昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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ちょっとイレギュラーな、チキンラーメン初体験。

2006.09.29 (Fri)

同じ昭和二十年代生まれだとしても、年齢や育った環境が違うから少年時代の体験には誤差があるだろう。チキンラーメンの初体験も随分と異なるようだ。それでも多くはわが家でというのが普通であるが、ボクの場合はちょっと違った。

子供の頃から絵だけは得意だったボクは、毎年のようにK新聞社主催の絵画コンクールの制作グループに入っていた。それは小学校3年のときだった。その年も最後の追い込みになった日、メンバーは小学校近くの公民館に集まった。大多数が先生の指導で要領よく仕上げて次々に帰宅する中で、ボクら数名だけが最後まで残っていた。

結局、その日は公民館で夜を迎えることになった。空腹と睡魔に襲われながらガンバッていると、賄いの小母さんがフタのついたドンブリ鉢を運んで来たのである。先生からの差し入れですよ、と言う声に歓声が上がった。フタをとってみると、温かい湯気が立ちのぼった。これまで経験したことのない香りが鼻孔をくすぐった。初めてのボクにも、これがチキンラーメンだということはわかった。クルクルとカールした麺にひたひたのチキンスープ。その中央には生卵が落としてあった。野獣のような食欲を刺激した。卵をこわさないようにまわりから箸をつけた。あっという間だった。世の中にこんな美味しいものがあるのかと思った。ショックだった。親たちが、あんなものはニセモノだと言っていたのが嘘だと思えた。

これが、以後四十年近きに及ぶインスタントラーメンとのつきあいの始まりだった。

tikinramen202.jpg

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コメント

お! ちょっとの間に、画像が変わった。
最初に食べたのは記憶にないけど、下宿時代に随分、お世話になった。それこそ野獣のように腹を減らしていたからなあ。ガスなどない下宿だったから、電気のポットだけがあった。それで調理(?)できたのは、これくらいしかなかった。

芸大指定の下宿屋。

芸大指定の下宿屋。
インチキな映画のセットのようだった。表向きは立派な鉄筋建てに見えたが、中に入ると、古くて暗くて、汲取り式の便所のアンモニアの臭いが絶えずしていた。

8畳部屋が6部屋、20畳の台所と風呂場、納戸や作業場に農機具を置く部屋と、牛を飼ってたからそれ用の納屋と干し草を収納するでかい部屋・・・と、田舎のドでかい家に住んでいて、いきなり3畳一間(1畳分は物入れ)だから、不安を通り越して恐怖さえおぼえた。

しかし、子供は順応するのが実に早い。
あっという間に田舎を忘れてしまった。

実スペース2畳間で、キャンバスを置き、机など置けないからマージャン卓の半分くらいの安いテーブルを手に入れ、ステンレス性の細長い電気ポットを置いた。

部屋の中で立って歩く行為ができないのだ。
一旦キャンバスの前にあぐらをかくと、ずっとそのまま。
キャンバスの左側に画材を、右側に小さなテーブル。

ポット(買った憶えがないので、たぶん引き出物だと思う)は細長いからインスタントラーメンは入らない。で、考えた。
蓋付きの丼を使う手はあったが、丼がなかったので、麺を二つに折って直接ポットに突っ込んで炊いた。
もちろんポットが丼替わりになるのであった。

「麺を二つに折って直接ポットに突っ込んで炊いた。もちろんポットが丼替わりになる」―――まったく同じ。箸は、ぼくの場合、割り箸で使い捨てにしていた。

あの頃はおいしかった

夏海様 こんにちは
日清のチキンラーメンは当時鮮烈デビューでしたね。

我家では御用聞きの酒屋さんが試食品を持ってきてくれて、その場でお湯を差し、3分間待って食べました。

珍しい美味しさでしたが、ラーメン屋で食べるのと同じ値段だったと思いました。

結局我家でインスタントラーメンが流行るまでには、「豚・豚・子豚・・・」のエースコックが出るまで待つことになりました。
しかし、小生の貧乏山行では随分活躍したと思いました。
生卵を入れるあたりは確かに味噌ですね。

ぶちょうほう様、こんばんは。

あの時代、お店でラーメンを食べたことあるのですか?
私は、いつからラーメンというものが、お店で食べられるようになったのか分からないのです。
普通の(生)ラーメンを食べたのは、おそらく70年代に入った頃ですから、60年代の始め頃に食べ始めたインスタントラーメンが本物で、生のラーメンは偽物で不味いものと、暫く思っていました。

始めて食べたラーメンのことを家で話しましたけど、かなり長い間、親は信用していませんでした。
それが突然忘れた頃に、ラーメンが食卓に現れるようになったんです。たぶん、どこかで評判を知ったのでしょう。
(ラーメンは、チキンラーメンだけでしたが)

それからというもの、我が家の食料庫からチキンラーメンが切れたことが殆どなかったと思います。

そういえば、お得用の袋がありました。
工場でパッケージングできない、規格外のものをまとめて大きな袋で売っていたと思います。
あれだけラーメンをバカにしていた親たちが、ご飯の後でおやつ替わりに食べていたことを思い出しました。

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