昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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夢見る鳥人。

2007.01.08 (Mon)

台所の勝手口を開けると、三角形の裏庭が見える。冬の雪囲いをすると、その勝手口は閉ざされて長い冬に埋もれた。裏庭は高い土手が迫り、その上に階段状の田んぼが山裾まで連なっていた。
台所の上の二階の屋根が田んぼと接していたため、雪が積もると田んぼと屋根が繋がり、ちょうどスキー場で見るゲレンデへのスロープのようになった。

遊びとしか思っていなかったスキーがスポーツであることを知ったのは、中学校に入った頃である。その頃、冬になるとテレビでもジャンプ競技が盛んに放映されて、鳥人のように空を飛ぶ姿に魅せられたものだ。

ルールもスタイルも飛距離も、今では総て違ったものになってしまったが、当時はまだ、いわゆるクラシックスタイルであった。
序走の姿勢は、腰を屈ませるスタイルは今でも同じだが、両手を前に出してプールに飛び込むようなカタチであった。サッツで飛び出してからも、両手を鳥の翼のように広げる。空中姿勢もV字形ではなく、両足をきれいに揃えるのが基本的なルールであった。

空中に舞うジャンパーたちは、まさしく鳥人に映った。
ボクはジャンパーを目指すつもりはなかったが、あんな風に空が飛べたらどんなにいい気持ちだろうか、くらいは思っていた。
考えたことはすぐに実行しなければ、気が済まなかった。そして、裏の田んぼにジャンプ台を作ることにしたのだった。

階段状のそれは、雪が深くなると緩やかなドレープになった。
ボクはまず、一番高い田んぼまで上がって、出っ張った部分をスコップで削り、窪んだところに埋めてスロープにしていった。それから、一番下の田んぼの畦をより高くして段差をつけた。
150mほどのスロープに傾斜角30度。ジャンプ台にしては、なだらかで初心者並みのコースではあったが、それなりのスピード感はあった。

テレビで観たジャンパーを思い描き、前屈の姿勢をとった。サッツのポーズも、あらかじめイメージトレーニングしてあった。何度も転倒し、頭から突っ込み、全身雪だるまになりながら、ジャンパーの姿を追った。それでも、10mに満たなかったが。

1972年、冬期オリンピック札幌大会に、笠谷幸生、金野昭次、青地清二がノーマルヒルで金銀銅を独占したのは、それから5年後のことである。

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コメント

これもいい文章。でも、いいエッセイの感じがあるんだなあ。

救援物資とどこがちがうのか。多分、動きの問題だと思う。これは、鳥人を夢見て「回想」している。基本的に回想はエッセイです。

保坂さんが書いていたけれど、「素人は回想を多用する。そして回想は現実を脅かさない。」 こんなことはあると思う。「現実」とはおそらく「読みの現実」だと思います。

救援物資にしろテレビ映像と格闘するにせよ、愉快な経験がいっぱいあるんだなあ。でも、こうしたことのミニマムな経験はみんな体験していると思う。ただ、きわめて過激に夏海さんが体験しただけだろう。この意味で、普遍的な体験だし、おもしろいんだとぼくは思う。

お礼まで

訪問ありがとう。チキンラーメンの食べられた数量だけそれぞれの人生があったんだな、今更ながらに偉大さが見えました。丁寧なコメントありがとう。
リンク、昭和30年代を無断で私の「好み」に入れて楽しませてもらっています。これを機会に寄せさせていただきます。

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