昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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掛け替えのないもの。

2009.02.15 (Sun)

(”目覚めた時”の続き)
小学生の3、4年といえば全くのガキである。だから、本当の意味での”目覚め”は、もっともっと、ず~っと後のことで、単に幼児がひとりの男子として、第一段階に立ったということになるだろう。

特にボクの場合、あのような家庭環境で育ってしまったせいで、つまり男以外に”女”の子という全く違った生き物がいたことに、初めて意識したからだ。そういう意味で、一種のカルチャーショックに過ぎない。

ボク以外の男、あるいは女が、幼児から少年少女へ、そして一人の人間として、どういう過程で成長していったのか分からない。そしてそれが普通の、いわば正常な成長の仕方だったのか、こればかりは知る由もない。

ボク自身を客観的に分析するなら、正常かどうかはともかく、せっかく男女が同居するごくありふれた家庭で生活する中で、異性の関わりについて全く触れることが許されない環境にあった分、立ち後れていたのかも知れない。何しろ、男女の関わりなど汚らわしいものとさえ思われていた節があったから。

正直、不思議でならなかった。3、4年生にもなれば、親の話しを真似てみたりと、オマセな女の子が出始める。女の子は特に、男の子より、心ばかりか身体の成長も数段早い。男の子というのはガキのままである。

それが高学年のなると、ますますエスカレートしていった。時には大人の、つまり自分の両親の秘め事まで話す者さえいたものだ。ボクはそういうことを耳にする度、嫌悪感をもって耳を塞いだ。汚れた最低の人間だと、そういう世界から逃避していたと思う。

ところが、事件は5年生になった時に起こった。祖父が脳卒中で突然、逝ってしまって間もなくのことである。あの頑固で圧制をほしいままにしていた祖父の最期は、全くあっけないものであった。それを期に、我が家は、まるで絵に描いたように”暗”から”明”へと変貌したのだ。

これほどまで変われるものかと思うほど、変わってしまった。ちょうど世の中は、東京オリンピックの準備にお祭り騒ぎのまっただ中にあって、閻魔大王に勝るとも劣らない祖父でも、楽しみにしていたのだが、それを観ることもなく逝ってしまった。

祖父の葬儀を終えて間もなく、我が家にはあらゆる電化製品が届きだした。冷蔵庫、洗濯機、それに東京オリンピックを鑑賞するためにと、大型テレビに一新したのだった。そして、三十路を越えた叔父が、結婚して家を出ていった。あの働き者の叔父が出ていくとなると、急に寂しくなる。

結婚の数日前、ボクは叔父に連れられて浜坂(山陰の漁村で、鉄道の駅がある唯一の町)まで小旅行をした。小学生になってからも、大きな兄だと思って、誰よりも慕っていた叔父が、いなくなると思っただけで悲しくなった。

漁港をぶらつき、美味しい料理を食べ、商店街を見て歩いた。叔父は、最後に「何か欲しいものはないか?」とボクに言った。ボクは野球がしたかったので、バットとグローブがどうしても欲しかったのだが、悲しくてそれを言い出せなかった。

だが、その叔父がいなくなった後、父から手渡されたのは、まぎれもなく、あの時、欲しいのに言い出せなかったものだった。「叔父ちゃんからお前にだ」と。ボクは、その時初めて堰を切ったように涙が溢れてしまった。

叔父がいなくなった我が家は、祖父が亡くなった時よりも、寂しさに満ちていた。だけど、大きく変わったのは笑いが増えたことだった。あの寡黙な父も、病身の母も、毎日笑顔が絶えなかった。ボクの中で何かがなくなり、分からないが、大きくて大切な何かを手に入れたように感じた。”蛇行”する、あの思いを除いては。

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コメント

No title

こんばんは♪
夏海さんの、あのころ・・・は私とは違って、明るいですね。
いろいろ、あったのでしょうが、うちは、もう、父が失敗して。。。家の中は、荒れてましたからね。
それでも、思い出すと、嬉しいこともあるんですけどね。
お姉さんもいらしゃったんですね。
私は、なにが、そうさせたのかはわかりませんが、いろいろと、遅れていたように、思いますよ。高校の友達と話すとき、それを、
特に感じたように記憶してますが。
高校生になって。。。ですからね。遅れたまんまで、歳をとるわけで、今もそうなのかも。。。

No title

こんばんは、ほのぼのさん。

そうですか、ほのぼのさんも色々あったようですね。中学時代の印象からは、まったくそういう気配は感じられなかったですが。

ある人が言ってました。『ある程度、年をとったら、四角四面で融通がきかなくて、何でもキッチリしている性格より、多少抜けていた方がいい。多少ボケが入っていた方がいい』と。

分かる気がします。家族に可愛がられている年寄りは、そういう人が多いような。
そんな年のとり方がしたいですな。

私の祖父のような人間になってはいけない。孤独になるだけです。
そういえば、祖父がいた頃は本当に暗かった。家の中は暗かったけど、外での反動は凄まじかった。
父も叔父も、祖父のいない場所では人が変わりました。

そういうもんですな。嫌な時は直球で跳ね返すだけがノウではない、我慢しなくていいから、耳を塞いで別のことを考えればいい。聞いてるふりして、楽しいことを考えればいい。

これは最近思っていることです。


個的なテーマは難しい

ブログ入り口の顔写真、なんだか「海賊船の船乗り」のような雰囲気がぷんぷん。面白い。タフな空気がたっぷりです。

この手のテーマへのコメントは難しい。
性問題は個的な問題なので、普遍化して語ることやコメントも困難です。

貴氏の幼少時代はよく判ったというよりは、日本各地での生活の原形が観られて、私などに重ねると、懐かしく感じられる部分も出てきます。

家族が短系だった私などは、頭の中での「成熟」は早かったが、具体的な目覚めと訓練は「遅かった」のを覚えています。

性問題は、「家族」という一次集団からしか始まらないと言う社会学的な理論は正しいな、と実感できます。
この時期に私は「頭での訓練」。

その為か所属集団移動季節では、妙に「聖人」臭い雰囲気に固守していたようです。
頭でっかちの実践無理のオトコだった。

いろいろあり、目覚めると、駆け足ではなく宇宙船の速さで「突き」進んだものでも有りました。
私の好きな開高健は、やはり「短系」家族では在ったが、脳内養成力と実践能力の一致が早く、「病院で第1子誕生の時に、貴方ではなくお父さんを呼んできなさい」と言われた「ウソっぽい」面白い話しをサービスしております。
その為か「早死に」だった。

私は、どちらかと言えば晩婚。
さてさて、長生きできるだろうか・

どうしても個的な記載になるテーマでした。失礼しました。

ご無沙汰しております。

かけがえのない存在の人が自分の目の前からいなくなると、
本当に寂しいですよね。

ちなみに、おいらの祖父は植木等にそっくりで(外見も中身も)
よく笑わせてもらいました。

九谷焼の絵師の祖父は、
酒好きでみんなが体を気遣って飲むなというと、
突然神棚に向かって祈り始めたかと思うと

『神のお告げだ!もう一杯飲んでいいと言ってるぞ!』と言ったり、

公衆電話で電話をかけるときに、90円入れて10円分話して切った後に
『おお、80円戻ってきたぞ、ラッキーだな、ねずみくんにあげよう!』

と粋な小遣いの渡し方をしてくれる人でした。

じいちゃん、天国でも面白いことしているんだろうなぁ。

ありがとう

多忙の中訪問いただきありがとう。
まだまだ寒い地方。
風邪など引かず頑張ってください。
仕事終了後の面白い話しを楽しみにしております。

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