昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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叔父の中の戦争――(19)

2007.11.20 (Tue)

石家荘に宿営していた章吾の部隊は、八月に入ってこれといった作戦も指示も途絶えてしまっていた。八路軍との小競り合いも殆どなく、その時点で尉官、佐官含める上層部の姿が見えなくなった。

極寒と灼熱地獄の荒野を三年近く這いずり回り、敵兵を蹴散らし村々を焼き払い、そして白旗を挙げる村びとの命を奪い、暴走に暴走を重ね、ここにきて燃料切れの車のように、突然、立ち往生してしまった。目的もなく、ただ悪戯に時だけが過ぎた。だが章吾にとっては有難かった。

八月半ば過ぎ、部隊が急に慌ただしくなった。指示系統がはっきりしないまま、どこかに移動することとなった。この頃になるとさすがに“敗戦”の噂が飛び交うようになった。取り残されたと分かった関東軍兵士は、蜂の巣をつついたように騒ぎ出した。聞けば、敗戦色が濃くなった上旬には既に、上層部は泡を食って、その家族共々、兵隊と在留邦人を見捨てて逃げ帰ったのであった。

いずれにしても、あれだけ忌み嫌っていた戦争が期せずして終わったのだ。終わったが、章吾は〈このままでは帰れない〉と思った。死と隣り合わせの毎日をやっとの思いで生き延びることができたというのに、償い切れない罪の重圧から、これから先の長い人生を、どう生きていけばいいのか、途方に暮れていた。

いっそこのままソ連兵の餌食になるか、渤海の藻屑となって消えてなくなるなら、それでも構わないと思った。
〈陽泉のあの瞬間から、ワシは人間ではなくなった〉と言う叔父。〈人間でないのなら人間の社会に戻れる道理などない〉と。

章吾たちの部隊は、三年前に来た時と同じ鉄道を逆行し、一旦、満州・奉天で待機するととなった。石家荘から北平(現北京)までは、二日もかからなかったが、そこから奉天までが気の遠くなるくらい長く感じた。引き揚げ用の特別列車とはいえ、途中の北平、天津、山海関のどの駅舎も人の波で溢れていた。

“王道楽土”を目指し、ある者は財を成し、ある者は辛酸を舐め尽くした何十万の老若男女と敗残兵が、ソ連軍の南下に怯えながら、着の身着のままの姿で出口の見えない泥沼の坩堝で喘ぐ。そしてこの混乱で、三年もの間、寝食を共にししてきた部隊の仲間の半数以上が、姿を消してしまっていた。概ね戦死、戦病死ではあったが、上官の地獄の制裁のもとに自決した者や餓死、或いは謎の死や行方知れずになった者も少なくなかった。

奉天の収容所の中で待機中、ひとりの老兵と知り合った。吉村という老兵は新京の自宅で終戦を知り、北平近郊に出兵している長男を探すために、家族を残したまま奉天へ来ていた。

吉村は若くして開拓団に加わり、満州に渡った。もともと実家は静岡であったらしいが、既に両親とも他界したという。身ひとつで大陸に渡った吉村は、そこで床屋を営みながら妻を娶った。十八になる長男を頭に、三人の子どもがいた。彼は、その長男を探しに北平近郊の営舎に行ったが、もぬけの殻。そまま奉天へ引き返した。
だが新京では、ソ連兵の日本人への虐殺の噂が毎日のように耳に入る。しかも、在留邦人を護るべき軍は、終戦を知るや否や特別列車を仕立てて、我れ先と帰還してしまった。

吉村は、関東軍が去っ後、在留邦人を護るべくしんがりを余儀なくされた。バリカンを銃に持ち替えたのだった。

   つづく

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