昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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笹舟と昭和33年

2007.04.12 (Thu)

水は透明で、どこのものでも飲めると信じて疑わなかった。しかし、それを見事に裏切ってくれた出来事があった。

昭和33年の夏、祖父に連れられて従兄弟のいる横浜へ旅立った。道中のことはまるで憶えていないが、蒸気機関車の黒煙が、トンネルに入る度に車内に充満して、夏の熱い日に窓が開けられなかったのと、大阪を通過する時、タールとドブが入り混じったような、強烈な臭いがして、慌てて窓を閉めたことだけは憶えている。

紅白の大きな煙突が林立した工場地帯から出た、真っ黒な煙りが空を覆い、街全体は無彩色の無気味な世界であった。後年、「赤ちゃんよ永遠に」という映画を観た時、あの時の真っ黒で不気味な大阪が蘇ったものである。

昭和33年という年は特別な年であった。
東京タワーが完成したのもこの年である。日清のチキンラーメンが発売されたのもそうであった。そして忘れられないのは、『昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、巨人並びに長嶋茂雄のために絶大なるご支援を・・・。我が巨人軍は永久に不滅です』と名言を残して引退した、国民的英雄・長嶋茂雄が、巨人軍に入団したのもこの年だった。

岩戸景気と呼ばれるものが始まったのもそうである。たとえば物価は、はがき5円、封書10円、ふろ代16円、理髪料金150円。で、大卒の初任給1万3000円である。そして、その頃の平均寿命は男性65歳、女性70歳と現在に比べてかなり短い。

そんな激動の時代の幕開けに関係なく、ボクはまだ小学校にも入っていない、“はな垂れ小僧“であった。
時代に取り残されたボクの村には、きれいな水の川や瀬が至る所にあった。どの水も手ですくって飲めるほどきれいであった。石や土で仕切られ、透明な水の底には鮮やかな緑の水草が生え、その中を悠々と魚が泳いでいた。手の届く所にである。

笹舟を作る・・・
(1) 笹の葉の両側4分の1づつを内側に折る。
(2) 笹の芯の両サイドに切り込みを入れる。
(3) それぞれ内側に、交差させるように差し込む。

sasabune.jpg

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コメント

ぼくも、笹舟遊びはよくしました。笹が近状にたくさんあったんだろうと思う。懐かしい思い出です。

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