昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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乾き病いと昭和39年。

2007.01.29 (Mon)

「お前はカワキヤマイか」と、父は言った。
「カワキヤマイって?」
「一日中喰ってばっかりいる、お前のようなのを言うんや」
「一日中喰ってへんで。そやけど、腹減るんやからしゃあないやんか」
「あんまり喰ってばっかりおると、クーちゃんみたいになるで」
「ならへん。あんなんならへん」

クーちゃんは隣の温泉町でよく見かけた女の人で、名を久美子と言った。名字は知らない。クーちゃんは背丈が180センチ以上あって、胴回りが父の3倍ほどあった。タバコ屋の娘であった彼女は、歩くのも億劫なのであろう、ダルそうな面持ちで、タバコ屋の小さな窓の暗い空間で、壁を背にしていつも座っていた。足は投げ出したままであった。
一二度外を歩く姿を見たことがあったが、大汗をかきフーフーいいながら、数歩歩いては立ち止まり、また数歩歩いては立ち止まりと、自分の身体でありながら持て余していた。

ボクは、クーちゃんみたいには絶対ならないと思っていた。しかし、いくら食べても満足感というものを感じなかった。大人と同じ量を食べているのに、食べ終わった瞬間から腹が減っているように感じたのだ。

大家族であったボクの家では、普通の家庭で見る、上品でこじんまりと、別々に料理をよそうようなことはしなかった。面倒臭いのである。大きなテーブルに大きな丼鉢がデンデンと並んで、それを自分用の小皿に移しながら食べるのだ。だから、いつも丼鉢には山盛りのオカズがあり、それを3日も4日もかけて食べることがあった。

「お前、小さい身体してよくそれだけ入るな。どこに入っとるんや」
父から、そう言われだしたのは、ボクが小学校の高学年の頃であった。
「腹が減ってはイクサがでけへんやろ」
「アホか。お前のイクサって一体何や」
「・・・・・・・・・・・」
イクサの意味も分からず、祖父や父がよく口にしていた言葉を、口走っていたのだ。

とにかく年がら年中、四六時中お腹をすかしていた。三度の食事はおろか、親が働いている留守を狙って、水屋の中のものを盗み喰いした。それでも足りない時は、白菜まるまま刻んで醤油をぶっかけて食べた。播州の親戚から毎年中元で送られてくる素麺を6束、自分でゆがいて醤油味だけで大急ぎで食べた。素麺を6束はさすがに腹が割れそうになった。

同じクラスのT君やN君も同じことをしていた。先生に殴られてすぐに止めたが、「早弁」を最初に始めたもの僕とT君であった。朝、遅刻を気にするより、最後まで食卓にしがみついていた。誰かの残すものが気になって仕方がなかったのだ。

「漁ちゃん、学校いこ」
玄関口で友だちが待っていた。
「まだ喰っとるんか」と、父が怒鳴った。
口一杯詰め込んで、慌てて出た。カバンがやけに重かった。ボクの弁当は父のそれと同じサイズのドカ弁であった。しかも父より重かった。ご飯の量が違うのだ。ドカ弁から浮いたフタを思い切り押さえ付けたので、いつもご飯が餅のようになっていた。箸を入れると弁当の形そのまま持ち上がった。しかし、ご飯の量の割に、思いの他オカズが少なかった。

ドカ弁にはオカズ用の仕切りがない。だから、弁当全体にご飯を入れて、その上にオカズを乗せるだけであった。いつもは漬け物とか、塩昆布、梅干、おかか、たまにフィッシュソーセージや魚の缶詰めが入っていることもあったが、ご飯に染み込んだり教科書を汚した。それでも一粒残さず平らげた。

父があの頃言っていた「乾き病い」とは、過食症というのでなく、大喰らいの一種のけん制用語であったのかも知れない。貧しい農家であったボクの田舎では、戦前まで「口減らし」のようなことがあったという。その名残りなのだろうか、「乾き病い」とか「穀潰し」などという言葉が、半ば公然と口にされていた。

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