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夏海 漁の悪ガキワールド

舞台を新たに、第二の人生はやはりキラキラとした別世界。

「叔父の中の戦争」_18

2019.10.27 (Sun)

「叔父の中の戦争」_18

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 目覚めた頃には、既に太陽が真上にあった。晴れ渡る西朝鮮湾とはいえ、十月の海風は刺すほどに冷たかった。寒さに加え、身体中のあちこちに激痛が走った。立上がろうとしたが、膝を捻ったらしく思うように歩けなかった。

それだけではない、手といわず足といわず身体のありとあらゆる箇所に傷を負っていた。章吾だけではない、無事な者は一人もいなかった。

 激痛の残る膝に松の枝で当て木をして縛り、見失った仲間を探しに崖の端まで歩いた。しかし、足が竦んでそれ以上覗くことができなかった。よくぞここを登れたものかというほどの絶壁で、再び降りる気持ちにはなれなかった。砂浜には章吾たちの足跡が、延々と浜の先まで続いていた。

 二人の捜索は諦め、傷ついた身体が回復するまでそこに留まって、ただ待つことにした。二人のことも気にはなっていたが、それよりももっと現実的な問題があることに気付いた。

 安東から数日で大連に着けることが前提で、奉天を出発する時に、ほんの一週間程度の食料しか持って出なかった。これから歩いて大連まで行くとなると、間違いなくどこかで飢餓が訪れる。

「お前たちは飢餓を経験してないから、分からんと思うが、あれを経験すると人間が変わるんや。正常じゃいられへんようなる。それも異常な行動に走るか、脱力して餓死してまうかどっちかや。満州で、飢餓に苦しむ人たちが、亡くなった人の肉を食べたという話しを、何べんも聞いたからな」

 章吾たちは、自分たちが発狂する前にと、残り少ない持ち合わせの食料を集め、その日は、缶詰めと干し飯のみで腹ごしらえをした。そして、林の中の枯葉や草を掻き集め、その中に潜り込んで寒さを凌いだ。膝と身体中の傷がズキズキと痛んだ。

 若さも手伝って、怪我の回復は思いの外早かった。その日は何もせず一日中枯れ草の中に埋まり過ごしたが、翌日の昼になっても、二人は結局現れなかった。

「それからやな、山賊生活に変わったんは。明るい内は山の中を歩いて、暗なったら浜を歩く毎日や。海が近いから、貝や海草、時には海に潜って魚を捕ったりしたが、そりゃ最初の内は他人の物を盗むいうのに、何となく罪悪感があったからな。そやけどそんなことは言っておれん。ヘビや野良犬も、食えるもんは何でも食った。それも見付からん時は、農家に忍び込んで野菜や鶏をかっぱらった。そや、羊を食ったこともあったな。さすがにあの時は気が引けたけど、空腹には勝たれへん。暴れる羊にサルグツワかませて、担いで山の中に逃げ、そこで解体して食ったんや。美味しかった?・・・アホ言うな。美味しかったかどうかの前に、いかに腹脹らませるかや。まるで餓鬼や。いよいよとなったら、人でも食う勢いやったで。あれだけ命を奪うことを、気が狂うほど後悔したのにな。人間いうもんは、死を目前にすると誰でも餓鬼になるんやと思った」

 一日がとてつもなく長いと思われた幼少時に比べ、年とともに時の経つのが急速である。四十を過ぎる辺りから、一日がこれほどまでに早いものかと思い、五十を境に一年があっという間に終わり、年が明け、バタバタと正月を過ごしたと思えば、目まぐるしく季節が巡る。

 人間の一生というものが気の遠くなるほど長いと感じた頃は確かにあったし、懐かしくもある。しかし今、それに反比例して、確実に年老い、急速に近づくものがあることも分かってきた。時として不慮の死に遭遇することもある。そして絶望感の果てに生きる気力を失ってしまうことさえあるが、その反面、“生”に対する飽くなき欲望もあるもの。何故、人間はこれほどまでに矛盾を抱えながら、生きているのだろうと思う。

 七釜温泉で初めて見た叔父の身体には、無数の傷跡が残っていた。その殆どが七十数年前の戦争で負ったものだという。まるで拷問にでも遇ったように。
「そや、言う通り戦争という拷問や、この傷は」

 そう言いながら叔父は、白く光ったそのひとつひとつを指でなどった。
「これだけぎょうさん負った傷やけど、敵から受けたもんは殆どない」

 背中、肩、上腕部、腰、尻から大腿部にかけてある、数え切れない傷跡は、紛れもなく死と隣り合わせの恐怖と、地獄から這い上がった者だけが持つ証であった。戦争を体験した者の中には、それらの傷を“勲章”といって自慢する者も少なくないという。
 叔父は失笑した。

「そりゃ、確かに敵の銃や砲弾に傷付いた者もいたやろ。だがな、そいつを自慢するようなやつに限って、大したことをしてないんやな。恐らく、ワシとおんなじように上官から受けたもんやろ」

 叔父が言う“大したこと”というのは、一体何であったのかは、敢えて聞かなかった。叔父を含めて多くの日本兵がしたように、敵の首を獲ることが、天皇、ひいては国家への忠誠だと見做された時代だ。数々の戦いを征し、多くの首を獲った者だけが勇者であり、尊ばれた。

 しかし、“大したことをしていない”と失笑した叔父の戦争観は、決して天皇や帝国国家への忠誠心などと違う、全く別次元のものでなかったか。そもそも“大したこと”と自慢したがる族は、あの悲惨な戦争を“是”としていたのではないか、ということだ。

 真っ当な青春時代を過ごすこともなく、早々と戦地に散った多くの若者は、国家に忠誠を尽くし、神である天皇を信じた。いや、人格改造によって信じ込まされたと、俺は思っている。しかし汚れを知らないこの青年たちだからこそ、純粋という名の熱病だったのかも知れない。

 根拠はないが。例えば、明日をも知れない生死の境界線でしか出来得ない、彼らの友情は確かに存在していたし、その戦友のためにと、自らの命をも肩替わりした若者も少なくなかったと聞く。一言で戦友とか友情という単純な意味で、命の交換などできる筈はない。我々、戦後生まれの俺たちには到底理解できない精神世界ではなかったか。

「あれは一体、何であったか」と、叔父は言った。
 明治以降、日清、日露と連勝街道を突き進んだ帝国日本は、いつの間にか高い木に登るブタになってしまった。太ったブタは足下が見えない。問題は、ほんの一部の人間が、人であることすら忘れて暴走したことである。これが日本の将来を台無しにしてしまった。

 彼らは、元は人間であった筈であり、決して戦争など考えてなかったと、俺は信じたい。戦争すれば大勢の人間が、罪のない人間が死ぬことになる。殺し殺されあとは復讐の連鎖が繰り返されるだけなのだから。その結果、戦争責任だと自ら楽な選択をしたり、ひたすら責任逃れに奔走したり、預かりし天孫民族を護り切ることができなかったばかりか、自ら進んで死に追いやった畜生以下の族である。

 それら憎むべき族の末路はどうであったか。叔父だけでなく、俺だって見てみたいところだ。
 叔父もそうであるように、戦地で戦い、受けた傷のひとつひとつが、終戦を境に呪いとして噴出した。呪われるべきは戦争ではない、戦争を“是”とした者たちである。日本のそれだけでなく、この戦争で失った数え切れないほどの命と、人の心の尊さや、そして美しさ清らかさが、取り替えの効かない痛みとなったのだと、そう思う。

 戦後十数年経った頃から、戦友会の案内が届くようになったが、叔父は一度も出席したことがないという。戦争での傷口を舐め合ったり、或いは、自慢しあったりすることが、そんなに楽しいのかと、叔父は皮肉を言う。だが、戦友の中にはその後の動向を、頼みもしないのに知らせてくるものがいたようだ。

 ある者は精神を病み、ある者は何年もの間、復讐心に取り憑かれた。終戦直後に頻発した上官への復讐劇は、かけがえのない友や、家族を失ったその怨念が抑えようのないマグマとなって、噴出したということだろう。



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