昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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ルーツ

2014.02.09 (Sun)

「一体、自分のルーツは誰で、どこから来たのか?」

これは6年ほど前、「一本の刀」で語ったことである。それには、夏海家の7代目がボクであるとしていたのだが、今年の正月に墓参りした折に、新たに刻まれた3人の戒名があることが分かった。

新たな戒名には「浅右エ門」の名があった。没年は文政10年6月となっていて、夏海家の墓石にある以上、先祖の一人に間違いない。

墓石.jpg

文政年間は、1818年から1829年までの11年間ある。従って浅右エ門の亡くなった文政10年は1828年なのだが、彼の生年の記録が残っていなかった。

「一本の刀」の時、初代としていた俊一郎が文化3年(1807年)に生まれ、安政4年(1858年)に亡くなっているので、浅右エ門は俊一郎の前に行きた人間であり、ひょっとしたら父親、或は祖父だった可能性が出てきた。

1828年に亡くなった浅右エ門が、一体何才であったのか分からない。仮に50才だったとすると、22才の時に俊一郎が息子として生まれたことになるが、70才が没年なら、生年が宝暦年間なので、俊一郎の祖父であった可能性も否定できなくなる。

何故今になって浅右エ門の存在が分かったのかというと、3年前、墓地の移転の際に、温泉町にある夏海家の親類に残っていた系譜である。うっかり見落としてしまいそうな図の端っこに、確かに浅右エ門の名があった。

浅右エ門は7人兄弟の4男で、結婚と同時に分家。夏海性を名のって出た後、相次いで4人が亡くなったようだ。戦死か病死か、何しろ江戸時代の混乱の時だから知る由もない。

二つ目の戒名には、没年も俗名もなく、ただ「浅右エ門の妻」とだけある。もちろん生年の記録もない。ただ「浅右エ門の妻がいた、らしい」としか見えないのだ。いくら混乱の時代とはいえ、この世に生を受け浅右エ門という男と結婚した筈である。その時代の女は、人間として扱われていなかったのか、である。

3つ目もまた、謎である。
戒名から見ると、明治17年正月(1885年)亡くなった男である。彼は一体誰なのか。没年だけが刻まれ、名前も続柄も生年も、一切不明である。

親類の系譜図には、分家した浅右エ門の下ではなく、隣りに記されていた。浅右エ門に子どもがいたかどうか、これも記録が残っていない。たとえば、浅右エ門に子どもができなかったので、養子を取ったとしても憶測でしかない。

まさか、墓石に憶測で刻むわけにはいかないので、ああいう形になったのだろうし、亡くなった年代からしても、明治17年(1885年)であるから、1928年に亡くなった浅右エ門の息子だというのは、かなり無理がある。

以前、墓石の業者から聞いたことがある。
一般的な基準として、除籍した家族の名は刻まれないし、没年がいつであろうと、主人(つまり父親)の左に妻、その左に子どもの名が刻まれるのだというが、明治17年に亡くなった彼が、浅右エ門の左に彫られているから、これはいかにも謎である。

いずれにしても、分家して夏海性を名のった浅右エ門が、初代である可能性は極めて高く、従ってボクは8代目か9代目ということだ。まだ納得していないが。



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