昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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鬼門と叔父。

2007.03.26 (Mon)

度々“下”の話しで恐縮だが、先日、たまたま友人としていた「鬼門」の話しで、ひとつ想い出したことがある。
そもそも「鬼門」とは、風水でいう最も日本的な発想であり、日本人には「鬼門信仰」というべきものが根強くある。たとえば、『鬼門に便所を作ると、主人が死病に取り憑かれる』とか、『そこに玄関がある家は、不幸が訪れる』といったものである。
方角で言えば北東であり、十二支の「丑」と「寅」に当たる。だからその方角に便所や玄関、或いはキッチンなどがあれば「不吉」であるとされる。反対に、南西の方角は「裏鬼門」と呼ばれ、昔話しの「桃太郎」の鬼退治に登場してくる「サル(申)」「トリ(酉)」「イヌ(戌)」がそれである。つまり、不吉な鬼を退治するには「裏鬼門」に当たる3者が、どうしても必要だった訳だ。

「鬼門」の話しはさておき、我が家では、その「鬼門」に当たる位置に便所があった。<便所の横の柿の木。(06.12.4投稿)>でも記したように、その便所の外側に、柿の木の他に南天と万年青(おもと)が植えてあった。そのことからしても、風水に習って邪気を祓い、「気」の流れをよくするのが目的だったのだと推測できる。

もちろん田舎である上に、昔は下水の完備はなく、大きな“クソ溜め”があるだけの汲取り式であった。この便所にまつわる話しは尽きない、「鬼門」以上に忌わしい場所であった(らしい)。

何故「鬼門」以上に忌わしい場所であったか。それは、不覚にもその“クソ溜め”に落ちたという悲惨な事件があったからである。もちろんボクではない。

父が小学校の頃、父の下にヨチヨチ歩きの末弟(ボクの叔父)がいた。その叔父は、実に温厚で優しく、真面目で男らしい人であった。祖父が他界した、ボクが5年生の時まで同居していて、実の兄同然に慕っていた。
その叔父が小さい頃、あろうことか、「鬼門」である暗闇で不覚をとったのだという。

当時の我が家の便所(というより厠と言った方が、イメージ的にピッタリだ)は、木製の床に長方形の穴をストンと切り込んだだけの、実にシンプルなものであった。床は歩く度にギシギシと音をたて、踏み外す前に抜け落ちてしまうのではないかと思われるくらい恐怖感がつきまとった。

だから、暗い夜や寝ぼけたりして一歩間違えば、暗い“クソ溜め”の奈落の底へ落ちてしまう危険性があった。それだけではない。汲取りが終わった後の柔らかい時など、臭うだけでなく、“大”をしようものなら、しっかり“オツリ”を頂かなくてはならないのだ。
そういう場合のコツは心得ていた。“大”のものが体外へ放出された瞬間、ヒョイッと腰を浮かせればいいのである。

だが、いくら危ない便所といっても、そうそう間違っても落ちたりすることはないし、状況からして油断はしないものだ。
「叔父は不運だった」。そう言うしかない。夥しい糞尿の真っ暗闇に、しかもまっ逆さまに落ちたのであった。
「落ちた」。これほど悲惨なことはない。想像はしたくないが、こういうものに限って想像力が掻き立てられるのも事実だ。

ともあれ、この不運な事件のことを叔父は記憶していない。(これは幸運であったかどうかだが)

父の話しではこうだ。
ヨチヨチ歩きの叔父は、父親(ボクの祖父)に連れられて厠へ入った。中で見ていればよかったのだが、祖父としても、息子に(ひとりでさせる)練習をさせようと考えたのかも知れない。何にしても、息子が中で頑張っていると、誇らしく思っていた矢先に悲鳴が聞こえた。
祖父が中へ入ると、息子はいなかった。そして、暗闇の“クソ溜め”の中で溺れる姿を発見したのである。

厠の中から“クソ溜め”に手は届かない。そこで一旦座敷に戻り、台所の勝手口から裏庭を横切り、厠の汲取り口まで走った。汲取り口のフタを開けると、今にも底無しの沼に吸い込まれそうな叔父がいた。
祖父は、自分がクソ塗れになるのも構わず叔父を引き上げ、すぐさま下の河原へ行き、洗ったのだという。

その日から叔父は、暫く下痢が止まなかったらしい。そして叔父は、その後幸運であったかというと、それも定かではない。

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コメント

いやもう、笑ってしまう。悲惨であり、悲しいことだけど、でも、なんか愉快であり、滑稽だ。その叔父さん、ぼくも好きになりそうだ。

畑の肥溜め

訪問ありがとう。
95年は「鬼門」だった、としか言いようのない暗い記憶が残ります。そうですか友人関係の悲惨さを体験されたのですね。関東もいつ来てもおかしくないと言われております。
現実的な救済は、震災もオウムサリン被害者もなおざりになっているようです。松本サリンの被害者でありながら一時は「犯人」にされた家族の方々の救済も、そして警察長官銃撃の犯人もわかりません。
どうして「現実処理」が日本では進まないのでしょうか。比較したくはないが9・11のアメリカの救済や記念建築物など記憶に残す運動は、市民社会のある意味での健全性を感じさせられます。
日本でも神戸救済での市民の動き、ヤクザさんの動き、バイク暴走族の動き、地元スーパーの動きなど直前のすばらしい活躍が沢山ありました。
落ち着いてきてからは、どうしても行政の力が必要な段階に移りますが、当時は「正義の味方」(そんな一般的空気)の首班と首相でしたが、正義と「現実処理」能力とは比例しなかったようです。(お笑いです)

話題換わり。
秋遅くから冬に入る頃、畑にある肥溜めに夕方の色判別が判らなくなる時刻、遊びに夢中で落ちた経験があります。
そのままの姿で家に戻りお袋から怒られながら井戸で身体を洗ってもらいました。
年を取った母は思い出しながら子育ての苦労話の時には必ずこの事件を蒸し返しました。
洗っても身体からの臭いが消えないような感じがして、一緒に遊んだ友達からは学校で「クサイ クサイ」と言われ皆に知られ暫らくしょぼんとしていました。
周りが農家で肥溜めを大切にしていたから、よくあることだで済みました。今なら相当の「苛め」対象になっていたと思うと、住み易い共同体だったとホットします。

[M]はほんとうは閉鎖的なんですよ。だから、ぼくは敬遠していた。

だって、ぼくの記事を読んでくれるのは、ぼくの友だちと、さらに、その友だちなんですよ。ということは、ぼくは友人の顔をつぶさないように書かねばならないわけで、つまりは、見事なお友だちぶり、人間ぶりをしなきゃいけない。

つまり、構造的に「M」は閉鎖的な空間だと感じました。だから、開店休業。いいや!と思っているところもあります。

けど、海賊君の発見は、ん!と感じるところもありました。

そのシステムや実際を、ぼくは知らないので良くわかりませんが、ぼくがこういうレスポンスのいいものへの期待は(ブログに比較して「M」はレスポンスがいいのが売りだったはずだ)、仲良しを超えてスポンスがいい…を求めていた。

これはレスポンスの問題で、その内容はヌキ(原則として)。反応とかニーズとか、そのあたりのことを調べるツールとして考えられないだろうか、ということです。

「M」の新しい使い方、教えてください。

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