昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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あけぇー、ええけぇー、こけーこぉー

2015.09.15 (Tue)

ホテル開業の仕事というのは、どんな規模でも最後は体力勝負の仕事になる。開業前だから施設は完成していない。内装工事の合間を縫って取材や撮影をやらなくてはならない。

あの時も総勢20人以上のスタッフで、ほぼ20日泊まり込んでの仕事であった。
地方で仕事する時、一番苦労することは言葉の問題である。四六時中慌ただしい現場では、意思疎通ができるかどうかが、作品のクオリティに大きく影響する。

いわゆる「地」の言葉でまくしたてられても、何やら外人と話しているようだし、関西弁そのまま口にすれば、それこそケンカにならないとも限らないから、言葉の違いというのは、厄介で面倒なものである。

鞆の浦

仕事の初日のことである。F駅の改札を出て、突然耳にしたのは鶏の鳴き声のような言葉だった。
「あけぇー、ええけぇー、こけーこぉー」

この鶏語を耳ダンボにして聞いていたスタッフ全員、口をアングリと開けたままであった。もちろん誰ひとり解説できる者はいない。ボクはこの言葉の意味を、何となく聞いてはいけないような気がして、その場を立ち去った。

だが、この強烈な言葉は後々まで記憶に残り、その後15年間、ボクの中の「謎」となった。

後日聞いたことなのだが、このF地方の方言は、どうやら三河地方の流れを汲んでいるという。それもその筈、F地の初代城主が三河出身の「水野勝成」であったからだ。

尾道

F地の仕事は、概ね順調な滑り出しであった。そうしたある日、またしても例の言葉を耳にした。「謎」の鶏語である。間髪入れず、隣にいた友人に訊ねた。

こういう意味であった。
「あけぇー、ええけぇー、こけーこぉー」の「あけぇー、」は「あそこへ」であり、「ええけぇー」は「いいから」、「こけーこぉー」は「ここへ来い」。つまり、『あそこへ行くのか?いいから、こっちへ来なさい』となるそうだ。

ついでだから記憶のある限り列記してみると、
「ほいじゃけぇー」→「そうだから」
「こぎゃぁーに」→「こんなに」

「せにゃー」→「しなければ」
「ほんにゃー」→「それなら」
「あぎゃぁーな」→「あんなに」

「・・・じゃった」→「・・・でした」
「いけまぁー」→「ダメだろう」であり、関西弁なら「あかんやろ!」となる。

このあたりは初めて聞いたとしても、分からないことはない。しかし、こういう言葉が会話に混じると、わけが分からなくなるのだ。何例か挙げるが、読者諸君に分っかるかなー。

(1)めっきい (2)おらぶ (3)じなくそ (4)うんま (5)どぎちい (6)みゃーだりー (7)きききき (8)はぶてる (9)つきゃぁー (10)へぇで
さあ、どうだ!
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方言の話し(その4)

2010.01.30 (Sat)

方言は実に面白いと思う。
今回は一転してヨメの故郷・博多の方言に触れてみよう。

人によって、なかなか方言が抜けない人と、そうではない人があるようだが、どちらかと言えばヨメは前者の方で、その上、中途半端である。

長崎の佐世保で生まれ、父の転勤で博多へ、そして就職先の大阪を皮切りに、奈良、福山、再び博多、大阪と転々としたお陰で、普段の会話に入り交じって無国籍状態に陥っている。



sasebo.jpg

(ヨメの故郷・佐世保港。今でも度々軍艦が係留されている)



現在住んでいる大阪での日常の会話は、もちろん基本的には関西弁なのだが、その中に博多弁が混じり、時として忘れていた備後弁が出てきたりする。

そうかと思えば、両親との電話での会話はどっぷりと博多弁が堰を切ったように飛び出してくるが。
対してボクの場合、関西弁6割、標準語4割というところか。福山にいた3年間も備後弁を口にしたことがない。備後弁を嫌っていたのではなく、20年関西弁やってきて簡単に変われる筈がない、ただそれだけだが。

関西弁というのは、馴染みのない人にとってはケンカを売られているような印象を持つという。しかし、博多弁は丸くて刺がなく、暖かい印象がある。が、それより前々から気になっている問題がある。このことで毎回ヨメと険悪になる原因だから。

普通「大きい」という言葉は、形容詞的には大きさを表すが、博多では大きさの他に、太さ強さなどひっくるめて使われている。たとえば「大きい石」、「太い柱」、「強い人」を博多弁で言えば、「太か石ばい」、「太か柱ねー」、「太か人たい」とこうなってしまう。

当地ではごく当たり前に通じているのだが、初めて耳にすれば、「太か柱」はともかく、石は太くないだろうし、「太か人」に至っては肥満と言われたも同然であろう。

方言の問題ではないが、今ひとつ気になっている問題がある。言葉(多くは名詞)にはそれぞれ抑揚があって、モノや意味の違いを表現しているが、ヨメの郷では抑揚の文化がないそうだ。

抑揚、つまりイントネーションである。
たとえば「橋」「端」「箸」、または「柿」「牡蠣」「垣」の違いが良い例である。
イントネーション正しく言えば、「橋」は「→↗」と右上がりとなり、「端」は「→→」、「箸」は「→↘」とならないといけないが、どれも同じである。

こんな情景はまずないのだが、仮に「箸を持ったまま、橋の端まで来る」と博多の人が言えばどうなるかである。
つまらないことと言えばつまらないことなのだが、こういう言葉ひとつで度々言い争い、毎回、最後に言うのが「九州では、もともと抑揚の訓練(教育)がなか」である。
やれやれ。


前回の答
(1)めっきい → 暖かい
(2)おらぶ → 叫ぶ
(3)じなくそ → しんどい
(4)うんま → お菓子
(5)どぎちい → 酷い(どぎつい)
(6)みゃーだりー → エプロン
(7)きききき → 聞きながら
(8)はぶてる → 不満の意を表す
(9)つきゃー → ・・・ください
(10)へぇで → それで

(7)の「きききき」は「聞き聞き」と繰り返すことで、・・・ながらという一種の進行形になる。



方言の話し(その3)

2010.01.24 (Sun)


ホテルの仕事を手がけたのは、福山が最初であったと記憶している。それは、宝ケ池のホテルの数年前であった。

ホテル開業の仕事というのは、どんな規模でも最後は体力勝負の仕事になる。開業前だから施設は完成していない。内装工事の合間を縫って取材や撮影をやらなくてはならない。
あの時も総勢20人以上のスタッフで、ほぼ20日泊まり込んでの仕事であった。

地方で仕事する時、一番苦労することは言葉の問題である。四六時中慌ただしい現場では、意思疎通ができるかどうかが、作品のクオリティに大きく影響する。

いわゆる「地」の言葉でまくしたてられても、何やら外人と話しているようだし、関西弁そのまま口にすれば、それこそケンカにならないとも限らないから、言葉の違いというのは、厄介で面倒なものである。

仕事の初日のことである。福山駅の改札を出て、突然耳にしたのは鶏の鳴き声のような言葉だった。
「あけぇー、ええけぇー、こけーこぉー」

この鶏語を耳ダンボにして聞いていたスタッフ全員、口をアングリと開けたままであった。もちろん誰ひとり解説できる者はいない。ボクはこの言葉の意味を、何となく聞いてはいけないような気がして、その場を立ち去った。
だが、この強烈な言葉は後々まで記憶に残り、その後15年間、ボクの中の「謎」となった。

1993年夏、それまでいた会社を辞め、福山の時以来ずっと仕事をしてきたある人に誘われて、当所で事務所を開設することになった。

後日聞いたことなのだが、この福山・備後地方の方言は、どうやら三河地方の流れを汲んでいるという。それもその筈、福山の初代城主が三河出身の「水野勝成」であったからだ。

福山に移っての仕事は、大枠順調な滑り出しであった。そうしたある日、またしても例の言葉を耳にした。「謎」の鶏語である。間髪入れず、隣にいた友人に訊ねた。

こういう意味であった。
「あけぇー、ええけぇー、こけーこぉー」の「あけぇー、」は「あそこへ」であり、「ええけぇー」は「いいから」、「こけーこぉー」は「ここへ来い」。つまり、『あそこへ行くのか?いいから、こっちへ来なさい』となるそうだ。

ついでだから記憶のある限り列記してみると、
「ほいじゃけぇー」→「そうだから」
「こぎゃぁーに」→「こんなに」
「せにゃー」→「しなければ」
「ほんにゃー」→「それなら」
「あぎゃぁーな」→「あんなに」
「・・・じゃった」→「・・・でした」
「いけまぁー」→「ダメだろう」であり、関西弁なら「あかんやろ!」となる。
このあたりは初めて聞いたとしても、分からないことはない。しかし、こういう言葉が会話に混じると、わけが分からなくなるのだ。何例か挙げるが、読者諸君に分っかるかなー。

(1)めっきい (2)おらぶ (3)じなくそ (4)うんま (5)どぎちい (6)みゃーだりー (7)きききき (8)はぶてる (9)つきゃぁー (10)へぇで
さあ、どうだ!



方言の話し(その2)

2010.01.02 (Sat)

方言は実に面白い。中でも関西弁は際立っている。長年、大阪で暮らしていて分かったことだが、大阪人は自分たちの使っている言葉が、決して方言だとは思っていないし、どうも自分たちの言葉が、いわゆるスタンダードだと思っている節があるようだ。

本来は大阪の話しをする方がウケるのだが、ここでは生まれ育った但馬地方の話しをしたい。

ボクは小学校の頃、標準語の教育を受けていたので、普段、生活語としての方言を使いながらも、つとめて標準語を意識して育った。そういう習慣があったこともあって、田舎を離れてからも比較的早いウチに、新しい土地に馴染めた。

方言のひとつの特徴は、語句あるいは語彙が、ある時点で合体して短縮されるか、複数のそれが潰され、全く特異な言葉へ変化していることだ。しかし、地方地方で違うというのではなく、どこかで共通しているものがあるという点だ。

たとえば但馬地方で使われている言葉で、「・・・だらー」というのがある。「・・・だらー」は「そうだろう」の意で、この言葉は備後地方では「そうだらー」となっているようだ。

ここで但馬の方言を、憶えている限り並べてみよう。特異と言えど聞いてすぐに分かる言葉と、全く分からない言葉がある。たとえば「おみやぁー」は「お前」、「わけーもん」は「若者」、「こめー」は「細かい、あるいは小さい」で、分かりにくいのは「おせ」とか「うら」などである。「おせ」は「大人」の意で、「うら」は「私(これは主に、かなり年配のおばあさんが言っていたが、今は殆ど耳にすることはない)」。

その他に、関西弁と同じ「あかん(「いけん」という人もいる)」は「いけない」、「あはぁー」は「バカ」、「いかーで」は「行こうか」のことで、「いがむ」は「歪む」、「いごく」は「動く」、「いぬる」は「帰る」、また「いんだ」は「帰った」、「えー、わりー」は「良い、悪い」、「おとろしい」は「恐ろしい」、「かーた」は「買った」、「くらがす」は「殴る」、「こそばいー」は「くすぐったい」、「さらえる」は「空にする」、「しゃった!」は「しまった!」、「すいー」は「酸っぱい」、「じゅるい」は「ぬかるんでいる」状態のこと、「だりー」は「だるい」、「たんま」は「たま」、「まつべる」は「片付ける」とか「まとめる」の意、「なんだいや?」は「どうしたんだ?」であり「なんだ、そんなことか」と言うかわりに、また「なんだいや」と応えるのだ。

ボクが子どもの頃に使っていた言葉に「てんがー」というのがある。「てんがー」は「ふざける」とか「でたらめ」のことであり、だいたいこの言葉はケンカの時によく使った。

また、「眠たい」が「ねぶたい」、「挟まる」は「はさかる」、「違う」は「ちゃう(これも関西と同じ)」、「汚い」は「ばっちー」、「びり」が「べべた(これまた関西弁と同じ)」、「壊れる」が「めげる」、「偏屈」のことを「へんこ」と訛ってしまうのだ。

特異的「逆語」として、文字の一部をひっくり返した言葉がある。普通「身体」のとは「からだ」と言う筈を「かだら」と言ったり、「逆らう(さからう)」が「さらかう」と言う人が稀にいた。これらの逆語が、どういう過程でそうなったのかは分からない。が、恐らくより強調し、印象づける場合に使われたのではなかろうか。

もっともこれらの言葉は、ボクが子どもの頃、耳にしていた言葉であり、現在はあまり使われていないようだ。

(第3弾につづく)




タバコしよう

2008.05.29 (Thu)

高校時代、田舎が嫌で急いで脱出したいと思った。山奥の小さな社会で、息苦しくて、それに農業だけは絶対したくないと思っていた。

高校卒業と同時に、逃げるように大阪へ向かった。
大阪の”水”は、ボクには合っていた。すぐに大阪人になった。大阪弁も、あっという間に”板”についた。

大学2年の時、後輩から「生っ粋でしょう」と言われたくらいだ。もちろん大阪生まれの大阪育ちという意味である。ボクは「・・・かもな」と誤摩化した。別に誤摩化す必要はないのだが、その時は、田舎出身というだけで、何となく恥ずかしさがつきまとっていたものだ。

理由のひとつが言葉である。ボクの田舎の方言は、かなりキツい訛りがあった。言葉と言葉が合体して、ベチャと潰れたように濁った。

たとえば、「なあ、あんた・・・」というのが「なんた」であったり、「ああ驚いた」が「おとろっしゃ」、「私の家へ」が「うちげーに」、「晩になりましたな」あるいは「こんばんは」が「ばんなりましたなあ」、何々「だから」が「だしけー」、「生意気そうに」が「こうじゃーげ」、「擦りつける」が「ねしくる」、「どうしたのだ?」が「なんだいや?」、「大根」が「でゃーこ」などで、ちょっと変わったのが「逆らう」という言葉である。「逆らう」は何故か「さらかう」と、文字が一部ひっくり返っている。言葉の通り逆らって、”か”と”ら”を逆にしたのが理由かどうかは分からない。

ボクはそれがとても嫌で、高校を卒業するまでずっと標準語でしゃべるように心がけていた。小学校で最初の先生が、たまたま都会から転勤していて、常に正確な標準語で話していたのも幸運であったが。

そういうわけで、ボクは方言が染み付いていなかった。だから、大阪に来たその日から、方言というものを頭から消していた。大阪弁は面白い。人を楽しくさせるところがある。だから、躊躇なく口にすることができた。

さて、
これが方言と言えるのかどうか分からないが、ボクの田舎では”タバコ”という言葉がある。”タバコする”は”煙草”でもあるが、煙草そのものではない、”休息する”という意味である。

野良仕事の合間に休憩し、”煙草でもするか!”と、そこからきた言葉だろうことは分かる。
全身をつかってあくせく働き、汗を垂らす。辛い仕事ではある。それでも時には休息せねばならない。腰を伸ばし、汗を拭い、田んぼの畦に腰を掛け、”タバコでもするか!”と、こういうのである。のどかである。

青々と広がる野良で、涼風にあたりながら文字通り、煙草を吸うのだ。
「ふーっ」
疲れた身体の中に、すーっとニコチンが巡る。堪えられない”一服”である。

そういえば、この”タバコするか”が”一服するか”と同義語なのが、また面白い。
”一服するか”。これこそ温もりを感じるではないか。”一服”は、実は、お茶にする時もこの言葉をようで、”タバコ”と”一服”は”休息”と共通語だということが分かる。

では、ここらで小生も”一服”することにしますかね。

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