昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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干し柿は越冬の準備

2008.11.17 (Mon)

民家と柿.jpg

雪の便りが北の方からやってくるこの時期は、どの農家も刈り入れは既に終わっていて、越冬の準備に追われている。越冬の準備は、まさに冬ごもり同然である。

積雪の多い我が村では、大量の雪に押し潰されないようにするための雪囲い、そして食糧の確保であった。ただ、どこにでもスーパーやコンビニのある今の時代と違い、その頃の我が村では雪に埋もれ、「陸の孤島」となれば、即、飢餓の危機が想定されるわけだ。

冬に育つ作物は殆どない。ハウスさえも大量の雪で埋まるか、さもなくば、その重みで押し潰されてしまうからだ。だから越冬のための食糧は、おのずと保存食が中心となるのだった。

もっとも白菜などの葉物でも、保存状態さえ良ければ、雪の下で十分維持できる。たとえば白菜は、潰されないように藁で縛ったり、大根、人参、ごぼうなどの根菜類は、一定の温度が比較的保たれる土中に埋めるのだ。

保存食は当然、漬け物と干し物になる。漬け物は大根、葉物で、塩や味噌、醤油に漬ける。干し物はさつま芋、柿、そして「カキ餅」という、餅を薄くスライスして天日に干したものが主流になった。

わが家の周辺にある何十本もの柿の木や栗の木などは、そのためにあった。

柿は知っての通り甘柿と渋柿に分かれる。甘柿は渋柿よりも早い時期に熟して、人さまのおやつに、山鳥のエサとなって、新米を口にする頃にはなくなって、裸木になってしまう。そして、そんな時期に渋柿の収穫が始まるのである。

渋柿は、生のまま渋抜きをして食べる方法があるようだが、主に干し柿にしていた。記憶の限りで4種類ほどあったと思う。

いちばん大きいもので「みのう柿」。この名前はボクの村で呼ばれていたもので、たぶん「愛宕(あたご)」という種類のものではないかと思う。ちょうど大人の手を合わせた(それより大きいかも知れない)くらいの、ずんぐりとして先が少し尖ったカタチであった。

富士柿(甲州百目)は、「みのう柿」よりはひと回り小さい(この富士柿は、どう呼ばれていたか思い出せない)。その他に、筆柿と西条が数本あった。

筆柿はその名の通り、全体が細長いカタチをしていて、干し柿にしても実が少ないために、天日に干している内、種ばかりになって、あまり食用にはならなかった。

また西条は、別の意味で干し柿にしにくかった。富士柿と同じくらいの大きさであったが、縦に4本の凹みがあって皮を剥きにくいことから嫌われ、山鳥のエサになるがままであった。

「みのう柿」は他のものに比べ大きいだけに、干し柿になるまで随分かかった。干し柿の方法として、地方によっては皮を剥いた後、一旦煮てから天日に干すところがあるようだが、ボクに田舎では、剥いて、そのまま一本の細縄の目に、等間隔に柿を挟み、軒先にのれん状にぶら下げた。

渋柿は、干し柿とは別にそのまま放置しておいても、暫くは腐らない。ただ、ゆっくりとゼリー状に熟したそれは、濃厚な甘さがあって、ボクは苦手であった。

もっとも干し柿が完成する頃は、どの種類でも甘みが強くなるので、干して固くなる前の、甘みが出始める薄茶色のものを好んで食べていた。

雪が降り始め、銀世界が形成される頃、村じゅうの軒先には、オレンジの色鮮やかな”のれん”が、白とのコントラストに映えて、とても美しかった。

新米を味わい、干し芋と干し柿を終え、漬け物樽を納屋に積み上げ、そして、大量の餅をついて「カキ餅」を吊るし、家屋敷の周囲を茅で雪囲いを済ませて、慌ただしく父は出稼ぎに旅立ったのであった。

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コメント

No title

こんばんは
懐かしい「味」の話、ほんとうに懐かしかったです。
実家でも、干しいも、吊るし柿、カキ餅はつくっておりましたね。
芋は荒湯で湯がくんです。
さすが、雪囲いはなかったですが・・・今と違って、よく雪が降りましたよねぇ。雪が降っても、大雪でも、お風呂に入りに行きましたよ。
百目がきって言ってるかも知れません。みの柿は、今年も吊るし柿にしています。剥いたかわはほして、たくあん漬けにいれます。

ほのぼのさんへ

ほのぼのさんへ

こんばんは。
あの小学校へは時々、ソフトボール大会などで行ってましたよ。いつも負けていましたが。というのも、うちの学校は全校生徒でも60人足らずでしたので、学年に関係なくメンバー構成しなければならなかって、体格的にも不利でした。

それと、円形の体育館でしたか、高校時代、改築のアルバイトをしたことがあります。
コンクリートを入れた一輪車で、狭い足場を転がして、屋上まで運んだり、小型のクレーンを操作(本当は違反ですが)したりしました。

小学校の下に、確か「西村」の雑貨店があったと思います。そこでいつも体育道具を買っていましたよ。

No title

こんばんは
私の実家はその円形校舎にあがる・・・下の坂の前です。西村百貨は上の坂の下なんです。高校時代にアルバイトされたんですか、では、私とは、大分年が違うのかな。。。懐かしい話しばっかりで、嬉しくなってます。ありがとうございました。

ほのぼのさんへ

ほのぼのさんへ

校舎の下に下と上の坂があるとは知りませんでした。
いずれにしろ、たいして離れてはいないでしょう。

あの前の道は、中学校への通学路でしたので、
毎日チャリで走っていました。
登校時が下り坂だったので楽でしたが、帰りが大変。

あの頃は部活していたので、先輩にしごかれ、
へとへとになっても、5kの急な坂を帰らなければ
ならず、閉口したものです。
よく続いたと思います。

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