昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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野山の実を食べる……3

2006.09.21 (Thu)

 山々に春霞がかかり「ツクシ」や「山ウド」の芽が出る頃、「イタドリ」や「スイバ(ボクたちはシンジャと言っていた)」がようやく顔を出し始める。4月に入り新学期がスタートすると、袋に入れた塩をポケットに押し込んで学校へ通った。

 とにかくボクたちはいつもお腹をすかしていて、野山にある食べられるものは何でも口にしていたものだ。道々生えている「イタドリ」も「スイバ」もとてもスッパイ野草だが、皮を剥いで塩をつけて食べると、甘味が出てそれなりに美味しかった。

 誰が考え出したのか分からない。これは野生欠食児童の「通」の食べ方とされて、山猿どもは皆こうして食していた。(注意…犬のテリトリー内に生えている植物は避けましょう)

「桑の実」もボクたちのおやつになった。傍らに養蚕業を営んでいたわが家には、畑という畑の畦には桑の木が植えられていた。梅雨時近くなるとそれに黒い実がつき始め、大きな竹篭をしょって蚕の餌である桑の葉を入れては、実を食べたものだ。(桑は5月の中旬から実をつけ始める。その後数週間で実が黒くなり、この時期に食べると甘い)

niyama_3.jpg

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コメント

「袋に入れた塩をポケットに押し込んで学校へ通った」…、へえ~、そうですか。やっぱり、山の子ですねえ。ぼくの小学校は住宅街だったから、ま、冒険といえば大人の通れないような路地を発見する、こんなことだった。

蚕(それからヒヨコも)は、なぜだか、誰もが一度は飼ったことがある。蚕日記みたいなものを書かせられてたのかもしれない。ぼくの家には桑の木がなかったので、近所の家に毎日、もらいに行っていた。小学生ながら、これがイヤだった思い出があります。でも、大きな繭が数個できた。そのあと、どうしたのか、記憶がない。

養蚕で火事になるところだった。

俺が生まれる前、危うく火事になるところだったらしい。

というのは、養蚕の室温調節が難しかったらしく、部屋の両側の蚕棚の中央の床に大きな火鉢を数個置いて、飼っていたのだそうだ。
で、2階に置いてあった火鉢の火が床を焦がして穴が明き、1階までドッと落ちてきたという。
その焦げた後がずっと残っていて、俺が中学の時にそれに気付き、オヤジに聞いたところ・・・・と言う訳だ。

ふ~ん。大規模だったんだなあ。

ぼくの蚕は、菓子箱のフタ程度のものだったから、そんなことはなかった。そもそも、学校近くの文房具屋みたいなところで、黒い、糸くずみたいな「赤ちゃん蚕」を買い、それがムクムクと太り、大きくなり(何匹かは昇天する)、しかも、真っ白になっていく。透明感を感じる頃になると、箱の端の方で繭をつくりだす。

ぼくの場合、こんな観察の記憶しかない。でも、成果というのか、なんなのか、その蚕(個別認識ができてた。だって数個の繭なんだから)との、いわば、お別れなんだから少しは寂しいんだけど、でも、そういうもんだ、とも思っていた。

いまでも、ふと思い出すことがある。あの、立派に育った蚕のこと。手で触れないように注意していた。というのも、人の手には塩気があって、それが蚕には良くないと言われていたから。

毛虫だの、特に「青虫」は、こちらが触るのがイヤだったんだけど、あの真っ白な蚕には、彼(か彼女)のために、触るのを我慢していた。

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