昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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3才の記憶-厠編

2008.12.15 (Mon)

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幼児期の記憶や体験が、断片的ではあるが、ふと蘇ることがある。とはいえ、多くの場合は夢か幻想に近く、普通はそれを証明することなく、時を過ごしてしまうものだ。ボクの場合もそうであった。

だが、何かの拍子に過る無声映像のようなもので、しかも妙にリアル感に満ちていた。以前記した『3才の記憶(2006.12.9投稿)』は、その不思議な記憶を社会人になった後に思い出し、父親に聞いたものである。

薄暗いオレンジ色の裸電球の下で、大勢の人たちがうごめく。木を切る人。すべすべした柱木を担いで、右へ左へ動く。霧にかかったような世界に、抜けるような青空が覆う。黒ずんだ壁や柱が真新しい木肌の香りに包まれる。

コンクリートを打つ気配。白木から舞い上がる美しい羽衣。息苦しく狭い空間が、広々とした野原のように生まれ変わっていった。何度も何度も、夢の中に映し出される映像。それは、てっきり夢だとばかり思っていた。だが、それは夢ではなかった。

父は言った。「昭和30年頃に家を改築した」と。ということは、ボクは3才前後だったということになる。
父は更に言った。「昭和20年代までの我が家は、草葺きの平屋で、母屋に二部屋と土間、三角の屋根裏部屋の物置、母屋の隣りに十畳ほどの牛小屋と、母屋から最も離れた場所に”厠”があった」という。

昭和30年に入ってすぐに全面改築された。母屋を二階建てにして大小八部屋、広い納戸、広い台所(これは自家製の豆腐や餅つきをするため)に広い土間。離れ風であった牛小屋が母屋とつながった。

土間と納屋の間に味噌、醤油(いづれも自家製)、米を収納する部屋と、精米などの作業部屋。その二階に、根菜類を貯蔵する部屋と農作業部屋。更にその上の屋根裏部屋には干し草が、びっしり埋まっていた。

以前と違っているところは、母屋の北側に便所ができていたことだ。ただ、牛の納屋の隣りにも、コンクリート製の便所があった。たぶんそれは、屋外の仕事中に催した時のためではなかったかと思う。

昔、厠は”不浄の場”として居住スペースから、遠ざけられていたと聞く。人さまの生理現象に欠かすことのできないそれを、何故、忌み嫌っていたのか、ボクには分からない。

余談ではあるが、何年か前、友人Nが大阪を離れて田舎暮らしをと、古民家のロケハンに同行したことがある。岡山の美作、丹波篠山、そして丹後である。ロケハンした古民家はどれも70年から、古いもので100年を超えた物件があった。

昔の建物は相当しっかりと造られている。太い梁、それを支える太い柱。分厚い腰板に重そうな扉。煤けた囲炉裡端や、シミのついた土間。だがその多くは長い年月の間、そこかしこにガタがきていた。中には梁や柱までも傾き、多少手直ししただけでは住むことはできないくらいのシロものであった。改築前の我が家の厠がそうであったように、その古民家たちも、やはり遠ざけられていた。

話しを戻す。”厠”のことである。
改築と同時に、ボクの記憶の中に不思議なものが刻まれていた。牛小屋の奥にあった厠が、どういうカタチをしていたが思い出せないが、厠の天井に、木製の滑車がついていたことである。

あの滑車が、一体何のためにあったのか?
たとえば、人さまの落としたモノを桶か何かに入れ、あの滑車を利用して汲み出したとも考えられるが、しかし、汲み出し用の穴は外部にあった。だから、滑車があの位置にあるのは、どう考えても合点がいかないのだ。

そこで父に聞いた。
父が生まれた頃は、その滑車に一本の縄が巻かれ、下に木槌が置かれていたらしい。父の幼児期には既に、用を足した後の始末は、いわゆる『落とし紙(当時は新聞紙であった)』に変わっていたが、ずっと前は、それすらなかったのだという。

ボクの田舎が縄と木槌であったように、紙を使う習慣がなかったその昔、ある地方では厠そのものもなく、川原で用を足したという例もある。要するに、川原で足し、川の水で洗い、流れたモノがやがて魚たちを育てる。そうして再び食卓へ上がるという、理想的なリサイクル生活を送っていたことになる。

さて、その縄と木槌の問題である。
束になった縄は滑車を通して、その先は便器(実際は”器”ではなく、板間に穴を開けただけのもの)まで達していたらしい。仮に用を足したとする。で、滑車から垂れ下がっている縄を、股間に挟んで引っ張る。つまり、縄が落とし紙の役を果たすわけである。

縄に付着したモノが乾燥すると、木槌で叩いてパラパラと落とす。乾燥していなければどうするのか、想像しただけで恐ろしい。
そのような行為のあり方が、100年近く前まで行われていたなど、除菌、消臭に慣れた現代人の我々には、いずれにしても想像を絶する話しだ。
機会があれば、”厠の歴史”なぞ研究したいものだ。

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コメント

No title

こんばんは♪
実は、今日12月15日は私の生まれた日です。
記念すべき日に、楽しいお話しをありがとうございます♪
ほんと、想像しただけで、ではなくて、想像できません。。。。。
夏海さんは、そのころどのように、用をたしておられたのでしょうか・・・

No title

ほのぼのさんへ

誕生日、おめでとう(で、いいんでしょうか?)ございます。
私の誕生日は8月でした。(ああ、クソー!)

私の小さい頃ですか?
実は、家庭内に問題がありましてね、爺さんの存命中は恐怖政治でして、私はもちろん父も、一切意見が言えなかったんです。その影響がトイレの仕様にもありました。

だから、爺さんが他界(5年生の時)するまでは新聞紙を使っていて、その後すぐに、一枚切りのチリ紙に切り替えられました。

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