昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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ゴム長靴にワラ敷き

2010.05.29 (Sat)


最近読んだ小説に「翔べ! わが想いよ」という「なかにし礼」の作品がある。その中に「雪の降る寒い日に、ゴム長靴の底にワラを敷いた」とあった。
あまりにも懐かしい話しで、涙が出た(ウソ)。

彼の祖父は小樽で造り酒屋を営んでいた。大戦が始まる直前に開拓者として、祖父を小樽に残して満州に移住した。そこで彼・なかにし礼が生まれた。彼の両親は苦難の末、満州でも造り酒屋を興し、成功した。満州での幼少時代は、使用人を何人も抱えるほど、何ひとつ苦労せず贅沢に育った。

彼が5才の時に終戦を迎えた。終戦と同時に満州は地獄と化した。彼の父親は、ソ連軍の「男狩り」に遭い、数ヶ月後に病死した。新京からハルピンへ。そしてハルピンから日本へ。気の遠くなるほど地獄の逃避行であった。

新京を脱出して1年半、なかにし親子はようやく日本の地に降り立った。向かった先は青森(その後、転々とする)だった。
氷点下30~40度という極寒の満州で生まれ育った彼にとって、青森は温暖な地に感じたのかも知れない。しかし、いくら満州とは違えども、青森は北海道のすぐ隣である。寒くない筈はない。

ボクは、かつて氷点下18度の札幌を経験しているが、住みついたことはない。ちなみに、ボクが生まれ育ったのは、日本海にほど近い山陰の山の中である。そこで暮らした18年間で、おそらく氷点下10度以下というのはなかったと思う。

それでも日本海から吹付ける大陸風と、湿気を含んだ雪が村じゅうを凍えさせた。ただ、ボクは寒さで堪えたという記憶がない。雪が降ろうと強風が吹き荒れようと、家の中でゴロゴロしていた記憶が、まるでないのだ。

防寒対策などというものは殆どない。数少ない記念写真には、セーターを着て、マフラーとニット帽姿しかない。そういえば通学時に着ていたマントはあった。

ゴムガッパはあったが、あれは汗をかくと気持ち悪くて不健康だ。もちろん着心地のいいダウンウェアのようなものは当然ない。もし防寒対策があったとするなら、それは、なかにし礼のいう「ゴム長靴にワラ敷き」であろう。あれは非常に暖かかった。昔の人の生活の知恵には感服する。

足が冷えて困った経験がないボクには、ワラ敷きゴム長靴の効用は逆に蒸れて困ったほどだ。
冷え症の女性が小さなカイロを足に貼っているらしいが、あれは暑過ぎる。どうせブーツの中など誰も見ないのだから、ワラを敷くべきだと思う。冗談だけど。



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