昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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お盆

2008.07.02 (Wed)

祭りや縁日といえば、娯楽の少なかった昔の方が面白かったという印象が強い。とにかく目茶苦茶(最近のメッチャといういい方は下品である)面白かった。まだ準備中だというのに、子供たちは寺の境内に集まった。そうして祭りの舞台が整っていくのを観察した。裏方さんたちの作業を見るのも楽しかったのである。

寺の周辺の道路にはオート三輪(バタバタとかバタコと呼んでいた)や大八車の列が連なった。参道の両側では、香具師たちの場所割りがあり、屋台づくりの道具や商品の段ボール箱が次々と運びこまれていく。子供たちの胸は期待でふくらんだ。

屋台は施餓鬼の日にも出た。施餓鬼とは亡くなった人の魂を慰める供養のことを言う。ボクらの町では8月15日の送り火の日にあった。その日は盆踊りの日でもあった。境内の中央には櫓が組まれ、大きな和太鼓が置かれた。屋台はそれを遠巻きするように取り囲んでいく。その様子の一部始終を、ボクらは見逃すまいと見守った。

屋台では、焼きイカ、リンゴアメ、わた菓子、金魚すくい、ヨーヨーをはじめ、ワクワクするような玩具や駄菓子もずらりと並んでいた。パッチン(ボクらの地方でいうメンコ。その小型のものはコッチンとも言った。

大阪でいうベッタンである)、和ゴマ、玩具のピストル、煙硝弾、2B弾、花火や爆竹、水に濡らして腕に張りつけると刺青のように肌に残る写し絵、ビニールの筒に入っていたニッキ、ラムネ、黒砂糖のお菓子である黒ボー…。盆踊りそっちのけでボクらはわずかな小遣いを握りしめ、屋台を何周もグルグル回った。

寺の本堂では「数珠繰り」も行われた。何十人もの人が車座に座り、念仏を唱えながら大きな数珠を回していくのである。これも施餓鬼同様、亡き人の魂を供養するもので、ボクら町では悪い霊を追い払う意味もあったらしい。

やがて、大威張りで遊べる祭りや縁日にも終わりが来る。吉田拓郎の歌ではないが、そこはかとない哀しみが、昭和三十年代の子供心をせつなく締めつけたのである。
鉄砲.jpg


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コメント

こんばんは

非常に懐かしいものばっかりで・・・パッチン、コッチン、はんしょう玉(私はそう記憶しておりますが)、写真の鉄砲と玉・・・湯村の、お祭りでも、おんなじようにありましたね。うちは、貧しかったので、複雑な気持ちと一緒に、当時が蘇ります。

湯村の祭りはよく見ました。

多くの家庭が農家でしたから、殆どが貧しかったです。
が、あまりそういうことは意識していなかったと思います。
親たちも、それが普通のようで別段、暗くなることもなく暮らしていたという印象があります。

湯村の祭りはよく見ました。といいますか、祭りをやっている町を歩くのが楽しみでした。
さすがに温泉町だけあって、旅行客が多くて賑やかでした。

「はんしょう玉」というのは知りません。
「煙硝弾(えんしょうだま)」なら、おもちゃの鉄砲の弾で、赤い渦巻き状(写真のもの)のことを言っていたように記憶しています。

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