昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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高山彦九郎?

2013.06.01 (Sat)

京都での仕事の時に、よく待ち合わせ場所にしている

京阪三条の「高山彦九郎像」。

彦九郎.jpg

散々行っているのに、高山彦九郎なる人物が何者か

全く分かっていなかった。(眼中にもなかったが)

inka.jpg

今日はたまたま、「インカ帝国展」を観に行くのが目的だったけど、

ちょっと気になって立ち寄り。

彦九郎3.jpg

石碑には、「高山彦九郎先生皇居望拝之趾」とある。

確かに、どこかへ向かって這いつくばっている姿だ。

解説には出身地と京への上洛時に、御所へ向かって拝礼した

その姿を、そのまま銅像にしたらしい。

彦九郎2.jpg

何となくこれだけ見れば、上洛する時に御所へ向かって拝礼した姿が

いたく天皇に気に入られ、その後、勤王の志士たちの手本になった、

としか見えない。



しかし、それ以上の情報は一切なく、

仕方なくネットで調べることにした。

(転記)
上野国新田郡細谷村(現群馬県)の郷士高山良左衛門正教の二男として生まる。13歳の時に「太平記」を読んだことをきっかけに勤皇の志を持ち、18歳の時に遺書を残して家を出て、各地を遊歴して勤皇論を説く。前野良沢・大槻玄沢・林子平・藤田幽谷・上杉鷹山・広瀬淡窓・蒲池崑山など多くの人々と交友。京では岩倉具選宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことにより光格天皇にも拝謁した。
尊号一件と呼ばれる事件に遭遇し、公家中山愛親の知遇を得た事が老中の松平定信など幕府の警戒を呼ぶ。1791年には九州各地を旅した後に薩摩藩を頼ろうとするが退けられ、一時は豊後国日田において捕縛される。その後も幕府の監視を受け、1793年、筑後国久留米の友人森嘉膳宅で自刃する。享年46。多年にわたる日記を残しており、吉田松陰はじめ、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人物である。また、二宮尊徳や楠木正成と並んで戦前の修身教育で取り上げられた人物である。

なるほど・・・・・




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コメント

1年ほど前ね、このおサムライさんなんで土下座してるのって
最近のバカ学生が云ってるって話が新聞に載ってた。
多分、ボクが小学高学年か中学生の頃にこの像できたはずです。
駅前がきれいになる前はもっと鴨川に近いかどにあったよ。
なんど説明読んでも忘れてしまうバカ頭だけど、えらい人なんだ。
台座に島津の紋が入ってるってことは、
薩摩にもとても影響を与えたのかな?

AOさん、まいど。

そうか、そんなに古くないんやね。
そうやね、オレも調べるの忘れていたんやけど、島津マークが気になってる。彦九郎はん、確かに九州地方を遊歴したとされてるみたいやけど、光格天絡みで反体制側から嫌われていたり、薩摩からも嫌われていたふしがあるのに、何で島津マークがあるのやろ?と。
ひょっよして、島津製作所が寄贈したのかなぁ?

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