昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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(二)その男…5

2013.11.17 (Sun)

(二)その男…5

 「しかし、くだらんガキがいるもんやな」
 誰に言うでもなく、杉田は川面のきらめきに目を細めながら言った。
 杉田は少年だった頃のことを思い出した。中学生の頃だったか、その頃、学年に一人くらいは、いわゆる番長がいて、それを数人の子分が取り巻いていた。彼らは、いま時の弱い者だけをターゲットにする、くだらないイジメグループとは真逆の、正義という一種のイデオロギーを持っていた。

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 いつの時代でも弱い者イジメというものはあるが、彼らはそういう弱い者たちの駆け込み寺的存在になっていて、教師もまた、度が過ぎない限り、それを放任していたふしがあったようだ。

 つるむことを嫌った杉田は、番長グループには属さない一匹狼であった。そうして一線を引くことで要らぬ誤解が生じ、時として彼らと対立することもあったが、一度も暴力沙汰に発展することはなかった。いま思えば、それは彼ら、つまり番長グループと、お互い根っこは同じだったということだろう。

 杉田は、高度経済成長の時代も、バブル経済の崩壊も見てきた。敗戦国日本が一九六十年代に入ってから、毎年十パーセントという恐ろしいほどの経済成長を遂げてきた。そして九十年代初頭に、そのバランスシートが一挙にひっくり返った。

身の丈以上の夢を追っていた、殆どの人や企業は暗転した。太っ腹が残らず青ざめ、“金は力なり”と豪語していた輩が一斉に、守りに入ったのである。一面識で信用していた時代が、友人や親兄弟までも信用できない、世知辛い世の中になってしまった。

また杉田は、時代とともに複雑化した社会が、人の性根を変えてしまったのかもしれないと思った。経済社会が崩壊すると、地域や家庭がバランスを失うこともあるだろうし、そういう時代背景だからこそ、ドロップアウトする人間や、人間関係を上手く維持できない人も出てくる。その男もたぶんそうだろうし、他でもない、杉田だってその男と大きく違わないだろう。

 男をベンチに座らせ、饐えた臭いが遠ざかる位置まで歩いた。
 その男はベンチに座ったまま動こうとはしない。彼と妙な関わりを持ち、引き上げるタイミングを失ってしまったことを、今更ながらに後悔した。

 川沿いのフェンスに、短いヒルガオの蔓が絡んでいる。杉田は、そのフェンスを背にして、短くなったマイルドセブンを携帯灰皿に押し込んだ。
 ジャリを満載した一艘の台船が、ゆっくりと川上の方へ滑っていく。その台船を見送りながら、片方の視野でその男の様子を窺った。

 「おっさん、身体痛まないか?」
 男は俯いたまま片手を振ってよこした。
 十月を過ぎると台風の進路は、東へ向いて去っていく。今頃は小笠原をとっくに過ぎ、北上している頃だろう。

それほど大きくなかったようだが、これを境にして偏西風が流れ込み、急速に冬を呼び込む。雲の合間に覗く陽の光りが、足下にまだらな陰影を作っては去っていった。
 「台風はとうに行ったいうのに、まだ風きついな」と、杉田は独り言のように言った。

 その男は、北浜のビル街に目を移した。湧き上がる雲のせいで、ビル街がどんどん後退しているような錯覚を覚えた。
 「えらい早いな、雲が・・・」
 もう一度杉田が言うと、男は何か思い出したように、荷物を手に、ベンチから腰を上げた。

 「まるで雲が飛んどるみたいやで」
 「飛んどる?・・・どっちがだ?」
 男のしわがれ声が耳に入った。以外とぶっきらぼうな言い方であった。
 「えっ? どっちがだって。雲や」

 「そやないんや」
 「雲や、見えるやろ?」
 「そやから、そやないって言うとるやろ」
 杉田は、妙なことを言う男の方へ目をやった。何か面倒臭い男に関わってしまったと後悔したが、帰るタイミングではない。

 その男は、黒く煤けたサファリ帽を目深にかぶり、杉田の視線を避けるように、空の切れ端へ顔を向けていた。
 「飛んどるんやろ? 雲は」
 「そや。飛んどる。・・・いや、そやないんや。動いとんのは、こっちや」と、自分の足下を指差した。薄汚れた軍手の指先だけが覗いていた。まるで漫才の掛け合いを一人でやっているようであった。

 「動いとる? こっちが?」
 「そやっ、そのまんま空だけ見てりゃええんや」
 杉田は、その男の言う通り再び空を見上げた。しかし、杉田には、雲が流れている以外何も見えなかった。
 その男は、残っていたカップ酒を、ひと口飲んで言った。

 「にいちゃんの目には、ビルも目に入っとんやろ。それじゃなんも見えへんのや」
 「確かに街もビルも目に入っとるな。雲だけ見るんやな」
 男はそれには応えず、わずかに残っていた酒ビンを天井に向けて、もう一方の手でビンの底を叩いた。

 黒く筋張って痩せたのど仏が、コクコクと上下した。よれよれのサファリ帽の下から、日焼けして垢のこびり着いた顔が覗き、白髪混じりの髪と鬚が、紙縒り状に固まって肩まで垂れている。元の色が判別できないほど、衣服が濃灰色に染まり、肘や袖の当たりがテカテカ光っていた。
 「まだ見えへんのんかいな?」



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