昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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叔父の中の戦争――(33)

2008.01.29 (Tue)

終戦による混乱と連合国の支配下という重圧に加え、大陸や南方に残された六六十万人の引き揚げは重大な課題であった。ところが、占領下で無政府状態の日本は外交権を剥奪され、自力にによる引き揚げの権限はなかった。結局、マッカーサーに陳情するしか手はなかったのだ。しかし、マッカーサーの手を借りても、ソ連はヤルタの密約を盾に動かなかった。

『暴に報ゆるに暴を以ってせず』。
暴力は暴力によって報いてはならない。引き揚げを容易にした大きな力は、蒋介石のこの一言であった。

もはや交渉の席にも着けない日本は、それまで敵国としていたアメリカや中国に対して、神にも祈る気持ちであったに違いない。情けない。まったく恥知らずな日本であった。

マッカーサーと蒋介石の力で、ようやく引き揚げに向かいだしたのだが、それに使用する船が残っていなかった。無謀な戦争を延々と続け、外航船舶の殆どが撃沈され、残存する艦船を総動員しても、疲弊し切った日本に引き揚げ船として用意できる筈がなかった。米軍は病むなく、軍の補給用に使用していた貨物船などを二百隻用意して、それを引き揚げに充てた。

思えば一九〇五年、日露戦争に勝利した帝国日本に、日露講和条約をもって満州(清国東北部)の権利と財産を、日本に移転譲渡してから四十年間。国を奪われ、国民を蹂躙され、恨みはあっても引き揚げの手助けをする義理などありはしない。なのに蒋介石は、暴力は暴力によって報いてはならないと。

あの一言で日本は救われたのだ。六六十万の軍人や一般人が、僅かな損耗率で祖国の土を踏むことができたのは、彼の、この一言があったればこそである。
『暴に報ゆるに暴を以ってせず』。
この言葉の重さが、日本人に理解できたであろうか。

ただ、連合軍も中国も、日本人の早期帰還につとめたが、ソ連だけがこの協定を踏みにじった。日ソ中立条約侵犯はもとより、関東軍武装解除後の六十万人の兵隊を騙し、極寒のシベリア奥地へ連れ去ったのだ。兵隊だけではない。銃に一度も触れたことのない一般人も多く含まれ、それらに加えられた凄まじい掠奪と婦女暴行という事実だ。

更に、大連は国際自由港とすることがヤルタでも中ソ条約でも定められていたのだが、実際は旅順軍事基地の領域内であることを理由に、ソ連は米軍艦船の入港を拒否し続け、中国政府からの要人をも、様々な理由をつけて妨害した。

妨害した最大の目的は、日本の惜しみない投資で造られた、大量の工場施設の解体と搬出を秘匿するためにあった。満州、朝鮮、そして旅順、大連には日本が投資して造られた優秀な施設があったが、ソ連は、抑留中の日本人を使い、解体して総べて持ち去ったのである。軍需倉庫に残っていた大量の物資、石炭、そして林立するクレーンも残らず。まさに“ダワイ”である。

〈日露戦争の仕返しやいうても、ほんま残酷で卑しい民族やで。それにしても、ソ連の“ダワイ”は想像を絶するの〉

   つづく
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