昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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うぐいすの墓

2009.05.25 (Mon)

いつ、どこからどうやって、やってきたのか、記憶の箱の鍵が開かない。
っていうか、箱であって箱であらず、だ。
憶えているのは、生涯の恩師であるT先生が赴任してきた3年生の時に、あの美しい鳴き声を響かせていたことだ。
ありがちな、いわゆるペットとしての名前はない。
いやなかったと思う。
なぜなら、墓標には名前ではなく、ただ「うぐいすの墓」とあったから。

最初は怯えていた。ボクたちが近寄る度に、
中途半端に大きなカゴの中をパタパタと逃げ回っていた。
生徒数の割に、これも中途半端に大きな教室の後ろの窓際。
日差しが少しだけ当たるそこに、いつも考え事でもしているように、頭をクネクネクネクネクネクネ・・・

そして時々、キョッキョッキョ、ホーケキョ・・・と。
その度にボクたちは後ろを振り向いた。
あまりやかましいと、T先生は時々どこかへ引っ越しさせる。
どこへかは分からない。
そして、いつの間にか教室の窓際に戻っている。

彼(彼女だったかも知れない)はもう、クラスの一員であった。
夏休みは毎日、T先生が相手をしていた。
下宿が学校からすぐの所だからだが、クラスの誰かが
交替で教室に行く約束をしたからでもあった。

夏休みも終わり、二学期が始まったある日、
彼は突然、泣くのを止めてしまった。
ペットショップも動物病院もない時代だ。
T先生も、クラス中の全員が心配であった。

数日後の朝、彼は既に息をしていなかった。
冷たくて固いその小さな身体は、
ずっと、横になって眠れなかった反動からなのか、
棒のように横たわっていた。

教室内は奇妙な静けさが支配していた。
少ししか生きられなかった切なさや、急に静かになった
気味悪さが入り交じって。
でも、必要以上に悲しんだりはしなかった。

「生」あるものは、いつか死ぬ。
たぶんクラスのみんなは、それに気付き、
心の準備はしていたのだろう。
T先生は何も言わなかった。
T先生は、無言でそれを教え、それを感じていたと思う。

校舎の前の花壇の片隅に、小さな木箱に入れられて、
土を盛り、花で飾った。
T先生は「うぐいすの墓」と書いた墓標を立てた。

決して楽しいわけではない。
が、全員が笑顔になっていた。

uguisu-no-haka.jpg
中央の悪そうなのが本人

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コメント

ありがとう

写真は「素晴らしい」。記録の王様だ。貴兄の宝物だ。
女子はおかっぱ頭。もんぺの変化でのズボンスタイル。男子は坊主頭。皆が襟付きの学生服。私もこんなスタイルだった。だが、顔が輝いている。こんな風景があった事を残していた貴方に感謝する、と言うのは戦後の暮らしの中で「私の記録写真」が残っていないからだ。
教室運営の柔軟な管理が、先生と生徒の暖かな空気を感じました。

お墓を中心に溢れる笑顔。死は生の延長ではなく、生を信じられた時代の素晴らしい記録です。写真の「木村賞」でしょう。
ありがとう。

No title

懐かしい写真!!!
私も同じような写真持ってます。
でも記憶はありません。
短靴は覚えていますが???
何を履いて通学してたのかな!!!1
最近はボケが益々盛んで困ったもんです。

No title

こんばんは♪
懐かしい写真ですね。
みんな、ほんとうに、元気そうです。
私の写真も・・・多分、おんなじようなんでしょうね。
ウグイスの墓、いい先生でしたね。
昔はよかったって、言いたいけど。。。。

No title

中年不良探偵団さんへ

懐かしいでしょう、このスタイル。
丸刈り頭に、年がら年中(夏以外)襟付きの学生服。
黒いゴム製の靴。あっ、この靴、ボクたちはタングツと呼んでいましたよ。タンは「短」か「単」か、またどういう意味なのか分かりません。

夏はゴム草履かゲタ。
そうそう、わら草履履いてた記憶もあります。

No title

fumiko1177さんへ

どうも私と同世代のようですね。
タングツを知ってるなんて、ちょっといないでしょう。
そういう意味で、あなたはバリバリですよ。
石井美千子さんのことを書いたと思いますが、
彼女(人形作家?)も同世代で、
この時代の生活シーンを人形にしているのです。
http://50th.miyazaki-jc.or.jp/doll/index.htm

この作品みると、大笑いしますよ。




No title

ほのぼのさんへ

大袈裟に言えば、今の人格形成に大きく影響したのだと思っています。いい先生だからボクもいい人間になれた、というのではなく、ボクにとって波長の合う方だったとか、もっと言うなら、この先生のお陰でつまらない人生を送らなくてすみそう。そんな感じですか。

この時代、まだほのぼのさんに会えていなかったので、分かりませんが、中学の時はよく知っていますよ。



No title

何回みてもわからない~~~




まるで終戦直後の写真だ。

No title

この頃、昭和40年に近かったと思いますから、決して終戦直後ではありませんね、DAIKさん。
で、分からないというのは、何が?
その時代に、終戦直後みたいな格好しているのがですか?
だとしたら、田舎の時間はあの頃、たぶん都会よりは10年くらいは遅れていたと思いますよ。



No title

昭和30年代の千葉県柏市、
それなりに田舎でしたが坊主頭で学生服を着た小学生はいませんでした。
ボクは、ぼっちゃん刈りでしたよ。やっぱ都会だったのかな~~~

No title

中央に近い分、色んな情報は早かったでしょうし、物資も豊かだったのでしょう。
ボクの田舎はね、そう、奈良の大塔村とか下北山、和歌山の熊野ほど険しくはないけど、
今、痔滑りが大問題になっている山形の
鶴岡市七五三掛(しめかけ)の風景に
よく似ています。

ぼっちゃん刈りの転校生は、6年間で4~5人はいたでしょうか。でも、誰に言われたのか知らないけど、すぐに丸坊主にしてきていたようです。
誰かにいじめられたのかな~。

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