昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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冬支度

2010.12.01 (Wed)

sukumo.jpg


11月が終わって、今年もあと1ヶ月になった。
この季節になると、いつも思い出すことがある。

田舎の秋は足早に過ぎ去る。秋の到来は稲の刈り入れで感じ、そして稲刈りが終わると同時に、冬の足音が聞こえてくる。
あの頃の父がそうであったように、長い冬の期間だけ、村の男たちは遠い都会へ出発する。
出稼ぎの準備に忙しくなる12月、子牛の競り市、そして、春に帰ってくるまでの間の、残された家族の食料の確保、来年の作付けの準備まで終え、休む間もなく出発した。

ボクの田舎は、冬の間、雪に埋もれてしまう。だから、交通が途絶えた時のために、生きるための食料を用意しておかねばならなかった。米農家だから米は十分ある。野菜もそうだ。だけど、3か月も4か月も食べる、大量の野菜を保存しなければならない。

3ドアの冷蔵庫でも、それが10台あっても足りないくらいの大容量の冷蔵庫があった。天然の雪である。
ジャガイモやサツマイモを除く根菜類は、雪が降る前に畑の中に埋めておく。葉物野菜類は畑に植わったまま、ワラなどで覆い、凍結を防ぐ。その上に雪が積もったとしても、掘れば新鮮なまま出てくるわけだ。

越冬期間に家族5人が食べる米の量が、どれくらいであったかよくは憶えていない。が、育ち盛りのボクを筆頭に、大飯食らいの子どもが3人。それに保存食用と正月のお飾りのためのお餅をつくので、何キロという単位ではない。

大雑把ではあるが、米1俵がどれくらいかと言うと、スーパーで売られている5キロ10キロの大きさではなく、「斗(と)」で表示される。つまり、1斗をキロに置き換えると約15キロ。1俵が4斗としたら約60キロになる。

ボクの田舎では、どの家庭でも大量のお餅をつく。後年、父によれば、5斗のお餅をついていたそうだ。5斗は約75キロである。余談ではあるが、我が家が今、夫婦2人で1ヶ月で食べるお米の量は、約7キロであるから、その10倍以上がお餅になっていたのだ。

お餅だけでこの量であるから、日々の家族の食用を合わせると相当な量になっただろう。だから、倉庫には何俵もの米俵が山積みされていた。食用のもの以外は玄米のままで保存した。しかし、後に残った大量のモミ殻をどうするかである。

昔の人の知恵なのだが、モミ殻を燃やして田んぼに撒くと、肥になるという。そう言えば今くらいの時期、田んぼでは、山盛りにされたモミ殻の先から煙が上がっていたのを憶えている。

父は、それを「スクモ」と言っていた。スクモは一般的には「泥炭」とか、藍の葉っぱを醗酵させて作った染料のことを呼んでいるが、ボクの田舎では、モミ殻を燃やしたものをそう呼んでいた。

吐く息が白くなり、田んぼの畦道に霜柱ができる頃、野良のアチコチにスクモのエントツが立つ。円錐状に山盛りされたモミ殻の先に、簡易のエントツが立てられる。モミ殻山の下の方で火をつけると、ゆっくりと、そして徐々に上に向かう。

枯れ葉色のモミ殻山に、黒いシミが少しずつ広がった。

日本海から吹き込む冷たい風は、冬の到来を告げる。頬が切れそうになるほど冷たく、そして厳しい。




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コメント

いや~懐かしいな

僕にも記憶があった。立ち上る煙で春霞ではなく冬霞だった。本格的な冬がやってくるのだと、妙に力が入った景色だった。
「出稼ぎ」なる用語も当たり前の暮らしだった。都会の建築現場や道路の目覚しい新装オープンは、この用語をこなした地方の人たちだった。
都会が目覚しいスピードで変化した。
それに伴って、地方の寂しさが比例した。
地方の人々のお陰が、今や逆になり地方の衰退は都会の人間が進めているとしか思えない状況だ。
お米は地方の武器だった。都会人は買うことでしのいだ。
「政府買い上げ」と言う政治業界の論理が間には入るが。
僕は、田舎にいるときは、たっぷりと食べれた。
都会に来てからは、カネがなければ、買いないという「金銭社会」の実態に触れることになった。
お餅も、機械での味がなんとなく「餅だ~」という按配にはならなかった。それもお米屋さんに予約が必要で、母が金銭の工面をしているのがたまらなかった。
僕は、あるときから意識して餅は食べなくなった。本当は大好きだったが。

春になると、黒い土がいっぺんに田んぼに蓮華が咲き、気持ちがよくなった。
今では、薬剤を使うために、景色は同じだ。
蜂蜜も蓮華の美味しいのがなくなった。
絵から、色々と思い出させてもらいありがとう。

泥酔どのにも田舎暮らしでの経験がおありでしたか。
でしたら、あの時代の風景はよく憶えていらっしゃるのですね。
この風景シリーズ、時々書こうと思っています。
出稼ぎという言葉は、今やもう死語になってしまいましたが、
カタチを変えて、まだ習慣はあるようです。こういうものはやはり、疲弊した地方からの季節労働者で、それさえも職にありつけない時代になりました。
>地方の衰退は都会の人間が進めている・・・
確かに。
地方で生まれ育って、都会に憧れて来て40年近く、バブルで有頂天になった陰で、地方が衰退していく。都会人はそういうのは無頓着で振り向きもしなかった。
そして今、都会さえも衰退の一途を辿っている。
ひたすら便利を求め、合理主義と利益のみを優先して、辿り着いたのが生産社会の流出と就職難民製造。
日本が今、どっちへ向かって走っているのか、そう、政治家さえ分かっていない。



ノスタルジーの世界

夏海 漁様 こんにちは
昔の懐かしい風物を、切なく思い出しながら、読み進めました。
我が家は生産農家ではなかったので、小生はこういう語り口を出来ませんが、子供の頃に確かにそのような風景が身近にありました。
しかし、育った場所がカラっ風の関東でしたので、雪には殆ど縁が薄かったですね。

ところで、冬に食べる白菜漬けは絶品でしたね。
あの味を思い出して、自分でチャレンジしたこともありますが、どうしてもお袋のようにうまくは出来ませんでした。

籾殻を燃やす光景も最近は殆ど見なくなりましたね。
懐かしい光景がどんどん遠のいてしまいます。

ぶちょうほうどの、こんばんは。
そう、我々が子どもの頃は、都会でもちょっと郊外に行けば、普通にこんな風景があったのですが、今はよほど僻地に行かないとこんな風景は見られません。化学肥料全盛の名残りで、稲刈りの後の風景が一変しましたね。
白菜漬けですか。ボクの田舎では5種類くらいはありましたか。普通に塩漬けにするのから溜り漬け風にするのやら、唐辛子、ナスやキュウリと一緒に酒の粕漬けしたり。


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