昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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叔父の中の戦争――(4)

2007.09.12 (Wed)

日本中が戦争一色に染められていった。
昭和六年、関東軍の暴走による「満州事変」をきっかけに始まった十五年戦争。一旦流れ始めた侵略戦争への激流を止めることは、もう不可能であった。暴走に暴走を重ね、政府ばかりか天皇さえも無視して、大東亜戦争へと突入させてしまった。

当時の首相・若槻禮次郎にある日、陸軍大臣・南次郎から電話が入った。(奉天〈満州南部〉において我が軍は中国兵の攻撃を受け、これに応戦、敵の兵舎を襲撃し、中国兵は奉天の東北に脱走、我が兵はいま長春の敵砲兵旅団と戦を交えつつある)という報告であった。そもそもこれが発端である。

更に満洲事変の直後、陸軍首脳部は「今日の如き事態を引き起したのは、わが外交方針が軟弱を極め、日本与し易しと見られたからで、この点は院内閣の責任は免れることはできない。これ以上なお、支那が暴慢なる振舞を継続するとなれば断じて一局部の衝突とのみ看過することはできない。あくまで我が実力を発揮せしめねばならぬ」と、ぬけぬけと政府を非難して己の行動を正当化し、侵略を旨とした嘘八百を並べたてたのだった。

それから十年、昭和十六年十月、近衛内閣総辞職後成立した、身の程知らずの東条(第二次暴走)内閣は、真珠湾(奇襲)攻撃で、とうとう大国の尻尾を踏みつけてしまった。

徴兵検査を受けた中で現役兵として徴集された人は、開戦前の二十五%から、昭和二十年には九十%と急速に増えていった。現役の兵だけでは足りなくなると、兵員需要を補うために、無作為に赤紙が乱発させていったのだ。

そして、徴兵年令は戦争の激化に伴って引き下げられていった。
徴兵事務の特例法が昭和十八年に発布され、徴兵適齢がそれまでより一才引き下げられ満十九才となり、翌十九年には早くも満十七才以上の者とすると同時に、それ未満の志願も可能にした。いわゆる“根こそぎ動員”というもので、多くの学生が学業半ばで最前線に散っていった。

章吾は、世の中狂っていると思った。
偽計放送とも知らず、日本中が歓喜し浮かれていた。一種の戦争ヒステリーという“熱病”である。しかしもっとも恐ろしかったのは、十代半ばの少年兵の純粋さであった。彼らは実に美しかった。国家を信じ天皇を崇拝し、家族を守るために、そして皇国繁栄のために、自らの命を散らすことにも喜びさえ感じていたという。

なぜ国を信じるのか。なぜそこまで人を信じるのか。なぜ、そう頑なまでに美しいのか、章吾には理解できなかった。
なぜだ。・・・なぜ、こんな子どもを死なせてまで、戦争を続けなければならないのか。

♪ 花も蕾の 若桜
  五尺の生命 ひっさげて
  国の大事に 殉ずるは
  我等学徒の 面目ぞ
  ああ紅の 血は燃ゆる

  後に続けと 兄の声
  今こそ筆を 擲ちて
  勝利揺がぬ 生産に
  勇み起ちたる つわものぞ
  ああ紅の 血は燃ゆる

  君は鍬執れ 我は鎚
  戦う道に 二つなし
  国の使命を 遂ぐるこそ
  我等学徒の 本分ぞ
  ああ紅の 血は燃ゆる

  何をすさぶか 小夜嵐
  神州男児 ここにあり
  決意ひとたび 火となりて
  護る国土は 鉄壁ぞ
  ああ紅の 血は燃ゆる

愛するわが子を、むざむざと死なせて喜ぶ親が、一体どこにいるというのだ。
なのに、胸を掻きむしる思いで“お国のために立派に死んでこい”と見送らなければならなかった。

   つづく

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