理をしないでくれ、というようなことが綴られていた。
 言われてみれば確かにそうだし、何も命をかけてまですることではないのかも知れない。聖人君子を装ってまで命を無くして何になるのだ。でも、志村の本心から出た言葉に違いないと、杉田は素直に思っていた。
 ———俺には似合わない。しかし・・・
 公園にいたサラリーマンたちは次々と引き上げ、再び深閑とした日向の風景が広がっていた。ビル街の上の青い空に、あの時よりもゆったりとした雲が浮んでいた。

いちびった小説「その男-2」

2013.06.09 (Sun)

その男-2

 中之島の環状一号線に沿って東へ向かって歩いた。堂島川にかかる鉾流橋を渡ったところに、アーチ状の屋根のある中央公会堂が見える。商業都市大阪のど真ん中に位置するここは、ジェットコースターのように走る高速道路を見なければ、閑静な文化都市である。
 明治四十四年、株式仲買人の岩本栄之助が私財を投げうって造らせたもので、ネオ・ルネッサンス様式を基調に、バロックの壮大さを兼ね備えた気品ある美しい建物である。ちなみに岩本栄之助は大正五年、第一次世界大戦の異常景気で苦境に陥り、相場で大損失を被った彼はその年の秋、家人、使用人総てを松茸狩りに送り出した後、短銃で自殺を図り三十九の若さで永眠したという。
 中央公会堂を更に東へ。中之島の真ん中を走るこの道は難波橋で行き止まる。
 杉田は、南へ北へ走る車の間隙を縫って、橋の反対側に走った。運動不足が堪えてか息切れがした。
 難波橋の石段を降りた。松浦の話しによると、難波橋の東の小さな橋の袂で、志村は浮んでいたという。あまり気が進まなかったが、彼が最後に見つかった場所に行っておきたかったのだ。
 中央公会堂辺りは気に入っていて頻繁に行くが、このバラ公園は好きではなかった。バラそのものは美しいと思う。しかし、ロケーションが最悪である。バラを見るだけならいいが、少しでも目を上げると、林立するコンクリートのオフィスビルと高速道路で興醒めしてしまうのである。
 バラ園の周回の歩道にはベンチがあった。桜の蕾がやっと脹らみ始めた頃だから、バラの開花時期はまだ先である。
 厚手のトレーナーを着ていても、陰に入るとまだ肌寒い。それでも日向を歩けば汗ばむほど暖かかった。ベンチで堂々と横になるホームレス。その隣にスーツ姿のサラリーマンが文庫本を捲る。時間潰しの上手い営業マンか、それともリストラされたのか、それは分からない。自分自身、日本一暇な人間ではないかと思っていたから、この時間帯に本を読みふけるサラリーマンを見ると、何となく親近感が湧いてくるのだった。

 バラ園の北の出口に橋がある。
 ———この橋のことか、松浦が言ったのは。
 欄干に(ばらぞのばし)とレリーフされている。誰が命名したのか、その品のなさに、杉田は思わずプッと笑ってしまった。橋の下には堂島川と土佐堀川を繋ぐ短い運河がある。死体は堂島川寄りの端で発見されたらしい。西の角にカフェ&レストランがあったが、定休日でシャッターが降りていた。
 (ばらぞのばし)を渡り切った東側にも円形のバラ園があって、その北側の角に、森と言うには小さ過ぎる植え込みがある。難波橋側から見ると、一段高くて死角になり、この位置だと植え込みの中の青いテントは見えない。
 ———志村を発見したのは、恐らくここの住人だろう。
 そう思ってテントの方へ目を向けた。黒っぽいウィンドブレーカーを着た、一見六十過ぎの男が飼い犬にエサを与えているところであった。杉田はその男に声をかけた。
 「あのー、ちょっといいですか?」
 ウィンドブレーカーの男は、ちらっと杉田の方に振り向いたが、関心なさそうな顔をしてすぐに犬とじゃれ始めた。
 「あのー、すいません。ちょっと伺ってもいいですか?」
 杉田はガーデンフェンスを乗り越えて、足を踏み入れた。犬が唸った。
 男は植え込みの枝に、犬のリードを結び付けて、杉田の方へ二歩三歩と歩み寄った。
 「何? あんた誰?」
 「杉田って言います。・・・すいません、突然。・・・実は一昨日、ここで亡くなられた人についてお訊きしたいんですが」
 「ああ、そのこと。サンちゃん、客やで」
 そう言ってウィンドブレーカーの男は、奥のテントに向かって仲間を呼んだ。繋がれている犬が落ち着きなく、グルグル回り、止まっては唸り、止まっては唸りしていた。すぐに奥のテントから、同じくらいの年格好の男が、のっそりと現れた。男は、着膨れした上に黒いハーフコートを纏っていた。
 「サンちゃん、その人、こないだの例の土左衛門(どざえもん)のことで、あんたに訊きたいんやそうや」
 「またかいや。こないだも、おまわりに散々聞かれたんやで。もうええ加減にしてくれや、ほんま」
 サンちゃんは不機嫌であった。
 「すいませんね、たびたび」と言って、手土産代わりに持っていたマイルドセブン一箱渡した。
 「で、何訊きたいんや?」
 「その川であなたが発見されたんですね?」
 「そやけど・・・」
 「その人、志村さんと言うんですが、いささか私と関わりがありましてね。その人のことでご存知のことがあれば、どんなことでも教えてもらいたいんです」
 「ご存知も何も、時々顔を見るくらいで、名前も知らんかったんや。ほんまやで」
 サンちゃんは頭を掻いていた。指のところだけ切った軍手から、黒っぽい手が覗いている。
 「志村さんは、この向こうに住んでおられたと聞いてますが、そのことは?」
 「そう言えば、言うとったな。この島のいっちゃん端や言うて」
 「その志村さんですが、亡くなられる前に、誰かと会っていたとか、ご存知ないですか?」
 「さあ、知らんな。個人的な付き合いないしな。それよか、そのムラに行って訊いてみやったらどやの?」
 「そうですね。じゃあそうします。———すいませんでした」
 と、杉田がガーデンフェンスを跨ごうとした時、サンちゃんが呼び止めた。
 「そや。その人が浮んどった日の一週間ほど前やったかな。何かな、三人ほどの、えっらい人相の悪い男たちがこの前歩いとったで。あんなん見るのめったにないから覚えとるんやけど」
 「その男たちは、何時頃通ったんですか?」
 「そやな、時間まではっきりせんが、夕方———まだ暗なってへんかったな」
 礼を言って花壇を跨ぐ杉田の後ろで、「あっ、それから煙草おおきに」と言いながら、サンちゃんは受け取ったマイルドセブンを嬉しそうに見せた。

 円形バラ園を抜けると運動公園がある。
 桜や銀杏、栴檀といった老木の生える運動公園の上に高速道路が走る。家族連れが戯れ、少年野球チームやラグビーサークルがトレーニングに励んでいた。何とも奇妙なコントラストである。
 中之島の東の端は、天神橋の真ん中の橋脚の支えになっている。その橋脚の周辺をねぐらにしているホームレスが、小さなムラをつくっていた。どこから流れて住みついたものか、三十代から七十前の十人くらいの男たちが共同生活をしていた。中州であることと、運動公園の中にはトイレも水道もあるから、水には困らない。彼らにとっては天国である。
 橋脚の金具から植え込みにロープが渡されて、洗濯物がひらひら揺れている。
 一度身なりを構わなくなれば、人間、際限なく汚くなっても平気でいられる。それとは逆に、綺麗好きな人間は、汚れることに怯える。汚れたものはいつでも洗え、公衆トイレとはいえ、水洗のそれが完備されている理由かどうか、ここの住人は割と小奇麗であった。
 つい最近まで会社勤めしていたと思われる、くたびれたスーツ姿の男がいた。杉田は、そのスーツの男に声をかけた。
 男は、またか、という顔で立ち止まった。
 「あんた、おまわりじゃないようやけど、一体何の用やねん?」
 ジーパンに擦り切れたトレーナー姿。ロングヘアを後ろに束ね、バンダナをした杉田を、うさん臭さそうに見た。
 「杉田と言うんですが、志村さんと関わりのある者です」
 「ああ、ケイちゃんの。———ケイちゃんからあんたのことを聞いとるさかい」
 志村の下の名前が敬二だから、そう呼ばれていたのであろう。
 「私のことを、ですか?」
 「そや。杉田言う人が訊ねて来たら渡してくれって。手紙のようなもんと・・・他にもあったが、悪いなあ、そいつは警察に没収されたんや」
 「手紙?」
 「そいつだけは俺が隠しとるんや」
 そう言って自分のねぐらへ戻り、暗がりの中で衣類を弄り、食器か何かの音をさせていた。暫くして何重かに折り畳まれた新聞紙を掴んで出てきた。
 「これやねん。杉田さんが来たら、これ渡してくれって頼まれたんや」
 杉田は新聞紙を広げた。すると、間から茶封筒が抜けて地面に落ちた。
 「それ渡されたんは、ケイちゃんが亡くなる三日前だったんや。何かヤバいことしてんのんちゃうか思ったけど、そんな人やあらへんしな」
 杉田は封筒の中味を抜き出した。几帳面な文字でびっしりと、五枚ほどあった。じっくりと全部読みたい衝動に駆られたが、サンちゃんという男の言ったことが、ずっと気になっていた。
 「えーっと・・・」と、スーツ男をどう呼んだらいいのか迷っていると、「あっ、俺? 俺は岩田言うんや」と言って、浅黒い顔に白い歯を見せた。
 「志村さんのことで、亡くなられる前、何か変わった様子はなかったか、ご存知でしたらお訊きしたいのですが」
 「そうそうケイちゃんついてなかったなあ、可哀想に。———昨日も警察が来て散々訊いて帰ったけど、何であないなったんか分からんのや」
 「さっきそこの橋のところで、サンちゃんという方にちらっと聞いたんですが、亡くなられる一週間前に、妙な男たちがウロウロしてたと。そのことと何か関係があるのかと思いましてね」
 「そいつらやったら来た来た。ちょうどケイちゃんが留守しとっ時にな。だいぶ長いこと待っとったようやけど、知らん間にいーへんようなったんや。それっきりやな」
 「そいつらは、志村さんのことで何か訊いてませんでした?」
 「ケイちゃん探してるようやったな。そやけど、誰が来ても知らんふりしとけ言われとったし、あいつらもその内、諦めたんちゃうやろか。それにホームレスやしな、俺ら」
 「その夜、志村さんに変わった様子は?」
 「そやな、分らへんな。その日の夜も暗なってから帰ってきやったし、っていうか、毎日朝から出歩いとって、夜、遅おそに帰ってきて、・・・それが、おとといから帰らへんようなったんや」
 「それで、ヤツらが志村さんのことを探してた言うのは、本人は知ってました?」
 「夜帰って来た時に俺が言ったんや。けど、何か急にそわそわしだして・・・、それで、あんまり関わらん方がええ言うて、何にも言うてくれへんかったんやわ」
 「次の日から亡くなる前日までは、帰ってはったんですね?」
 「そや。おとといまでな。でも、何があったんやろケイちゃん」
 杉田は、バッグの中からマイルドセブンを一箱取り出して、よかったら、と言って岩田に渡した。岩田は、嬉しそうに受け取った。
 「志村さんが持ってたメモは、あの男たちにとって都合が悪いものなんです。もっと正確に言うと、一番欲しがっているのは、彼らの後ろにいる外道なんですがね」
 「あんたメモの中味知ってるんか?」
 「私が知ってるかどうか、あなたは知らない方がいいと思います。知らなければ知らないで済むでしょう?」
 「そりゃそうだわな」
 「すみませんね、何か巻き込んだみたいで」
 「かまへんかまへん。俺らがどうなっても悲しむもんおらへんし、オマケで生きてるようなもんやから」
 志村が死ぬ直前所持していた物があったかどうか分からないが、少なくとも重要な資料の半分は今、松浦の手の中にある。そして、残りの半分は———俺が持っている。
 志村は、毎日出歩いて身に危険を感じたのであろう。だから、岩田に何も言わなかったし、失ってはいけない資料は見事に隠されていた。
 危険を察知した志村は、その日調べたことは毎日持って帰り、その日の内に整理して穴に埋めたに違いない。最後の日のメモが、ヤツらに奪われた可能性はあっても、そう大した情報量ではないと思われた。
 「ところで岩田さん。この手紙のことはヤツらに気付かれていないですよね?」
 「そりゃ大丈夫や」
———ということは、ヤツらはまだ俺のことに気付いとらへん言うことか。———いや、志村が最後に持っとった所持品の中に、俺の連絡先か何かのメモがあったとしたら・・・。
 「それにケイちゃんが隠しとった例のものもバレてへんかったみたいやし。もっとも他のやつは全部、警察に持っていかれたけど」
 二月に志村と会った時は、ほぼ、杉田が読んでいた通りのようであった。だが、斯くたる証拠を掴んだわけでもなく、日が経つにつれ記憶もだんだん薄くなっていくようであった。
 杉田は調査に限界を感じていた。新たな証拠や証言を得ることが期待できなかったのである。
 そこで杉田は考えた。あの時点でメディアが追跡した事実や、警察が報じた内容、それにこれまで志村とふたりで調べたものを検証して、その中で辻褄の合わなかった部分を埋めるための調査に集中しようと。
 初めて志村に出会ってからこれまで三度会い、その都度、経過報告をし合っていたのだった。だから、資料がなくてもある程度のことは杉田自身も把握できていた。しかし、志村が持っていたメモが、やがて決定的な証拠物件になる可能性は十分にあったので、それを失うことは致命的でもあったのだ。
 メモが敵の手に渡らななかっただけでもラッキーと言わねばならない。だが志村はもういない。彼は、この結末を見ることなく逝ってしまったのだ。
 「なあ杉田はん。ケイちゃんに何があったんや? 俺、気になるんや」
 杉田は黙っていた。そして、
 「岩田さん。・・・それ知ってどないするんですか? 俺は・・・実は今、後悔してますんや。志村さん自身のこととはいえ、こないなことをするべきじゃなかったかも知れへん。こないなこと始めへんかったら、志村さんは命を落すことはなかった。そやからもし・・・またヤツらがここに現れて、それを知ってしまった岩田さんに危害を加えへんとも限らへんでしょう。俺はこれ以上、他人を巻き込みとうないんです」
 「あんたの気遣いは有難いがな、なんや、ケイちゃん見てて放っておけんいう気がしてな」
 岩田は悲しそうに、足元を目を下ろした。
 「ところで、岩田さんはいつからここに?」
 「俺か? 俺は八年前からこのムラにいてるんやけど、これでもその前は、普通のサラリーマンやったんや」
 「それが何でまた?」
 へへっと笑って岩田は続けた。
 「情けない話しや」
 岩田は杉田から視線を外した。
 「会社の金に手をつけて、クビになったんや。自業自得やな。そやから女房は愛想つかせて、子ども連れて出て行きよったんやわ」
 「何でまた会社の金に?」
 「子どもが心臓をいわしてて、手術しかあれへんかった。まとまった金なんかあれへんし、給料でちょっとづつ返そう思ってマチ金に借りてな、それが運の尽きやった。毎日毎日借金取りに追いまくられ、つい。・・・アホやったんや」
 「そのお子さんは今?」
 「死んでもたわ。女房と分かれてすぐに。女房はどうでもええけど、子どもに死なれたんは、さすがに堪えたな」
 「悲しい話しですな。世の中、悲しいことが多過ぎる。こないな話しは、何でか国を司る連中には届かんもんや」と、杉田は誰に話すでもなく、公園ではしゃぐ親子を見ながら言った。そして、「志村さんにも悲し過ぎる過去があってね。彼は仕事のできる人やったらしいんですが、どうも騙されて会社の犠牲になったのだそうですわ」
 「そうか。・・・それであんたとな」
 「俺にも似たような経験があるし、志村さんの悔しい気持ちは、よう分かるんです。だから・・・」
 「そんな気ーしとった。今どき他人の不幸を背負う奇特な人間なんかいとれへんさかいな。・・・それでか」
 岩田は、察しのいい自分に満足げであった。それから岩田は、一昨日まで志村が暮らしていたねぐらの跡に手招きした。青いテントは綺麗に畳まれ、僅かな手荷物だけが小さくまとまって置いてあった。
 「ケイちゃんの形見になってしもたんやな」
 チョコンと置いてある塊を、ささくれだった手で撫でた。
 「きのう警察が来て、そこいら辺ひっくり返して、埋めてあったもん見つけよったんが、その穴や」と言って、回りとは幾分色の違う土色の地面を指差した。
 「三日前、ケイちゃんからその手紙預かった時、自分にもしものことがあったら、これもあんたに渡してもらいたいと・・・」
 「その刑事、松浦いうてませんでした?」
 「松浦言うのかどうか知らへんけど、部下らしいのんが、マツさん言うとったな、そう言えば」
 「さっき、その刑事に呼ばれて、志村さんに会うてきたんです。あんな亡くなり方して、いい顔してはりましたよ。それだけが救いですわ」
 「そうやったんか。ええ顔な」
 岩田はよれよれになったスーツを脱いで洗濯用のロープに掛けた。そして、そのスーツのポケットから、杉田にもらったばかりのマイルドセブンを取り出し、火を着けた。青い煙が細く上った。
 「そうか・・・、ケイちゃんハメられたんやな。ほんで、真相掴もうおもて返り打ちに遇ったということか。今の日本は弱いもんを平気で踏み付けるヤツが多なった。正義言うもんがのーなったからな、ほんま」
 「志村さんは、自分のことだけ考えとったんちゃう思いますわ。そういうんがウヤムヤにされてしまう世の中を否定したかったんちゃいますやろか?」
 そう言った杉田は、自分が過去に受けた恨みを、志村のそれに重ね合わせていることに気付いていた。しかし、単に悪事がまかり通る世の中に一石を投じようなどと、安っぽい正義感で危ない橋を渡るつもりはなかった。
 「あんたも気いつけんとあかんで。ケイちゃんがあないなことなって、あんたに何かあったら、ケイちゃんに申し訳立てへんでな」
 杉田は、霊安室で眠る志村の白い顔を思い浮かべていた。あの安らかな死に顔は、一体何が言いたかったのだろうか。———俺が、あの時話しかけなければ・・・、という思いがどうにも消えなかった。
 彼の人生が一番、光り輝いていた時に、不運というべきか、自分の預かり知らないところで密かに仕掛けられた罠に、堕ちてしまうことになった。そうして志村は、社会の吹き溜まりに埋もれてしまった。
 ———俺が余計なお節介をやかへんかったら、少なくとも殺されることはなかった。あのまま何もせず、何ごとも起こらず、平穏に暮らしとった筈や。と、そう思わずにいられなかった。
 「刑事が持ってったメモに、ヤツらが気付かなかったとしたら・・・」
 「いや、そりゃ間違いないやろ。あれ以来いっぺんも顔見せてへんからな」と、岩田は陽の光で眩しそうに細めた目を向けて、
 「そやけど、安心できへんで。何しろ人ひとり殺してるさかいな」と言った。
 杉田は、それとなく周囲に目を走らせた。
 うっかりと居眠りでもしてしまいそうな日溜まりが点々とし、その向うに鏡のような川面が広がっていた。
 同じ大阪市内であっても、場所によっては開花時期に若干の誤差はある。高層ビルの谷間にある公園のものは日当たりが悪く、蕾さえ脹らんでいない。それに比べ、中之島周辺の桜は日射しが強いせいか、今にも弾けそうに脹らんでいた。
 ———ヤツらは俺の存在を、まだ知らへんらしい。そやけど志村が最後に持っとったノートに、もし、俺の存在を印す何らかのメモが残されとったら、間違いなく、付け狙われる筈や。
 杉田は岩田に礼を言い、その足で、志村と初めて会った公園に向かうことにした。
 天神橋の階段を上り、堂島川に沿った北側の通りに出る。南天満公園の角に派出所がある。
 杉田はその前で一旦足を止め、誰かと待ち合わせる振りをして、マイルドセブンに火を着ける。それとなく周囲を見回した。北詰の交差点から、北の天神橋筋へは緩く左へカーブしている。南は橋の中央が盛り上がっているので、反対側は橋の起伏に遮られて見えない。川沿いの西は軽乗用車が一台、信号待ちしているだけで、人通りはない。
 人の動きや不審なクルマは見当たらない。
 灰が落ちそうになるのに気がつき、慌てて携帯の灰皿を取り出そうとしたが、間に合わなかった。派出所のなかは、制服警官が一人。外の風景には目もくれず、書類のようなものに目を通していた。
 杉田は煙草を灰皿にねじ込むと、公園沿いの細い歩道に入った。このまま真直ぐ行けば天満橋に行き着く。
 派出所から少し行ったところにテニスコートがある。既に還暦を過ぎたであろう熟年夫婦ふた組、強い日射しの中でボールを追っていた。
 途中、河川公園へ降りる小径が所々ある。その何本目かの径をゆっくりと降りた。
 今は桜並木に殆ど日陰はないが、あと一週間すれば、この通りは花見の客で溢れることになるだろう。そして薄桃色の花で覆われ、その後は、鬱蒼とした緑に包まれるのだ。
 今にもはち切れそうな桜の蕾を見ながら、駆け上がりの小径を振り返った。サラリーマン風の若い男女が四人、レジ袋を手にして降りてきた。どこかで弁当を広げるのであろう。
 と、バッグの中で携帯が鳴り始めた。
 「あっ、杉田はんでっか? 今、どこですやろ?」
 馴れ馴れしい松浦の声であった。

いちびって、短編小説など。

2013.06.06 (Thu)

その男

    (一)あるホームレスの死

 久し振りの仕事であった。
 天満橋の得意先から帰ると、既に事務所ビルの灯りは消えていた。
 オートロックの暗証番号を押し、非常灯だけの通路を突き当たってエレベーターに乗る。  
 携帯電話の時刻標示は七時を過ぎたところである。
 事務所のドアに鍵を差し込んでいたら、部屋の中から電話の音が聞こえた。急いで中に入る。煙草のヤニとカビ臭さが入り混じった、絡むような臭いが鼻をついた。
「もしもし、・・・やっとお帰りでっか」
 聞きなれない声が、受話器の奥でした。
「堂島東警察の松浦言うんですが、杉田さん、杉田康平さんですやろ?」
 小商人風な話し方が気に食わなかった。
「はあ、そうですが。警察の方が、私に何か?」
 警察と聞いただけで、首の裏に不快な冷や汗が滲んだ。
「志村敬二さんご存知でっか?」
「ええ、知ってますが。その志村さんがどうかしました?」
「実は、亡くなったんですわ」
 警察から志村の名前を告げられた時点で、何となくそうではないかという気がしていた。
「それで、大変申し訳おまへんけど、ちょっとお話が聴けたら思いましてな
。ご足労でっけど、署まで来て貰えまへんやろか?」
「今からですか? 実は今から急ぎの仕事がありまして・・・、明日の朝なら大丈夫や思いますが」
「すんませんね。それじゃあ明日の朝いうことで、必ず」
 薄汚れたサファリ帽を被った、今にも消え入りそうな志村の顔が浮かんだ。日焼けした顔に深く刻まれた皺と、分厚く積もった垢。汚れがこびり着いた髪の毛であった。


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 杉田は、天職と思っていたデザインを、ある理由からきっぱりと見切りをつけ、今は細々とライターの仕事をしていた。ライターとは名ばかりで、貰った資料を元に手を加えて仕上げる、いわゆる業界用語でいうリライトが主であった。時には友人や伝手から紹介してもらった雑誌コラムのようなものもあるにはあったが、四坪の事務所の経費に消え、妻・沙希のパート代でやっと暮らせる、ヒモのような生活をしている。
 今回の仕事も似たようなものであった。通販会社のカタログの中の各商品を紹介する文章で、前回までの文章のトーンに合わせて、貰った資料にある商品の紹介をするというものである。
 仕事としてはまったく難しいことではない。一定の法則さえ守ってやれば、ものの五、六時間で終わりそうな仕事であった。
 杉田は、デスクの上に資料を広げて見た。商品ひとつ分に拘束される時間を二十分として、二十個近くあるから少なくとも三時までには終われる計算である。しかしいざ始めようとするが、志村のことが次々と蘇って、どうにも集中できなかった。かといって締切りは待ってくれない。明日の十時までに、テキストをメールで送ればいいのだが、朝、警察と約束をしている限り、何としてもそれまでに済ませてしまわなければならなかった。
 集中できないでいた杉田は、刻々と刻まれる時計に苛立ちながら、ようやくパソコンのキーをたたき始めた。
 予定より大幅に遅れて、出来上がった時、既に六時を過ぎてしまっていた。打ち上がったテキストをそのままメールで送り、パソコンの電源と落した。
 シャワーでも浴びたい気分だが、慣れない警察のことを考えると、少しでも体力温存して、一刻も早く仮眠することにした。
 ふたつ並んだ肘掛け椅子を相向かいにして腰を埋め、肘掛けのところに両足を掛ける。ちょうどスッポリと上半身が、ふたつの椅子の上に納まった。何とも珍妙な格好であったが、ものの三分で意識が途絶えた。

 翌朝、堂島東警察の二階で松浦刑事が待っていた。
 「杉田さんですな。ご足労お掛けしてすんまへんな」そう言って彼は、先に立って奥の 小部屋に向かった。顔の色艶から、まだ五十にはなっていないだろう。背は低いが肩幅が広く、がっしりとした分厚い胸板と、その上の猪首に乗っているスポーツ刈りの後頭部が、お椀型に透けていた。
 「後で仏さん確認して貰いたいんでっけど、その前にニ、三お訊きしておきたいことがおましてな」
 小部屋に通されると、若い砂川という松浦の部下らしい刑事が待っていた。
 松浦は砂川に目配せをして、部屋の隅にあるデスクからアルミ製の灰皿を摘み、杉田の座っているスチールデスクの真ん中に置いた。
 「早速でっけど杉田さん、志村さんとはどういう関係だったんですやろ? ホームレスでっしゃろ志村さんは。そやのにおたくとはどんな?」
 「ええ、話せば長くなるんですが」
 「なんぼでもよろしおまっせ、長うなっても。———おたくにはまだ話してまへんが、実は志村さんの死因に疑いがおましてな」
 「疑い? っていうと、誰かに殺されたとか?」
 「詳しいことは言えまへんが、その可能性はおまっしゃろ」
 隅のデスクで砂川刑事がパソコンのキーを叩いている。
 事情聴取を受けるつもりで来たのではないのにと、杉田は不満であったが、別に疑われるようなことをしていないという自信と、このことでひょっとしたら、杉田が、いや志村が抱えていた問題が劇的に解決できるかも知れないと思って、成りゆきに任せることにした。
 「あのオッサン、中之島の難波橋付近に浮かんでましてな、どうやら別の場所で殺されて、川に放り込まれたようですわ」
 「犯人の目星は・・・、っていうか、まさか私に容疑がかかってるんですか?」
 「いやいやそういう訳やおまへんけど・・・」
 松浦の目は一瞬、警察特有の下品な光を放った。
 松浦は、杉田に断って煙草に火を着けた。そして、ついでのように自分の煙草を薦めたが、断った。煙草は好きであったし、今は吸いたい気分ではあったが、薦められたのがハイライトであったのと、ドラマでよくある犯人を落ち着かせるための、お決まりの行動のように見えて、何となく不愉快になったからだ。
 「で、さっきの話しでっけど、ホームレスの志村さんとおたくは、どういう関係で?」
 「関係ですか? 〈同類あい憐れむ〉っていうんですか。———いや、冗談抜きでね。———去年の秋頃、南天満公園の遊歩道でたまたま会いましてね。そこで何となく喋っている間に身の上話しになったんです。そういう関係です」
 「その、同類あい憐れむいうのは?」
 「その話しが長いんですわ」
 杉田は、志村と会った時のことと、その時に話した内容をかいつまんで、松浦に説明した。
 「なるほど。それが同類あい憐れむでっか? で、志村さんと分かれた後は?」
 「はあ、私も志村さんと似たような経験が・・・、いや、精神的なダメージでですよ。それで、他人事と思えへんから、仕事の合間に調べてますねん」
 善良な小市民を、さも犯罪者を見るような目で、しかも自身の無能さを棚に上げ、心の中は誰彼構わず疑う卑しさで塊ったかのような松浦であった。
 杉田は松浦の、その喋りがだんだんぞんざいになっていくのにムカつき、杉田のまた、粗略な言葉遣いになった。
 「そりゃ警察のような訳にはいかへんけど、このまんま泣き寝入りするのも腹立ちますやろ。何より自分のことでもある思いましてな」
 「その調査言うのは、さっき言うてはった横領事件のことですな?」
 「ええまあ。そやけど素人やさかい上手くいきまへんわ。笑いますやろ?」
 「そんなことおまへん」と口では言ったが、皮肉で下品な目を隠そうともしなかった。
 「それでその後は、どないしはるんでっか? 調査が終わった後やけど」
 ますます荒っぽくなっていく松浦の喋り方に、さすがの杉田も血が頭に上り始めた。
 「ちょっと言いにくいことやけど、怒らんといてくれますやろか?」と言って、杉田はできるだけ穏やかに、そして見ようによっては威圧感を与えるように、松浦の顔を窺った。
 「彼、志村さんが横領事件に巻き込まれた時、警察の方では何もしてくれへんかったらしいですな。彼が言うにはね。———志村さんに落ち度はなかった。そやから釈放された。その後、職場に復帰したが、被害者であるにも関わらず会社では犯人扱いされ、とうとう居場所をなくした。———これって不公平や思いまへんか? そやのに犯人は今も、のうのうと生きている」
 松浦は頷いているだけであった。
 「悪いけど警察あんまり信用できへんし、でもまあ自分ひとりでやろうと思ってまへんしな。ある程度目星ついたら、雑誌にでも売って真犯人をあぶり出し、社会的な制裁を加えんと気い済まへん。志村さんも成仏できへん」
 「警察が信用できへん言うのは気に食わんけど、もしそれがホントなら問題やな。———で、その調査言うのはどこまで進んでますやろ?」
 「それは今、詳しくは言えまへんが、たぶんでっせ、首謀者と仲間は三人以上いると思いってます。そやし、外堀の証言だけで、斯くたる証拠というか、立証できるところまでいってまへん。別に隠すつもりじゃないけど、あと少しだけ待ってもらえまへんやろか?」
 松浦は納得した訳ではなかったようだが、それより志村事件の方が急がれているので、杉田とのことは後日改めてということになった。
 地下の霊安室に通された。薄暗くて湿っぽい無機質な通路を、松浦に案内されて歩いた。
 重い金属の扉を開けた。消毒液に混じって線香の臭いが漂う。
 「あんまり綺麗な顔ちゃいますけど、大丈夫ですやろか?」
 杉田が軽く頷くと、顔にかかっていた白い布を剥がした。
 やや砥の粉色に変色したロウ人形のような顔は、想像していたより穏やかに見える。髪は最後に会った二月の時より更に白くなり、目も頬も痩せこけて落ち窪んでいた。
 「間違いありません」そう言って、杉田は両手を合せた。
 「そうでっか」
 松浦も杉田に習って手を合せ、剥がされたままの布を、再び志村の顔に覆った。そして、
 「杉田はん、さっきはすんまへんでした。立場上ああせなあかんかったんですわ」
 松浦は白い布で隠された志村に顔を向けたまま、軽く頭を下げた。
 「ここだけの話しでっけど、この志村はんが持っとった資料、全部読ませてもらいました。よう調べましたな。素人や言うて侮れまへんわ。で、そのことでっけど、杉田はん、ひとつ取引きしとうおまんねん」と言って杉田の方を向いた。〈さん〉がいつのまにか〈はん〉づけに変わったのには多少不愉快に感じたが、取調室の時に見せた表情と打って変わり、人懐っこさを滲ませた松浦が、憎めなくなっていた。
 「取引き言うのは?」
 「志村はんの資料読ませてもらった後、ちょっとだけ調査記録調べたんですわ。確かに素人目には判らへんようなっとるけど、終わり方がスッキリせえへん。で、ワシ思ったんやけど、この志村はんが殺された原因いうの、もしかしたら、その横領事件と関係あるんちゃうやろかって。たとえばこの人が調べとる内に、本ボシの手にかかったとか」
 「俺もそう看て間違いないいう気がします。仏さん前にして言うのも悪いけど、汚いホームレス殺しても、何の徳にもならへん。何か都合の悪いことがあったからでしょう」
 「そういうこっちゃな。で、このことはワシと砂川しか知らへん。———ところでさっきの取引きでっけど、ワシに協力してくれんやろか? もちろん謝礼はさせてもらいま」
 謝礼がどれほどのものか・・・、せいぜい金一封にペラペラの感謝状くらいなものだろう。冗談ではない。杉田にボランティアをするほど、生活に余裕がある訳ではない。〈同類〉とまで思った志村の恨みを晴らすことが、もっとも大きな目的ではあったが、そのネタを雑誌か何かに売って金になれば、今までの苦労もいくらか挽回できる、と。
 「そこでな、杉田はん。せっかく後一歩のとこまで来て、トンビに油揚げさらわれるみたいに思われるのも何やし、謝礼だけでは割り合わへんやろ思うから、そこは相談なんや。あんたとワシらでこれから協力してホシを挙げるとしてや、一歩先にどっかの雑誌にでも持って行きなはれ。ほんですぐ後でワシが挙げるいうのはどやろ?」
 「それ信用できまへんな。今まで相当動いとるし、それなりに金遣うとる。抜け駆けされでもしたら、まるまるパーや」
 これにはさすがに松浦も怒らずにはいられなかった。
 「杉田はん。あんた、公務執行妨害いうの知ってまっしゃろ? 人ひとり殺されてるいうのに、証拠掴んどるあんたが協力でけへんとは言わせへん。場合によってはあんたを括ることやって・・・」と言って、松浦は自分の両手を前に突き出した。
 「今度は脅しでっか? へー、やれるもんならやってみたらどうです? その代わり今まで調べたこと絶対言わへん」
 松浦は真っ赤な顔をして、霊安室の扉を開けて通路に出た。杉田も後を追った。
 通路の反対側の扉から淡い外光が洩れている。松浦はその扉に向かっていた。がっしりしたスチール製の扉に小さなガラスがはめ込まれ、外側に鉄格子が嵌っている。
 松浦は難無く扉を押し開け、狭い階段を上がって行く。杉田も扉を押し開けようとしたが、松浦のように簡単にはいかなかった。
 シリンダー錠を回し、肩で押し開けて階段を上がると、フェンスに囲まれた駐車場が見えた。赤茶のコンクリートブロックに縁取られた中に、赤色灯の消えた車輌が数台並んでいた。
 「杉田はん、ワシを信用してくれへんか? ワシはあんたが思うとるほど狡い人間やあらへん。あの砂川かて、若いのに似合わず義理の分かるやつやしな」
 杉田は言い過ぎた自分に、少しばかり反省をした。
 「松浦さんはそんな商売やから仕方ないけど、俺も色々あって、他人が信用できへんようなっとるんですわ。勘弁してください」と言って、とりあえず頭を下げた。
 「・・・・・・・・・・・・」
 「そやけどひとつお願いがあるんや。———志村さんの資料返して欲しい、いや、コピーでもいいのやけど・・・」
 「それは無理や。それがもしバレたらワシ、最悪、免職になるねん。———そやけど、杉田はんの持っとる資料によっては、無理を利いたってもええで。もちろん極秘やけどな」
 松浦の顔に、人懐っこさが戻っていた。
 「そや、杉田はん、携帯持ってまっしゃろ? ちょっと貸してくれまへんか?」
 杉田が携帯電話を渡すと、いきなり番号を押し始めた。すぐに松浦の胸ポケットで鳴り出した。着メロが(ゲゲゲの鬼太郎)であったのが可笑しかった。 
 「その番号がワシの。———悪いけど、杉田はんの番号も貰いましたで。いつでも電話かけておくなはれ」そう言ってポケットに戻した。すぐに(ゲゲゲの鬼太郎)の着メロが鳴った。
 「おっ、ワシやワシや。ああ、今終わった」










短編のつづき

2012.11.12 (Mon)

(言い訳)
何しろ手書きのものを加筆しながらの投稿ですので、特に時系列の徹底が不十分でした。「菜緒(仮)-2」の「文句など言われることはないと。でも、口には出せない。」理由についての前提を、ちょっと訂正した次第です。

菜緒(仮)---3

・・・百回投げて一回引っかかるかどうか、殆どまぐれみたいなものだ。

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聡の勝手な思い込みだったのかも知れないが、普通の、ちゃんとした会社から見れば、とんでもない会社である。そういう怠惰なものを許してしまう空気が、会社全体に蔓延しているのだろうかと。
 一体、経営者は何を考えているのかと、そう言われても仕方がないほど、よろしくない強烈な空気を充満させていた。

 聡にしても最初に入った会社がこれだから、ともすれば「これでいいのだ」と思ってしまいそうであった。だが、一見だらしのなさそうな社風でありながら、ここぞという時の集中力が、あの空気の中から、どうして生まれてくるのだろうか、不思議でならなかった。

 社会人と学生との間にある、理解し難い違い。たぶんそれは生き方や価値観の違いという一般論的なものではなく、ヒューマンリレーションといった聡としては未体験ゾーンであったから、分かるはずもなかったのだ。

 ディレクターの大隈は、自他ともに認めるいい加減な男であった。しかし仕事のセンスといい、スピードといい、彼の右に出るものはいない。だから、彼がいくら遅刻しようと、出先を告げずに外出しようと、酒の匂いをプンプンさせながら仕事しようと、誰も文句を言う者はいなかった。

 スチールデスクの引き出しの奥には、いつも好きな酒が常備してある。酒なら何でもいいのかも知れないが。仕事の合間にチビリチビリと呑っている姿を、聡は時々、デスクライト越し見ていた。

 入社した当時、大隈は聡のことを「俺と同じ臭いがする」といったことがある。いい加減な大隈のことだから、根拠もなく言ったのだろうと聡は思っていた。だいいち、いい加減さにおいては大隈には敵わないし、それに聡は下戸だ。一滴の酒も飲めないのだ。

 それだけではない、大隈に似ても似つかぬ小心もので、結構周囲に気をつかう方なので、どこが同じ臭いなのか、聡には見当がつかなかったのである。
 多少短絡的であるが、大隈の豪放磊落さの中にある繊細さとのギャップは、聡にはある種、畏敬らしきものを感じたところであった。

特別お得意を説き伏せる話術があったわけはないらしい。しかし、自分が作った作品への、自信とか愛情のようなものは、特別な話術などなくても、伝わるものは伝わるだろうし、また、その自信は総て周囲を抑える力になっていたはずである。


「そや、大隈さんだけやない、もっか俺だけなんやけど」
「えっ? 中野さんひとり・・・だけですか?」
 釣り好きの聡にとって、中野忠は入社時からウマがあっていて、入社早々、彼のアパートに泊まったり、岸和田の一文字に繰り出していた。

「そうそう。土曜日やいうのに、君も大変やなあ」
「えっ? 土曜・・・」
聡の視線は、天井の隅のシミの辺りを泳いでいた。そして、ケイタイをOFFにして、目玉だけを菜緒に向けた。

「くっそー、知ってたんやな」と言って、狭い四畳半で菜緒を追い回した。「んのやろう。ケイタイまで貸しといて」
逃げまくる菜緒は、けっけっけっと笑って聡の手をかいくぐったが、突然止まって「シーッ、下の人に迷惑よ」と、自分の口に指を押し当てた。
聡はその腕を引ったくり、無造作に折り畳んだ布団の上に押し倒した。




短編のつづき

2012.10.22 (Mon)

菜緒(仮)---2

「誰も来てはれへんって、大隈さんもですか?」

 大隈二郎は聡の直属の上司である。遅刻常習犯でちゃらんぽらんな大隈を聡は、憎めなかっただけではなく、ある意味、憧れ的な存在でもあった。聡がもともとルーズな性格だからという理由で、共感したのではない。

また逆に、大隈のそういう生き方の真似ができるとも思わない。が、そう思いながらも大隈のようにできたらなどと、心のどこかで、密かに願ってもいたのも確かである。

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 いい加減な人間は、何も大隈ひとりではなかった。デザイン部長の森田にしてももよく遅刻するし、時々部長会議をすっぽかすらしい。ADの殆どは、始業時間が九時半と思っていないふしがある。それより、十時半を始業時間と決めている人間さえいるのだ。

 半年過ぎてもまだ、学生気分の抜けない聡は、この辺り、すごく気分が楽であった。二回や三回くらい遅刻したって、文句など言われることはないと。

でも、口には出せない。それに、遅刻しても仕事をこなしているADと違い、席さえ与えてもらえていないペーペーのド素人である聡が、そんなことを一言でも口にすれば、立ち所に、せっかくの話しがふいになるかもしれないからだ。

 いい加減というのではないが、常日頃変わった性格と言われる聡から見ても、相当、変わって見える人間がいた。ギターが上手い先輩で、聡のチームの太田という。彼は昼食から帰ってきては、いつもギターを弾くのだが、最後まで弾いたことが一度もない。イラストレータの津田は、旅先で手に入れたコキリコで踊る

。貧民ゲームに没頭する人。お菓子箱の仕切りめがけて十円を投げ、数字の多いものが、積み上げたお金を頂くという十円ゲームに没頭する。十円ゲームが飽きたというので、次に考えたのは輪投げである。輪投げと言っても単なる輪投げではない。セロテープが入った紙缶を輪切りにして、ビール瓶めがけて投げるのである。

紙缶は真っすぐ飛ばない。風の抵抗でどこへ飛んでいくのか、まるで見当がつかない。紙缶の輪っかを投げる時の、微妙な力加減と放すタイミング、それに、ビール瓶を直接狙うのではなく、どの位置めがけたらビール瓶に到達するかを、解析しなければならない。これは非常に難しい。百回投げて一回引っかかるかどうか、殆どまぐれみたいなものだ。



ちょっと短編を

2012.09.04 (Tue)

つい最近書き始めた短編小説のひとつ。
なかなか集中して書けないので、間隔が空くかも知れませんが、
何とぞご容赦を!


菜緒(仮)---1

———ガス欠のクルマを、無理にふかしているエンジン音のような・・・。そんなにふかさなくても、燃料がないなら、さっさと諦めればいいのに。
ウィーンウィーンと、苦しそうな音が暫く続き、ピタッと止まった。   
ああ、やれやれ、やっと諦めたらしい。


聡は、再び深い眠りに落ちようとしていた。二度寝の快楽はよく知っている。
真っ白な部屋の中で、パタンと扉の閉まる音。誰かが下りてきたらしい。
扉が閉まるとまた、ウィーンウィーンと響く。くそっ、しつこいな。誰なんや。いい加減諦めんか!
ひんやりとした何かが、頬に触れた。


聡は、ピッタリとくっついた瞼を、無理矢理こじ開けた。薄ぼんやりした影が、聡の顔に覆い被さっていて、窒息するところだった。
「あっ、起きちゃった?」
「なんだ、菜緒か」
「なんだじゃないよ。もうとっくに十一時よ。会社休むの?」
「えっ!」


聡は慌てて飛び起きた。そして、目覚まし時計に一瞥をくれて、外出着に手を伸ばした。菜緒は、ふっふっふっと傍で笑っている。聡は、笑っている菜緒を恨めしそうに見ながら靴下を履き、ジーパンに片足を入れたまま、とっとっとっとよろけた。余った足で、寝床を引っ掛けて折り畳む。四畳半の隅で、ウィーンウィーンと冷蔵庫が不服そうに声を上げている。
Tシャツを慌ててかぶったせいか、前後ろが逆で、また慌てた。
「くそっ!」


イライラしていた。頭の中では、どんな言い訳しようか、などと子どもじみたことを真剣に考えていた。今月は、これで三回目だ。自分用のデスクさえ、まだ与えてもらっていない、ペイペイで薄給の、いくらでも替えのきく新入社員が、こう度々遅刻すれば、いつかきっとクビになってしまう。マジで。
就職氷河期だというのに、一度戦力外になった人間に、中途採用などという甘い道を探せるなんて、今時、殆ど絶望といってよかった。


「菜緒、ケイタイ貸して!」
「いいけど、どこに電話するの?」
「決まってるやんか、会社や」
菜緒はしぶしぶケイタイを渡しながら、まだ笑っていた。
「なんでおかしいんや? 人がクビになるかどうかいう瀬戸際やいうのに」


菜緒のケイタイを、引ったくるようにして番号を押す。でも、手が震えていて上手く押せない。聡は、いつまでも笑っている菜緒にも、鈍臭い自分にも腹を立てていた。
呼び出し音は聞こえるが、なかなか相手が受話器を取らない。聡は時計に目をやった。十一時を少し回ったところであった。


「なんで出てこない」
聡は、いちど電話を切り、リダイヤルを押した。
「もしもし、宣研社ですが」
三度目でやっとつながった。


「あのう、柴門ですが。今日ちょっと立ち寄りでして、昼前になる思います」
「ああ柴門君? 君のチーム、誰も来てへんけど、君、今日出てくるの?」
「誰も来てはれへんって、大隈さんもですか?」



叔父の中の戦争――(了)

2008.02.05 (Tue)

〈人間というもんは、ほんま、愚かなもんやで〉
生き証人の叔父が言うのだから間違いはない。繰り返す歴史が証明しているように、暴力は暴力によって復讐の連鎖が生まれている。蒋介石は、それが分かっていたのだ。

お互いの国のルールを守っていれば、戦争なんて起こることはないのだ。と、単純に考えると、誰もが理解できこと。だが、国と国の間には我々の理解を超えた複雑な問題がある。宗教や民族意識、経済的な格差や政治と外交のバランス。それらがちょっとしたことで崩れる。こうした小さな綻びが価値観の違いを際立たせ、お互いが譲れなくなるのだろう。そしてこの小さな綻びが、やがて恨みや憎悪に変わり復讐の連鎖が始まるのだ。

ルールを守るということは、つまり、相手の立場を考えるということで、自分の価値観を無理に押し付けてはならない。望んでいない価値観を無理に押し付けたり、己の思惑のままに暴走すれば必ず衝突が起きる。しかし、悲しいかなこれを実行できる国は、この地球上には存在しない。

戦争なんて、したくてしているのではないと言うが、したくてすることもあるし、防げたかも知れないが、敢えてしなかったばかりか、誘導する場合だって過去にあった。
広島、長崎の惨劇に集約される大戦も、ある外交官の交渉で防げたかも知れなかった。いや、少なくとも原爆の投下などなかった筈だ。


十一月に入ると、寒波に包まれ、大地は凍てついた。この頃になると、日本人収容所は慌ただしくなった。本格的な冬が到来する前にと、引き揚げ船に向かう行列が、目に見えて動き始める。しかし、それを待切れずに命を落していく者が後を絶たなかった。死体を燃やす燃料がないため、終戦直後に掘った墓穴に、まるでゴミ屑のようにトラックに積まれ放り込まれる。墓穴の中は何百何千の死体が重なり合い、腐敗する間もなく凍りついた。

白い湯気を上げる炊き出しのコーリャンの列に並ぶ、その列で容器を手にしたまま、老人が凍土に倒れる。戦勝戦勝と浮かれ、まるで世界を手に入れたかのように有頂天になっていた人たちが、今度は、虫けらのように死に、墓穴に放り込まれるのである。一体、何のために大陸に渡ったのか。決して虫けらのような死に方をしたいがために渡ったのではない筈。

昭和二十年、十二月十六日。
章吾たちは、極寒の大連を離れた。岸壁を離れる貨物船のデッキで、真っ白な雪煙に霞む大連の港が小さくなっていく。荒涼として冷たく、そして、真っ赤な血で染まった大地が、視界から消えていった。もう二度と、この地を踏むことはないだろう。たとえその時がきたとしても、彼らは決して許してくれはしない。銃剣の先に残る、あの少年の温もりが消えることは、決して、あろう筈はない。

  了


ショートストーリーのつもりで考えていましたが、ここまで長くなるとは、想像していませんでした。長々と、拙い文章を読んで頂き、感謝します。
書きながらの投稿でしたので、なかなか上手くまとめられず、しかも叔父から聞いた話しの中で、触れることを躊躇させる部分もありましたので、不本意ではあります。しかし、時系列の記憶の曖昧さを除けば、ほぼ事実に基づいたものになっております。

戦争、敗戦、戦後。百年近くに及ぶ激動の日本を、あの時に戦って散っていった若者たちは、この今の日本を見て、どう思っているのだろうかと、考えます。“戦争は断じて許してはならない”。これは、私に限らず総ての人が思っていると信じます。

日本を護るためには、そして、もし家族がそれによって犠牲になったとしたら、我々はどう行動すべきか、正直、私には答えが出せません。しかし、分かっていることは、“ことが起こった時に、どう対処すべきか?”より、“ことが起こらないために、どう行うべきか?”を、真剣に考えるべきだろうと思うのです。ありがとうございました。


叔父の中の戦争――(33)

2008.01.29 (Tue)

終戦による混乱と連合国の支配下という重圧に加え、大陸や南方に残された六六十万人の引き揚げは重大な課題であった。ところが、占領下で無政府状態の日本は外交権を剥奪され、自力にによる引き揚げの権限はなかった。結局、マッカーサーに陳情するしか手はなかったのだ。しかし、マッカーサーの手を借りても、ソ連はヤルタの密約を盾に動かなかった。

『暴に報ゆるに暴を以ってせず』。
暴力は暴力によって報いてはならない。引き揚げを容易にした大きな力は、蒋介石のこの一言であった。

もはや交渉の席にも着けない日本は、それまで敵国としていたアメリカや中国に対して、神にも祈る気持ちであったに違いない。情けない。まったく恥知らずな日本であった。

マッカーサーと蒋介石の力で、ようやく引き揚げに向かいだしたのだが、それに使用する船が残っていなかった。無謀な戦争を延々と続け、外航船舶の殆どが撃沈され、残存する艦船を総動員しても、疲弊し切った日本に引き揚げ船として用意できる筈がなかった。米軍は病むなく、軍の補給用に使用していた貨物船などを二百隻用意して、それを引き揚げに充てた。

思えば一九〇五年、日露戦争に勝利した帝国日本に、日露講和条約をもって満州(清国東北部)の権利と財産を、日本に移転譲渡してから四十年間。国を奪われ、国民を蹂躙され、恨みはあっても引き揚げの手助けをする義理などありはしない。なのに蒋介石は、暴力は暴力によって報いてはならないと。

あの一言で日本は救われたのだ。六六十万の軍人や一般人が、僅かな損耗率で祖国の土を踏むことができたのは、彼の、この一言があったればこそである。
『暴に報ゆるに暴を以ってせず』。
この言葉の重さが、日本人に理解できたであろうか。

ただ、連合軍も中国も、日本人の早期帰還につとめたが、ソ連だけがこの協定を踏みにじった。日ソ中立条約侵犯はもとより、関東軍武装解除後の六十万人の兵隊を騙し、極寒のシベリア奥地へ連れ去ったのだ。兵隊だけではない。銃に一度も触れたことのない一般人も多く含まれ、それらに加えられた凄まじい掠奪と婦女暴行という事実だ。

更に、大連は国際自由港とすることがヤルタでも中ソ条約でも定められていたのだが、実際は旅順軍事基地の領域内であることを理由に、ソ連は米軍艦船の入港を拒否し続け、中国政府からの要人をも、様々な理由をつけて妨害した。

妨害した最大の目的は、日本の惜しみない投資で造られた、大量の工場施設の解体と搬出を秘匿するためにあった。満州、朝鮮、そして旅順、大連には日本が投資して造られた優秀な施設があったが、ソ連は、抑留中の日本人を使い、解体して総べて持ち去ったのである。軍需倉庫に残っていた大量の物資、石炭、そして林立するクレーンも残らず。まさに“ダワイ”である。

〈日露戦争の仕返しやいうても、ほんま残酷で卑しい民族やで。それにしても、ソ連の“ダワイ”は想像を絶するの〉

   つづく

叔父の中の戦争――(32)

2008.01.18 (Fri)

野菜は間引きし足跡は消したから、すぐにバレることはないが、これまで何度となく農民の襲撃に遇っていたので、用心するにこしたことはない。できるだけ早く、この場を離れた方が賢明だということで、崖の上の林を山猿のように走った。

と、遠くで列車の汽笛らしい音が聴こえた。章吾たちは顔を見合わせ、小踊りして喜んだ。岬の峰を這うようにして、海岸沿いにある林に身を隠し、汽笛の震源地を探した。二週間も迷走して、やっと辿り着いたのは大連行きの始発駅「庄河」であった。

章吾たちは「庄河駅」の改札口を遠目に見ていた。駅周辺の警戒はそれほどでもなかったが、地元住人に日本兵と知れるとどうなるか、今まで散々な目に遇っていたから、改札口を入ることは諦め、線路を見失わないように西へ進んだ。

途中、行きがけの駄賃とばかりに畑で芋を掘り起こして奪い、土塊のついたままリュックサックに入れて線路際に飛び込んだ。生の芋をくわえたまま、次の列車を待ち構えた。列車がカーブで速度を落すことは分かっていたので、それまで雑草に紛れて身を潜めることになった。

身の軽い章吾と塩田という若者が、まず飛び乗り、残る三人を引き上げる段取りで、数百メートル先で待機させることにした。うまくいかなければ、次の列車を待ち、大連で落合おうと。

二時間ほどで列車が近づいた。予想通り、列車が速度を落し始めた。章吾と塩田は、最後部に隠れるようにして回り込み、デッキの金具に取り付いた。金具は氷のように冷たかった。飛び乗った章吾が塩田を引っ張り上げる。それから間もなく、三人の仲間が草むらから次々と現れ、難無く乗ることができた。

最後部のデッキで恐る恐る客車内の様子を見たが、庄河からの客は殆どいなかったようだ。さりげなく客車の扉を開けて、五人は素早く、硬い座席に着いた。幸運にも気付くものはいなかった。次の「皮口駅」でも客は疎らで、うさん臭そうに見られはしたが、いたって大人しいものだった。

安東を発って約二週間。章吾たちは、やっと人間らしい生活を取り戻した気がして、気が弛んだせいか泥のように眠った。
大連に着いたのは、それから二日後である。ボロボロの身なりの、乞食同然の章吾たちは、人波に紛れて大連の駅を出ると、その足で日本人収容所に入った。奉天の収容所同様、そこでも引揚者で溢れ返っていた。

〈ところが、やっと戦争地獄から開放された思ったら、またぞろ地獄の門が目の前にあったんや。ソ連軍や。ソ連軍が大連や旅順を牛耳っとったんや〉
〈でも、ソ連軍が参戦してから三ヶ月足らずやないですか。三ヶ月も経たない内に大連まで?〉

〈袋のネズミいうこっちゃ。安東で新義州(現北朝鮮)に渡れへんかった、封鎖されたわけを考えたらすぐに判るこっちゃけど、まさかそんな早よ、あんな先っちょまで占領しとる思わへんやろ。だいいち旅順や大連言えば、ちょっと前までは日本みたいなもんやったし、敗戦したからいうてもやで、まだまだ日本の兵隊がぎょうさんいたもんやさかいに、“ああ日本に帰った”とタカをくくっとったんや〉

終戦と同時に満州と関東州の権益が消滅した後、主権は中国に戻る筈だった。八月九日、満州に侵攻したソ連軍は、満州はもとより樺太、千島、北朝鮮、遼東方面まで征圧し、翌年五月に撤退したにもかかわらず、大連地区にだけは大きな顔をして居座っていた。

ドイツ降伏後、対日戦を開始する条件としてスターリンは、それまで日本が領有していた総ての国や地域を海軍基地として租借、大連港の優先使用、満州内の鉄道を、中ソ合弁にしてソ連が優先使用などを、昭和二十年二月の米英ソ三首脳のヤルタ会談で認めさせた。

主権国・中国を無視してソ連は、強引に密約を結んだのである。このことをアメリカから知らされた中国側は驚愕したが、アメリカの援助が欠かせない中国はやむなく同意し、ソ友好同盟条約を結ばざるを得なくなった。そうしてソ連軍の侵攻後、旅順と大連はソ連軍司令部が支配し、大連港長にはソ連軍人が収まり、事実上ソ連の港として牛耳られた。

〈日露戦争の仕返しをしたいうわけやな。まあ、日本軍がやらかしたことは、国策であったにせよ身勝手な行為で、ロスケにとっては、甚だクソ迷惑なことやったやろし、復讐言われてもしゃあない。そやけど、その後ロスケのやった行為は、人道的にも絶対許されへん。ソ連には“ダワイ”いう文化があるっていうけど、昔も今も、ちょっとも変わっとらんわな〉
 
   つづく

叔父の中の戦争――(31)

2008.01.11 (Fri)

船を奪ったことを悔やんだが、死んだものは生き返らない。ところが不思議にも、仲間が目の前で死んだというのに、心の中は鉄のように冷めていた。せっかく戦争で生き残って、あと何日かすればふる里に帰り、暖かな布団でゆっくりと寝ることができただろう。と、そう思いやる気持ちはあったが。

〈そやけど、その若者が死んだことより、死人を見て何の感情も湧かない自分が恐かったな。戦争が終わって、もしかして平和な国で、人を殺さんでもいい世の中になってもやで、誰か大切な人が死んだ時に、戦時中とおんなじ鉄のままだとしたら、自分が恐ろしいいう気がした〉

昨夜の強風と打って変わって、穏やかな朝日が顔を出していた。今なら風に押し戻されることなく、海を渡れることができるかも知れないが、奪った船は、既に消えていた。

死体は置き去りにするしかなかった。線香の代わりに煙草に火を着け、手を合わせ、遺品の整理をした。永原という若い青年は、二十歳になったばかりであった。胸ポケットの中に家族らしい一枚と若い女性の写真が、油紙に包まれてあった。結婚を約束した相手であったのだろうか。主とともに歩みを止めてしまった時計を腕から外し、所持品を入れたバッグに写真と一緒に、一旦入れたが、二枚の写真だけ胸ポケットに戻した。

一番体力のある章吾を先頭に崖に挑んだ。高さはそれほどないが、まさに壁であった。岩の裂け目につま先を突き入れて、捉まえる岩をめがけて片方の足の反動で上っていく。そして、ゲートルを繋ぎ合わせてロープ代わりにしたもので、二人目の仲間を引き上げる。その繰り返しで、ようやく壁を上り切った。岩を上ることで身体は温もったが、如何せん体力が激しく消耗していた。それに、まる一日何も食べていなかったので、飢餓も迫っていた。

〈とにかく何か腹に入れんとあかんと思ったが、何にもあらへん。まさか死体を食うわけにはいかへんやろ。そやから、草を食うしかあらへん。アルミ鍋に食えそうな草を放り込んで、塩ぶっかけて煮たんや。不思議やでー、普段なら即効に腹下しそうなもんでも、追い詰められると何でも入りよるわ。松ヤニまで食ったがあれは旨ないな〉

その後は、まるで牛であった。草を食い、枯れ草の中に潜って寝る。枯れ草の中は暖かかった。夕方、空腹でようやく目が醒めた。五人はためらいもなくアルミ鍋に草を入れた。朝と同じ献立である。そして、次の朝まで眠り続けた。章吾は腕時計を外してポケットにしまい込んだ。どうせ時間など見ないに決まっているし、昼間と夜さえ分かればそれでいいのだから。

翌日、早くから発った。岬の尾根づたいに歩き、歩きながら口に入れられるものがないか見て歩いた。どの辺りを歩いているのか、殆ど分からなかった。庄河の近くであることは間違いないが、そこが大連までのどの位置にあるかが、まったく不明であった。常に左手に海を見て歩けば、大連が近づくと信じて歩いた。松林の隙間に、二日前に船を奪った入江が見えた。岬から内陸へ向かうには注意は必要である。いつ何時山狩りに遭遇するとも限らないし、それから逃れる体力は殆ど失っていたから。

尾根を二時間ほど歩く内に、なだらかで雑木に埋もれた平地に出た。その雑木の中に入ってしまうと、木擦れの音で気配を消すことができないので、一旦尾根に戻って西の斜面を這うようにして迂回した。左側は岩場の急斜面である。

雑木林が切れた。木立の隙間から畑の畝が見えた。五人は息を殺して気配を窺った。三人が見張り役に立ち、二人が畑に這い出した。誰もいなかった。章吾たちは、奪った野菜を持てるだけ持って、すぐにその場から逃走した。
更に一時間ほど歩いて、再び崖の窪みの中に入り、今度は本物の食事をした。人間の食えるものがこれほど旨いものだと、あらためて認識したのだ。

   つづく

叔父の中の戦争――(30)

2008.01.06 (Sun)

一日がとてつもなく長いと思われた幼少時に比べ、年とともに時の経つのが急速である。四十を過ぎる辺りから、一日がこれほどまでに早いものかと思い、五十を境に一年があっという間に終わり、年が明け、バタバタと正月を過ごしたと思えば、目まぐるしく季節が巡る。

人間の一生というものが気の遠くなるほど長いと感じた頃は確かにあったし、懐かしくもある。がしかし、今、それに反比例して確実に年老い、急速に近づくものがあることも分かってきた。

時として不慮の死に遭遇することもある。そして絶望感の果てに生きる気力を失ってしまうことさえあるが、その反面、“生”に対する飽くなき欲望もあるもの。何故、人間はこれほどまでに矛盾を抱えながら、生きているのだろうと思う。

七釜温泉で初めて見た叔父の身体には、無数の傷跡が残っていた。その殆どが、六十数年前の戦争で負ったものだという。まるで拷問にでも遇ったように。〈そや、言う通り戦争という拷問や、この傷は〉
そう言いながら叔父は、白く光ったそのひとつひとつを指でなどった。

〈これだけぎょうさん負った傷やけど、敵から受けたもんはひとつもない〉
背中、肩、上腕部、腰、尻から大腿部にかけてある数え切れない傷跡は、紛れもなく死と隣り合わせの恐怖と、地獄から這い上がった者だけが持つ証であった。

戦争を体験した者の中には、それらの傷を“勲章”といって自慢する者も少なくないという。
叔父は失笑した。〈そりゃ、確かに敵の銃や砲弾に傷付いた者もいたやろ。だがな、そいつを自慢するようなやつに限って、大したことをしてないんやな。恐らく、ワシとおんなじように上官から受けたもんやろ〉

叔父が言う“大したこと”というのは、一体何であったのかは、敢えて聞かなかった。叔父を含めて多くの日本兵がしたように、敵の首を“とる”ことが、天皇、延いては国家への忠誠だとされた時代。歴戦を征し、多くの“首”をとった者だけが勇者であり、尊ばれた。そんな時代であった。しかし、“大したことをしていない”と失笑した叔父の中の戦争は、天皇や国家への忠誠心などといったものと相反するものを感じた。

戦地で青春時代の大半を過ごした多くの若者は、国家に忠誠を尽くし、神である天皇を信じた。生死の境界線でしかでき得ない友情も、確かにあった。その戦友のためにと、自らの命をも肩替わりした若者も少なくなかった。なのに・・・。

戦地で戦った章吾たち兵隊が受けた傷のひとつひとつが、終戦を境に、呪われるべき戦争に対して、そして、かけがえのない家族や友を失った怨念が、押さえようもないマグマとなって噴出したのだ。終戦直後に頻発した“上官殺し”は、その現れであったのだろう。

“王道楽土”は夢のまた夢、そんなものは欠片もなかった。後に残ったものは絶望感のみである。愚かで無意味、このことに尽きた。



大連への道のりは途方もなく長く、そして絶望感に満ちた日々であった。この頃になると月日の観念が消え、昼間と夜の狭間を往復するだけ。十月に入って十日ほど経ったようであったが、何月何日ということの意味を完全に失っていた。

安東を出発して以来、一時たりとも気の休まることはなかった。章吾たちにとって、さながら延長戦を戦っているも同然。漁民や農民に夜襲をかけられて逃走する中で、山賊への変身はさほど時を要しなかった。昼間の道はもちろん、山中を這いずり、道なき原生林に身を潜めてもなお、松明を掲げた群集の山狩りに度々怯えた。

わき水で飢えを凌ぎ、木の実や草を口にしても、飢餓の恐怖が常に章吾たちを支配していた。

庄河の入江が見えた。船着場に数艘の船が係留されているのが遠目に見えた。章吾たちは夜を待ち、人気の途絶えるのを確かめると、ニ艘の船を奪った。三人乗るのがやっとの、しかも手漕ぎの小型船である。その船に分乗して岸を離れた。入江の西の岬を回り、更に西へ向かおうとしたが、大陸風が思いの外強く、波の合間で木の葉のように揺れた。うっかりすれば、あっという間に陸から離れてしまう。

沖へ向かう潮流が待ち受けていた。それに捕まれば、大連はおろか二度と陸へは上がれない。章吾たちは必死に漕ぎ続けた。しかし、潮流に抵抗するのがやっとで、ただ体力を消耗しただけであった。
西へ向かうのを諦めた。元の港へ引き返そうとしたが、それさえも不可能であった。章吾たちが死を覚悟した時、岬の先端に打ち上げられた。船はそのまま乗り捨てて、ずぶ濡れになりながら岩場を這い上がった。

九死に一生を得た思いで岩場に辿り着くも、目の前に岸壁が立ちはだかり、茫然と見つめるだけであった。消耗し切った彼らに、壁をよじ登る余力は残っていない。

身を切るような冷たい風が吹き付け、ただじっとしているだけで凍え死んでしまいそうであった。流木に火を着けようとしたが、強風で思うように燃えない。仕方なく岩の窪みに六人、一塊りになって朝を待つ以外になかった。眠れば一環の終わりである。だが、夜が白々と明ける頃には仲間のひとりの息が絶えていた。

   つづく

叔父の中の戦争――(29)

2007.12.20 (Thu)

〈あれだけ死にもの狂いに走ったのは、訓練の時以来だったやろ。あの訓練がなかったら、ワシらあの時、何とも知れん漁民になぶり殺しになっとるやろ。どこをどう走ったんかまるで憶えとらん〉

砂浜で足を取られ入江の崖をよじ登り、這々の態で松や雑木の生い茂る斜面で振り返ると、松明を持つ漁民たちの群れが遠く、小さくなって見えた。
章吾たちは雑木林を這い上がった。日本が敗北したとはいえ、死と隣り合わせの毎日をやっとの思いで切り抜け、祖国にあと少しというところまでやってきて、易々と命を落すわけにはいかないと思った。

漁民が追ってこないことを確かめると、その場に倒れ込んだ。仲間たちもヨロヨロと集まってきた。しかし、八人いた仲間が六人になっていた。どこで逸れたものか、だが、二人を探す体力も気力もなく、バタバタと倒れ込む音が聞こえただけで、ものの数分もしない内に意識が遠のいた。

目覚めた頃には、既に太陽が真上にあった。晴れ渡る西朝鮮湾。とはいえ、十月の海風は刺すほどに冷たかった。寒さに加え、身体中のあちこちに激痛が走った。立上がろうとしたが、膝を捻ったらしく思うように歩けなかった。それだけではない、手といわず足といわず身体のありとあらゆる箇所に傷を負っていた。章吾だけではない、無事な者は一人もいなかった。

激痛の残る膝に松の枝で当て木をして縛り、見失った仲間を探しに崖の端まで歩いた。がしかし、足が竦んでそれ以上覗くことができなかった。よくぞここを登れたものかというほどの絶壁で、再び降りる気持ちにはなれなかった。砂浜には章吾たちの足跡が、延々、浜の先まで続いていた。

二人の捜索は諦め、傷ついた身体が回復するまでそこに留まって、ただ待つことにした。二人のことも気にはなっていたが、それよりももっと現実的な問題があることに気付いた。安東から数日で大連に着けることが前提で、奉天を出発する時に、ほんの一週間程度の食料しか持って出なかった。これから歩いて大連まで行くとなると、間違いなくニ、三日で飢餓が訪れる。

〈お前たちは飢餓を経験してないから分からんと思うが、あれを経験すると人間が変わるんや。正常じゃいられへんようなる。それも異常な行動に走るか、脱力して餓死してまうかどっちかや。満州で、飢餓に苦しむ人たちが、亡くなった人の肉を食べたいう話しを、何べんも聞いたからな〉

章吾たちは、自分たちが発狂する前にと、残り少ない持ち合わせの食料を集め、その日は、缶詰めと干し飯のみで腹ごしらえをした。そして、林の中の枯葉や草を掻き集め、その中に潜り込んで寒さを凌いだ。膝と身体中の傷がズキズキと痛んだ。

若さも手伝って、怪我の回復は思いの外早かった。その日は何もせず一日中枯れ草の中に埋まり、過ごしたが、翌日の昼になっても、二人は結局現れなかった。出発を決心した時には、食料が殆ど底をついてしまっていた。

〈それからやな、山賊生活に変わったんは。明るい内は山の中を歩いて、暗なったら浜を歩く毎日や。海が近いから、貝や海草、時には海に潜って魚を捕ったりしたが、そりゃ最初の内は他人の物を盗むいうのに、何とのう罪悪感があったからな。そやけどそんなことは言っておれん。ヘビや野良犬も、食えるもんは何でも食った。それも見付からん時は、農家に忍び込んで野菜や鶏をかっぱらった。そや、羊を食ったこともあったな。さすがにあの時は気が引けたけど、空腹には勝たれへん。暴れる羊にサルグツワかませて、担いで山の中に逃げ、そこで解体して食ったんや。美味しかった?・・・アホ言いないな。美味しかったかどうかの前に、いかに腹脹らませるかや。まるで餓鬼や。いよいよとなったら、人でも食う勢いやったで。・・・あれだけ死ぬことしか考えへんかったのにな。人間いうもんは、死を目前にすると誰でも餓鬼になるんやと思った〉
 
   つづく

叔父の中の戦争――(28)

2007.12.18 (Tue)

吉村の息子の所属する部隊は、北平北部から更に内蒙古北部を転戦し、そこで全滅したということであった。しかし、全滅した部隊からは遺骨ばかりか、遺品ひとつ持ち帰る者はいない。どこでどう死んだのか、それさえも一切分からなかった。情報を持ち帰った兵隊も、北平から五台山までは同じルートで戦い、北上する彼らの部隊を見送った後、別行動になったのだ。

吉村はショックを隠せなかった。だが、証拠の遺品もなければ噂でしかない話しを信じるわけにはいかなかったので、章吾が引き揚げた後も奉天に居残り、探索を続けるつもりであったようだ。
九月も終わる頃、奉天は大陸特有の空っ風が吹き荒れ、夜ともなれば防寒着を着込まなければ耐えられないほど冷えた。

九月三十日。
未だ引き揚げ許可が下りない在満同胞に後ろ髪を引かれながら、章吾は、仲間数人とともに列車に乗った。行き先は安東であった。
〈安東まで行けば何とかなるという話しやったが、ワシはまったく帰る気なんぞなかったし、そやけど、奉天にいとっても仕方ないし、かといって自分で死ぬ勇気もなかった。どうでもよかったんや。仲間が手を引っ張ってくれへんかったら、たぶんあのまんま吉村さんと大陸に残ったやろ思う〉

〈吉村さんや息子さんは、結局・・・?〉
〈それっきりや。ワシが帰還して、そやな、何年かしてから静岡に手紙出したんやが、返事はなかった。彼の両親はもういないし、別の場所で暮らしとるんか、それとも満州であのまんま・・・〉

奉天から安東までは三日ほど要した。終戦までは日本の領土であった朝鮮、しかも鴨緑江の向いの新義州は目と鼻の先なのに、敗戦と同時に封鎖され、満州を脱出するには船で大連を目指すしか手はなかった。
〈何ちゅうか、往生際が悪い言うんか、死ぬことしか考えへんかったのに、仲間が日本、日本と言う度に何もかも投げ出して逃げとうなったんやろな。船に乗って大連まで行けば、日本に帰れるとな〉

ともかく何とかして大連まで辿り着いて、そこで引き揚げ船にでも乗り込んでしまえば、日本に帰ったも同じだと。章吾の仲間たちは、もうその時点で殆ど、我が家の庭先まで帰ったような気分でいたようだ。が、しかしそう甘くはなかった。

安東の町は思いの外警戒が厳しく、しかも大連までの船便が見付からなかった。かといって、せっかくここまで来て、奉天に引き返すこともできない。
安東に集まった元日本兵は、章吾たちばかりではなかった。その中には、もう日本は日本でなくなったとか、アメリカの支配下になって、あちこちで大量殺戮が起こっているらしいなどと、見もしないでいい加減なデマを飛ばす者も現れた。しかし、だからといって満州に残っていても、ソ連軍や中国人の餌食にされるのは目に見えている。

〈どっちにしても殺されるなら、歩いてでも大連へ行くしかない〉と決めた章吾たちは、とりあえず港まで出て、漁船にでも乗せてもらうしかないと考えた。
疲労困憊の身体に鞭打って、安東から西へ歩きに歩いた。

安東を出て二日目であった。大孤山の港へと別れるところで、同胞たちはそのまま西へ、章吾たちは彼らと別れて海を目指した。大孤山の漁村で、大連まで乗せてもらえるかどうか交渉したのだが、日本兵と知ると途端に態度を豹変させた。やむなく海岸づたいに西へ、どこかで漁船をつかまえようと、その晩は大孤山の港で野営することになったが、それがいけなかった。

その日の夜半、松明を持った数十人の漁民の襲撃を受けることになったのである。武装解除によって銃や日本刀を返上している章吾たちは、たとえ戦争を知らない漁民であっても、大勢の荒くれが相手では、ひたすら逃げるのみである。
とにかく西へ向かって走った。走って走って、追い掛ける松明が小さくなって、見えなくなるまで走った。

   つづく

叔父の中の戦争――(27)

2007.12.17 (Mon)

当時、ソ連軍の本体は西方に殆どの勢力を注いでいて、極東アジアへ軍を移送させる時間がなかった。やむなく軍は、シベリア方面の刑務所に収容されていた囚人を、にわか軍隊として編成し満州へ突入させたのである。

関東軍の残虐行為を思えばソ連軍を非難できないところはあるが、それにしても、彼らの規律のなさといい残虐さといい、ケダモノに勝るとも劣らない極悪集団であった。しかも、恐ろしく強欲ときていた。
先勝気分で町を伸し歩くロ助(ソ連兵のこと)は、手当りしだい強奪し、「ダワイ(よこせ!)」と言って身に着けているものの総てを剥がし、奪い取っていった。そして、女と見るや誰かれかまわず強姦したのである。

まもなく日本人会が結成された。特に女性はソ連兵のうろつく町には近づかないよう、やむを得ない時は髪を刈り上げて男装せよとの達しが出たくらいである。

ソ連軍の参戦で家財の総べてを失った北満の開拓団は、特に悲惨であった。ボロボロの衣服や中には首と両手足を出しただけのマータイを纏い、徒歩で新京まで避難してきていた。新京でも極度の飢餓が襲っている。なけなしの家財や衣類を、飢えを凌ぐためにただ同然で売り食いしていた。

満蒙の冬をよく知る在留邦人は、極寒の季節が到来する前に大きな穴をいくつも掘った。いわゆる墓穴である。飢餓で喘ぎ、その上、着の身着のままで彷徨う邦人は、暖かいコタツもなければ、半年にも及ぶ冬を越せる体力すら残っていない。一番体力にない幼児と老人が、真っ先にこの墓穴に入らなければならないと読んでいた。死人が出てからでは、凍てついた大地に穴を掘ることは不可能。案の定、次の春が来るまでには、千二百人の同胞の命が消えてしまった。

〈国体護持だか何だか知らんが、己らの都合が悪うなったら、ケツ捲ってさっさと帰りよって。大陸に残された人たちのあの有り様を、国のやつらは何と心得とるんか。ワシらがやってきたことは、一体何やったんか、情けない。お国のためにとか何とかぬかしくさって、何の恨みもない人をぎょうさん殺してから、しかもや、他所の国を勝手に奪いよってからに。・・・敗戦? ああ、こんな国、負けて当然や!ワシは初めっから分かっとった〉

額に青筋立てて吼える叔父は、あの時のことだけを思い出して怒っているのではなかった。今の日本の有り様と、国家と国民の妙な対立関係に、あの時代と重ね合わせていたように思う。そして、人が人であるべき姿に、救い難い矛盾を感じていたのだろう。

とりわけ険しい地形のこの山陰線はやたらとトンネルが多い。残暑に照らされて眩しく光る日本海、そして叔父が抱える暗闇とが瞬時に交錯する。その暗闇に映る自分の顔が、叔父が乗り移ったかのように険しい表情していて、思わず驚いた。

〈吉村さんはその後、息子さんに会われたんですか?〉
〈いや、会えんかった。・・・というより、ワシらも引き揚げの情報を待つ以外にすることあらへんさかいにな、息子さん探しにちょっとだけ付き合ったんや。毎日、朝から晩まで奉天の駅で待ち構えて、北平方面から帰ってくる兵隊をつかまえては、縋るような思いで訊きまくっとった。あれは九月の末やったか。五台山辺りから帰ってきた兵隊の噂で、どうやら早い時期に戦死しとったらしいいう話しやった〉

   つづく

叔父の中の戦争――(26)

2007.12.13 (Thu)

前線を発って奉天の収容所に入った時は、既に九月の半ばになっていた。混乱の坩堝の中に、何故、軍上層部連中の姿が見えないのか不思議に思い、そこで知り合った吉村という男に次第を訊いた。吉村は、八月十五日、新京の自宅で日本の敗戦を知った。だが、そのことを事前に知っていた軍上層部は、生死を共にした筈の兵士や、在留の同胞たちには一切知らせず特別列車を仕立てて、家族共々さっさと逃走したという。

何と恥知らずな。そればかりか、彼らは、敗戦を知るや否や将校の指揮でトラックを調達し、新京市内の軍需倉庫から在庫食料品の強奪に向かい、飢餓に苦しむ同胞を見て見ぬ振りをしながら、関東軍が溜め込んだ砂糖や缶詰めなどを満載して帰ったのである。奪った品は、山賊の如く山分けをした後、死の境を彷徨い、すがりつく在留邦人を嘲笑うかのように列車に飛び乗った。

八月九日、ソ連軍参戦と同時に北満の原野に、怒濤のような地鳴りがした。徐々に迫ってくるソ連軍は、征服者の意志を誇示するかのように、戦車のキャタピラ音を響かせて近づく。疲弊し切った関東軍にこれを止めるすべは既にない。

指揮官が逃亡した後、残留している軍内でくじ引きが行われていた。ソ連による武装解除に備え、くじ運の悪かった者がしんがりを務めて、他はすぐに除隊して内地へ帰ろうとするものである。ところが、時既に遅しであった。

日本軍が大陸で行った数々の残虐行為が、この敗戦と同時に、ソ連軍にとって替わられてしまったのである。町の中は蜂の巣をつついたような騒ぎである。残留する兵士や若い男たちは、家族に別れを告げる暇もなくシベリアに送られた。そして女たちは・・・。

ポツダム宣言の受諾からGHQの下僕に成り下がった日本は、まさに無政府状態に陥った。日本の指揮系統は消滅した。異国の地で生活の根拠を求め、或いは転戦を余儀なくされた660万人の兵士や、その家族は成す術もなく袋小路の中で彷徨った。660万人は当時、日本の人口のほぼ一割である。
一方、内地では国体論議が交わされていた。

それは原爆投下後なのか、無条件降伏との交換条件か、それともその後か分からないが、ともかく“国体護持”という条件が付与されることになった。“国体護持”、つまりそれは、降伏後も天皇の地位を敵側に保証させようということのみに執着した結果であった。外地で660万人の命が消えようとしている時に、〈国体がどうのと呑気なもんだ。命の値段も分からん人間が国を司どるんやから、これほど日本が不幸なことはないな〉と言う叔父。

その“国体護持”で、やっとのこと軍人のみが引き揚げを許可された。軍人のみが何故かというと、これも諸説があるが、軍人は当時、天皇の預かりしものとされ、天皇が統治する日本国の国家体制の骨であり、“天孫民族”の直系である言われたのが理由だとされるが定かではない。

もっともらしい屁理屈はともかくとして、“国体護持”で軍人が優遇されたが、民間人の引き揚げは許されず、〈外地で共存せよ!〉と命令を下したのみだった。〈外地で共存せよ!〉、すなわち〈祖国には帰るな! その地で死ね!〉ということである。これこそ官尊民卑”ではないか。
満州に移住した272万人の内、206万人に氷点下20度の極寒と、傍若無人なソ連兵が襲いかかった。
 
   つづく

叔父の中の戦争――(25)

2007.12.12 (Wed)

京都行きの山陰線、この列車に乗ったのは何十年ぶりか。中学時代の同窓会が最後であったから、おそらく二十数年になるだろう。
早朝の車内は、客もまばらであった。ゆっくりと流れる車窓の風景は、のどかな田園と入りくんだ海岸線が見えるだけで、懐かしさが込み上げてくる。

大阪の大学へと旅立ったあの日が思い出された。大学に入学して一年後に、実家のあった村を引き払い、播磨の方へ移った後、この列車を使う機会はまずなかった。毎年訪れる墓参りも、その足で立ち寄る親戚も、来た車でそのまま引き返すだけだから、この風景は縁遠いものになっていた。

残り少ない命を見極めたという叔父が、総てを話し終えた後、彼は幻影を追いかけているかのような表情をしていた。
煙草のヤニに染まった叔父の書斎には、呪われた六十年のシミが、畳に、書棚に、そして積み上げた書物の中に深く染み込んでいる。好む好まざるに関わらず、敢て叔父は、その六帖の空間に身を置くことで自らの戒めにしていたように思えた。

叔父は言った。〈この部屋にいると、あの時代に引き戻される。ワシが手をかけた見知らぬ人間、家族を残し将来に夢見ていた多くの若い戦友たち、死ぬ必要のなかった人たちの幻影が漂うんや。今のワシたちを、今の日本をどない見とるんかのう〉と。

戦友たちの亡霊が、今わの際に残した彼らの執念が、戦後六十数年を経た祖国の上空を迷い、繁栄の頂点を極めた日本を、そして闇のフタを開けた日本を彼らは確かに見ている。彼らが身を呈して守ろうとした祖国は、そして子どもたちは今、どうのように成長したのか。彼らが言う日本の清らかさ、尊さ、美しさは、戦後の世界に如何なる花を咲かせたのか。それを見届けなければ死んでも死に切れない筈であろう。

ある人は言った。〈維新よりひた走った戦前の日本の歪は、太平洋戦争へ導いた。しかし若き戦死者たちは、その歪をこの世からあの世に持ち去り、若すぎる彼らの死を悼む痛切な気持ちが、日本を、再び真っ当な道に戻したかに見えた。今、戦後の高度成長や繁栄のもたらした歪を持ち去る死者はいない。残ったのは、腐敗と老醜と倦怠である〉と。


昭和十七年十月、章吾は、鶴子に見送られてこの同じ列車に乗り、舞鶴の港から出征していった。初年兵たちのひしめく車窓から、彼らは何を見、何を思ったのか。帝国日本のため、陛下のため、そして家族のために、ただその一心で命を賭して大陸に渡ったのだろうか。

   つづく

叔父の中の戦争――(24)

2007.12.11 (Tue)

映画や小説を読んだ後、時々涙腺が緩むことがあるが、俺だって涙が出るほど悔しかったことはある。というより、悔しさはあったが、涙が罪悪感につながっていて感情を押さえ込んでしまっていた。何しろ小学校以来泣いた記憶がないのだ。祖父が亡くなった時も、母親が亡くなった時も、そして人生でもっとも悔しい思いをした広島の時でさえそうだった。

「人間、言うべき時は言わんとあかん。まあ、言わんでもええことを言うやつもいるがな」と、乾いた声で笑った叔父。相変わらず湯煙の方を向いたままであった。
「あの時も、何も言わんかったとちゃうか?」
「あの時いうのは?」
「お前が広島を引き揚げた時のこっちゃ」

確かにあの時も何も、言わずにただ辞めることだけ告げて奥田と分かれたのだった。
「いずれにしても広島を出ることは、避けられなかったんです」
叔父が振り向いた。
「あの時、既に広島で仕事を続ける気持ちはなくなっていました」
仮に言いたいことを言ったとしても、彼の性格上、謝罪するとは考えられなかった。「それに、いくら謝罪されてもね、もう元のサヤには収まることはなかったということです」

戦争のことと俺の広島でのことを、何かと比較しようとする叔父であったが、どう考えても比較などできる筈がない。ただ共通していることと言えば、相反する二通りの人間が存在したということらしい。それを戦争で例えるなら、己らの欲望や面子のために、何ら恨みのない人間を殺させることが平気でできる人間と、そうではない人間である。言い方を変えれば、人の痛みが分かるか分からないかだ。また今の時代に置き換えるなら、税金や年金を平気で懐に入れて恥ない、しかも納付者の痛みが分からない人間か、そうでない人間の存在だろう。

問題なのは、恥を知らない人間の心根に、人としてのもっとも大事な部分が欠けているということで、残念ながら彼らはそれに気付かないらしい。
「ワシも不器用な生き方をしとるが、お前も相当なもんやな」
俺の不器用さは認めるが、叔父のそれは、俺の比ではないだろう。何しろ六十年間も貝になっていたのだから。

「それより叔父さん、満州引き揚げからの話し、まだでしたよね? それに・・・」
「その後はええ。言わんでも分かっとる」と言って、また七釜温泉の方に目をやった。

「ワシはこの川が好かん。好かん川に毎日来とるのは、そのことを忘れんためや。そりゃ、あの戦争のことをさっさと忘れることがでけるなら、どれだけ楽やったか知れへん。そやけどワシがやってきたことを考えると、簡単に忘れたらあかんのや、許されへんのや。それに・・・」

叔父の沈黙は長かった。鏡のような太陽が濃紺の空で刺々しい光を放つ。
「それにバアさんを追い詰めたんはワシやしな。戦争で頭がおかしくなって、毎日、死んだような暮らしをしとった。出征して次の年に長男が生まれとったのに、病死させたいうのも、ワシが荒れる原因にもなった。何もバアさんの責任やないのにな。そんなこたあ百も承知なんやが、大陸でぎょうさん人を殺して、ぎょうさん仲間死なせて、やっと帰ったら、わが子も死んどる。戦争も、日本も、バアさんも、みんな恨んだわ」

叔母の自殺未遂の背景は想像していた通りであった。あれほど愛して、殆ど強奪するかのように娶った鶴子を自殺へと追い詰めたのが、戦争で受けた苦悩と恐怖が凝縮された形となって現れていたのだと、戦争を体験しなかった俺でも理解できないわけがない。

叔父ばかりではない。帰還した多くの元日本兵は、彼のような地獄が、戦争が集結した後も延々と続いているのだろう。歴史は繰り替えされるというが、世界大戦後、各地で起こった戦争やアメリカが関わった多くの戦争でも、傷つき、精神を病んだ兵士が、今なお彷徨い続けている。

「バアさんが今生きとるのは、お前の親父さんのお陰や。ワシは武一ちゃんには頭が上がらんのや。命の大恩人なんや。ということはな、ワシが今、こうして長生きでけとるのも、武一ちゃんのお陰ということやで」
「叔母さんのことは、つい最近、親父から聞いたところです。詳しくは聞きませんでしたが」
「親子やな。余計なこと話さんいうのは、お前とよう似とる」と言って、ベントの角でキセルを叩いて立上がった。

「さあ帰るとするか。バアさんも心配しとるやろ」
日射しが強くなるにつれて、草むらの中も一段と賑やかになった。庭の玉砂利が白く輝き、くっきりと濃淡を浮き立たせる。
上がり框の障子を開けると、座椅子でうたた寝をしている叔母の姿が見えた。叔父はそれに構わず、俺がもう一晩泊まることを告げた。薄目を開け、しわくちゃな顔をして叔母は微笑んだ。

   つづく

叔父の中の戦争――(23)

2007.12.08 (Sat)

朝日が稜線の向こうで輝き、庭の植え込みの長い影を落している。日本海に注ぐ岸田川沿いに高い土手が続く。車がやっと一台通れるほどの細い道を、叔父の歩調に合わせて歩いた。久し振りに見る川は以外と狭く感じられる。とはいえ、こちらの土手から川向かいの山裾までは有に百メートルはある。しかし、年々水量が減少して青い雑草が生い茂り、中洲の合間に水面が揺れているのが見えるだけであった。

この川は、俺が生まれ育った村につながっている。つまり、叔母・鶴子が一度は身を投げたという川である。

「漁、何時の電車で帰る予定なんや?」
土手の下の細い遊歩道に下りながら、叔父は言った。
昼頃の電車なら夕方には大阪に帰れると言うと、叔父は「じゃ、昼めし食って帰れ」と言った。遊歩道を歩いている内に、山影から太陽が覗き始めた。焦げるような暑さになるには、そう時間はかからないが、河原をそよぐ風が心地よくて、いつの間にか眠気も消えていた。

叔父はまた、いつもの難しい顔に戻っていた。危なっかしい足取りで黙々と歩く。いつもの習慣なのだろうか、時々止まっては、両手を広げて深呼吸をした。

隣町が見える辺りに橋がある。その橋を渡ると「七釜温泉」の白い湯煙が上っているのが見える。高校時代に下宿していた頃、よく行った温泉である。当時、叔父の家にはまだ内風呂がなかったので、家族はこの温泉をよく利用していたものである。その湯煙を見ながら、叔父は言った。

「お前、どうしても今日帰らんとあかんのか?」
「はあ、一応その予定ですが、仕事の融通はききます。でも何でですか?」
「いや、どうしてもいうわけじゃないけど、久し振りやから一緒に温泉にでもと思ってな。それに、まだお前に話しとらんこともあるし」
「じゃあもう一晩邪魔します。俺も訊きたいことがありますし」

叔父は、俺の方を振り向いて、微笑みながら頷いた。そしてゆっくりと、湯煙が上る七釜の方に目を向けながら、「お前がワシの子やったら、もっと早よう“楽”になったかも知れん」と、誰に話すでもなく小さく言った。
俺は〈一平君がいるじゃないですか〉と言おうとしたが、その言葉を飲み込んだ。

叔父の言葉に何の意味が含まれていたのか、少なくとも、俺が他人だからこそ話せるのだろうと、概ねだが、そういうことだろう。だが、何故六十年以上経った今なのだろう。もっと早い時期に、その機会はあったのではないか。

叔父の足元にコンクリート製のベンチがふたつ。その横には、誰かがバーベキューでもしていたのだろう、焦げた残飯がこびりついたまま残されている。
ベンチの一つに腰を降ろし、ポケットからキセルを取り出した。ジッポの金具の鳴る音がした。

「漁よ、お前はあの時代とちっとも変わっとらんな。もっともワシはあんまりお前と顔を会わせとらんが」と煙を吐き出しながら、叔父が言った。

俺の高校時代の思い出は、決して自慢できるものではなかった。必死で勉強した記憶もなく、ただただ部活に明け暮れていた。友人も殆どいなくて、誰かと遊んだ記憶もない。ほのかな恋愛感情はあったが、それ以上に発展することもなかった。暗い青春ではないのだが、今思うに、何か深い眠りに入ったままの三年間であったような気がする。強いて思い出すなら、時々ケンカに巻き込まれたことだった。

普通なら友人なり親友なりがいて、楽しい学園生活をしていただろうが、貧しかったこともあって、そういう楽しいことに自分から遠ざかっていたのだろう。傍から見れば我が道を行く“一匹狼”に映っていて、不良どものターゲットにされやすかったのかも知れない。

相手が一人やふたりなら問題ではなかったが、その内集団で呼び出されるようになった。勝てば勝ったで増々集団化していった。勝ち目がないと分かれば、歯を食いしばって身体中に力を入れ、ひたすら嵐の通り過ぎるのを待った。やがてその噂が学校に知れることになった。だが、高校生活が早く終わることを願っていた俺は、問い詰められることにも、敢て応えることはしなかった。バカバカしい。ただその一言であった。

「お前が顔を腫らして帰ったことがあったやろ。あの時、うちのバアさんが学校に怒鳴り込んだんや。ワシはほっとけと言ったんやけど」
知らなかった。そんなことがあったなど、今の今まで知らなかった。

「ワシは余計なことをしたと思っとる。そやけど、お前は本当に強い男やった。一度も涙を見せんかったし、一言も泣き言を言わんかった。ワシにそんな勇気と根性があったら、あの戦争の時、自分の信念を貫いたやろう。もっとも無事に帰っとらん思うが」

   つづく

叔父の中の戦争――(22)

2007.12.07 (Fri)

俺にはまだ釈然としないことがある。
たとえば、今のこの“平和な日本”がアメリカによるものだと思う人が多くいることだ。もちろん“そうではない”と言う人も少なくないが。
しかし、単にやんちゃ坊主を捻り潰しただけではない。そこには東西の危うい対立構造と中国との駆け引きが存在していたことも窺える。

あの時、・・・というのは日本が連合国軍に敗れた時、米ソの大国同士が日本を支配するに当たり、お互い一歩も譲らなかったとしたら、間違いなく第三次世界大戦は避けられなかったのではなかろうか。仮にそうなっていたとしたら、大平洋を挟んで両大国に踏み付けにされ、今頃、日本の歴史は消滅していたかも知れない。日本を支配するということは、つまり大平洋を制すると同意語なのだから。

日本は、アメリカ及び連合国によるポツダム宣言で、武装解除と無条件降伏を受け入れた。だが、アメリカ、中国、イギリス、ソ連の首脳が同席する筈の会談に、何故かアメリカのトルーマン大統領しかいなかった。中国とイギリスには自国に問題を抱えていたため、そしてソ連は当時、日本と中立の立場もあって、結局トルーマンに一任する形となったが、宣言内容を見てスターリンは激怒し、ソ連対日参戦となった。

●宣言の骨子
1. 日本を世界征服へと導いた勢力の除去
2. カイロ宣言の履行と領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定
3. 戦争犯罪人の処罰
4. 全日本軍の無条件降伏と日本国政府によるその保障

前後して、当時の首相の近衛文麿が特使としてソビエト連邦に派遣され、和平の仲介を求める構想が進められており、それに対するソ連政府の返事を待つとの見方もあって、結局、ポツダム宣言の黙殺を決めたという。ソ連は受ける気はなかった。しかし、アメリカとイギリスが協議し、ヤルタ協定でソ連対日宣戦布告まで大日本帝国の申し出を放置する事に決定していたらしい。

日本政府は、7月27日にポツダム宣言を公表した。大本営の下僕であった各新聞社は、「笑止、対日降伏條件」、「笑止! 米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」、「白昼夢 錯覚を露呈」などと報道した。
鈴木貫太郎首相は記者会見で「共同聲明はカイロ會談の焼直しと思ふ、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し、斷固戰争完遂に邁進する」と述べ、翌日朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された。
そして広島・長崎に原爆が投下された。

OSS(アメリカ軍の戦略諜報局、のちのCIA)アレン・ダレスはスイス駐在武官・藤村義朗と接触を持ち、同年3月から終戦工作を進めていたが、指示を求める藤村の訓電は外務省が握り潰し、広島と長崎の悲劇を回避する事は出来なかった。原爆攻撃を受けた日本政府は漸く、藤村に交渉に応じるよう訓電したが、ベルンで藤村からこれを聞かされたアメリカ側は「今頃になって何を!」と吐き捨てたという。

・・・惟うに今後帝國の受くべき苦難は固より尋常にあらず爾臣民の衷情も
朕善く之を知る然れども朕は時運の趨く所堪え難きを堪え忍び難きを忍び
以(も)って萬世の爲に太平を開かんと欲す・・・
玉音放送によって、太平洋戦争の終結が伝えられた。

日本を含む枢軸国の罪が、戦争裁判で裁かれることになった。だがこの裁判で、連合軍の行為については審理の対象になっていなかったため、戦勝国側が敗戦国側に対して戦時中に行なった国際法違反の戦争犯罪、原爆投下、ジュネーブ条約で定められた非戦闘員(降伏者、捕獲者、負傷者、病者、難船者、衛生関係、宗教人、文民など)が存在する地域への攻撃(空襲など)や、ソ連の残虐行為と侵略・略奪行為、その他捕虜の虐待、虐殺などについての一切責任追及は行われていない。

また、大戦初期における、ソ連によるポーランド、フィンランドに対しての侵略や、東欧諸国からの民族ドイツ人の追放やドイツ兵や日本兵のシベリア抑留など戦後の事例についても、戦勝国側の加害責任を訴える声も大きいものの、同じく責任追及は行われていない。

これらのことも疑問だらけであるが、もっとも理不尽で理解できないのは、東京裁判で投獄され、責任を負わなければならない岸信介が、アメリカとの政治取引で釈放された。その一方で、上官命令でやむをえず捕虜虐待を行った兵士が処刑されたりするなど、概して裁判が杜撰であった点は否めない。
〈戦争とはこういうものだ!〉と言われそうだが、どうにも釈然としないことばかりである。

まんじりともできなかった夜が明けた。
廊下側から流れる生温い風が、葦の簾を通して入ってきた。
叔父の床は片付けられ、台所から叔母の声に混じって叔父の声が聞こえてきた。長男の一平は早々と朝食を済ませ、青年団の寄り合いとのことで既に出かけている。

朝食をしながら、叔母は世間話しをいくつか投げかけてきたが、叔父との話しについては一言も触れなかった。触れたくないとか、知るのが恐いいったものではなく、ただ淡々とした今の生活に、十分満足しているように見えた。
食後の散歩が日課だという叔父に、眠気の取れない俺も付き合うことになった。

   つづく

叔父の中の戦争――(21)

2007.12.04 (Tue)

国家を新しく建て直すには、一旦、国を解体して一から出直すしかないという言い方があるにはある。が、日本という国を意のままに操縦するためには、力ずくで叩き潰すしか手立てはなかったと言い切る、アメリカ流の価値観。そして、彼の国の思惑通りに日本は見事に解体され、アメリカ抜きでは立ち行かなくなったというのが、今の日本なのかも知れない。

ところが当時の帝国日本は、アメリカの思惑と相反する側面から発想した戦争であったのも事実である。今思えば。
ということは、つまり“世界中を星で塗り潰したい”という風にも受け取れるアメリカの本音と、ある意味共通していたのではないか。これも今思えばだが。

相手国がどう考えていたかはともかく、確かにある時点までは、日本の思う通りに事が運んでいたのだろう。しかし、圧倒的な国力の違いがあることくらいは、どんなボンクラでも、国の中枢にいたなら分かっていた筈なのに、それを日本特有の精神論で補い、“神風”を信じたところに無理があった。

その差は歴然としていた。何しろ原爆という最終兵器を持つ国を相手に、竹ヤリで挑ませようとしていたのだから、これは笑うしかない。
精神論。これは国家的に行われた“狂信的人間改造”であり、とどの詰まりは一億総玉砕という末路であった。

世界大戦以降、アメリカ主導のもとで行われてきた朝鮮戦争、ベトナム戦争。最近では湾岸戦争からイラン・イラク戦争に跨がり、ベルリンの壁の崩壊と同時に冷戦状態が終結。イラン・イラクの停戦を境にエネルギー争奪戦と局面を変えている。

〈本質的に、アメリカの真意は昔も今も変わっとらん。政治的にも経済的にも、自国の利益になる国だけをターゲットにしとるのも、アメリカらしい考え方だ〉と、叔父が言うこともあながち外れてはいないと、俺も思っている。

“世界の警察”だなどと美論的立前論を並べて憚らない。しかし背景が何であろうと、所詮、戦争は戦争で殺戮合戦以外の何ものでもない。犠牲になる多くは、武器を持たない弱者なのだから。そして、いつの時代であっても勝者は敗者を“賊”として裁く権利を有しているという。恐ろしいことだ。

日本が始めた戦争がどれほど身勝手で無謀であったかは、歴史的に証明されている。が、それが事実であったとしても、ナチスを台頭させた「ヴェルサイユ体制」の不均衡さで分かるように、日本も“窮鼠猫を噛む”に至ったことも明々白々ではないだろうか。

そして世界を恐怖のどん底に陥れた9.11。
テロ行為は断じて許してはならないし、撲滅しなければならない。しかし、と思う。
テロ行為が何故起こるのか? 何故なくならないのか?
この国を司る人間、そして、世界基準である立場の人間たちは、どうしてそのことを本気で考えようとしないのか不思議に思う。

〈やられたらやり返す〉という“復讐の連鎖”。“やり返す”にはそれなりの理由があるのと同様に、“やられる”理由もあるもの。そこを考えないで“やられた”からという前提でしか物事を考えないのは、古代ローマ帝国から何も変わっていない証明ではないのか。

とはいえ、特定の国だけを嫌悪感の対象だとは思っていないし、歴史的に見れば多くのヨーロッパ諸国も、そして古代ローマ帝国やアッシリアも同じ道を辿ったという事実。そういう意味で“良い大国”、“まともな強国”と言える国家は、歴史上存在しないのではないかと思う。

   つづく

叔父の中の戦争――(20)

2007.11.30 (Fri)

終戦直前、最後に招集された兵は新京の在留民間人中心に、五十才以上二十才未満の総ざらえという寄せ集め部隊となった。いわゆる“にわか部隊”は、お定まりの訓辞を受けて引き揚げ騒動の最中、追い立てられるように町へ飛び出した。

〈いざという時は、ソ連軍戦車のどてっ腹にこいつを抱えて潜り込むんだ〉
訓辞の後に、班長から各自ひとつづつ布団地雷なるものを渡されたが、指揮官はその後、あっという間に姿をくらました。爆弾の使い方もろくに知らない“にわか部隊”は、命令通り官舎周辺にいくつかの戦車壕を掘り始めた。が、しかし佐官宿舎を覗いていた仲間が突然、騒ぎだした。

極限的な飢餓状態といっても、飽食の時代に生まれ育った我々には想像もつかないだろう。だが満州に戻った章吾が目前にしたのは、地獄以外の何ものでもなかった。日本人支配の満州が崩壊し、庇護者や糧はおろか、未来までも失った多くの邦人は、ボロボロの衣服を纏い、身ひとつで命からがら避難してきた開拓団入植者と、一刻も早く内地に帰りたいと思いながら、なけなしの家財を売り食いに明け暮れた在満の人たちで膨れ上がっていたのだ。

餓死者が町のいたるところに転がっているというのに、この佐官級の宿舎には、ピカピカの白米が米櫃一杯に入り、倉庫には山積みの日本酒や食料が所狭しと置いてあった。宿舎のドアを開ければ、たった今まですき焼きしていて、その最中に緊急帰還命令があったのだろう、ひからびた肉片と野菜のこびり着いたままの鍋が、そして、ご飯茶碗には食べかけの飯が残ったまま転がっていた。
おそらく、とるものもとりあえず、身の回りの品と貴重品のみ持って、日本人同胞を見捨て、逃走した後がありありとしていた。

満州引き上げのこういう光景は、小説や映画でも見聞きしたり、テレビ番組でも取り上げられて、歴史としての知識だけは持っていたが、それは関東軍の一部のことであって、叔父の話しを聞くまでは軍上層部の根幹から、これほどまでに腐っていようとは考えもしなかったことだ。

「一番の問題は、今でもあの体質は何も変わっとらん言うことやろな。高度経済成長やIT革命や言うて、戦後の若い世代が必死で働いてきた陰で、国のやつらは毒を流し続け国民の財産を食い潰してきたんや」

「その話しをし始めると長くなりますね。俺の知り合いのある会社の社長と話しをする時、いつもその話題になるんですが、・・・その方が言うには、世の中には二通りの人間が存在するんだそうです。簡単な言葉で言えば、善人と悪人なんですが、善人は善も悪も総て承知しているけど、悪人には善を理解できない。しかも、自ら悪であることをも気付いていないとね。言葉では分かっていても本質が理解できていない。要するに、立場を超えて人間を看ることができない非常に頭の悪い人間なんだと。たぶん人間として完成する前か受胎時に、何らかのトラブルが起こって、完成品にならないまま生まれたのではないかとね」

「うまいこと言うもんやな、その社長は。ワシもそう思う。でも、そういうのは今に始まったことやない。日本だけかどうか知らんが、これは特有の文化や言う気がする。それが証拠に、悪であることを自ら認めて、しかも、きれいごとでは政治はできんとぬかすやつがいる。そりゃ自分の国の利益になるなら、どんな卑劣な手段もつかう国もあるが、日本はどうや。日本は他所の国になめられっ放しや。そのツケを国民に背負わせとるだけやないか」

何だか話しが思わぬ方向へ向かってしまっていた。
すっかり夜もふけてしまい、少し前まで聞こえていたコウロギの鳴き声が、止んでいることにも気付かなかった。
その夜、といっても、とっくに日が変わっていたのだが、仏壇のある広間に叔父と床を並べて寝ることになった。

叔父の話しはまだ終わっていない。彼が戦地を発ったのは、敗戦を知った八月下旬。大勢の人の血の臭いを染み込ませたまま帰還の途に着いたが、軍上層部の情けなくも卑劣な逃走劇の最中、満州で目撃したものと、戦争によって改造され、持て余していた桐山章吾という人間と、どう折り合いをつけたのだろうか。そして、ようやく辿り着いた、その年の暮れまでの数カ月間、どこで彷徨っていたのだろうか。

叔父は総てを明かすだろうか。総てを話すということは、つまり、その延長線上にある叔母・鶴子の自殺事件につながるということなのか。
ふたりだけが寝るには広過ぎる広間で、叔父の軽いイビキが時を刻んでいた。

   つづく

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