昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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ある記憶

2016.10.08 (Sat)

豊洲市場の移転、東京オリンピック。東京は今、揺れている。けれどその大イベントは必ず、4年後にやってくる。

今思えばであるが、この世界に憧れはじめたのは、かすかな記憶にある1964年の東京オリンピックであったように思う。もっともイベントに参加している選手でもなければ、競技でもない。町のアチコチに貼り出されていたポスターである。

Tokyo_1964

あの作品がグラフィックデザイン、つまり商業デザインというジャンルであり、その作品は亀倉雄策氏が創出したものであると知ったのは、随分あとのことである。

あの時の衝撃は、今でも鮮明に残っている。真紅の日の丸にTOKYO 1964。これ以上あり得ないシンプルさとインパクトあるシンボルマーク。そしてスタートダッシュの瞬間を捉えた、早崎治氏の写真である。

hayasaki

縁あって、この世界の片隅で生きてきて約40年である。ボクはこの間、これを超越するデザインを目にした記憶がない。
その仕事も、そろそろ終焉を迎えようとしている。

話は変わるが、一昨日のTV番組で大阪の新世界が話題になっていた。長年、大阪で住み暮らしているボクにとって目新しくもなく、生活の中に完全に溶込んでいるのだが、メディアでは”大阪のおばちゃん”、いわゆる”みなみ”、”新世界”は話題性があり、時々、面白おかしく取り上げられている。

その番組で取り上げられたのが、新世界を包括する”西成”という地域のことである。この地域は一言で語れない独特の文化がある。

過疎の田舎から大阪へ、初めて移り住みだした学生の頃、「あの地区には決して行くな」と、友人や先輩からクギを刺された。だが、「行くな!」と言われれば、行ってみたくなるのが人情というもの。

果たして、粋がる悪い友人仲間と、その悪名高き”西成”や”新世界”を、肝試しよろしく何度か歩いた。夜中である。一度は終電で間に合わず、天王寺公園のベンチで朝を迎えたこともあった。

通天閣の下では一日中将棋を指している。いかがわしい飲み屋が並び、ヌード小屋がある。一日中呑み、酩酊している正体不明の人たち。

新世界から天王寺公園を結ぶ道は、露天商が並んでいて、あちこちで大音量のカラオケをやっている。年中無休のお祭り騒ぎである。その中を油絵具で汚れた服に下駄履き(当時はやっていた)で歩くのである。

驚異の視線を感じてはいたが、何も起こらなかった。工事現場でコンクリート詰めにされるとか、大阪湾に浮かぶなどと、色んな話は聞いたが、それは特定の世界の人間であって、我々ガキには縁のないことなのだ。

大学時代は純粋美術を目指していた。毎日、キャンバスを前にしていた。卒業して、これといった目標なるものはなく、ブラブラしていた。それを見かねて、当時同棲していたヨメの友人が、新聞の突出し募集広告を見て、念のために用意していた履歴書を、断りもなく勝手に送ってしまった。

面接に来るように会社から電話があったが、何のことか分からなかった。考えられないことだが。

一応、面接に行った。手ぶらでである。面接の時、「君は何になりたい?」と聞かれた。ボクは即座に「イラストレーターに」と。洋画専攻であっても、単位を取得するためにイラスト、レタリング、デザイン構成などを受けてはいたが、やはり絵が描きたかった。

しかし、「それは手が足りている。デザインをやりなさい。面白いよ!」と、半ば命令のようなリアクションであった。仕方なくボクは「はい!」と。

目標なく、人に言われるがまま入社した。時代のせいにしてはならないが、そういういい加減な時代であった。というのも当時、グラフィックデザイン(商業デザイン)というものが、社会でまだ認知されていなかったといえる。

入社当時のことである。I氏という5才ほど上の先輩ディレクターがいた。仕事が早く、常に感覚で仕事をしていたという印象がある。

I氏の入社時も実に変わっていた。I氏は西成で殆どホームレスのような生活をしていたようだ。会社のN氏がI氏を見付け、「お前、ウチにけえへんか?」と言ったという。

N氏が何故、西成を歩いていたかは知らないし、誘ったきっかけが何であったかも知らない。が、I氏は間もなく入社の運びとなった。ボクが就職する何年か前のことである。

I氏はそれまで、どうして食いつないでいたのか、酒好きのN氏と飲めないI氏が出会うきっかけが何であったか、謎だらけである。

彼は電車賃がなかった。だから、西成から会社のある京町堀まで、歩いて通っていたらしい。片道5キロはある。普通に歩けば1時間の距離である。

もうひとつのエピソードがある。そのI氏は昼メシ時、一人で外出し、うつぼ公園で時間を潰し、爪楊枝をくわえて会社に戻ってきていたという。間もなくN氏や社長の知ることとなり、前借りでことなきを得たのだそうだ。

笑える話だが、40年前はこんな時代であった。だが、”夢”はあった。”自分の仕事”という”夢”である。普通のサラリーマンと違い、自由さがあり、感動を欲しいままにし、自分を表現する場があった。

しかし、今はどうか。
ボクはもうすぐ終わりを迎えるからどうでもいいのだが、折角の業界なのに、自由さを自ら捨ててしまっている感がある。官僚的な社会の一歯車化して、がんじがらめの”枠”を作り、できもしない規制社会で悶々としている。

つい最近ある人間が、「想像するな」と言った。我々の仕事(だけではないが)で、想像することをしなくなったら終わりである。それこそ死んだ方がいい。

何故「想像するな」と言ったのかは知らない。
依頼主の言われるがままで良しと言いたかったのか、勝手に考え、想像することが癇に障ったのか知らない。そんなことはどうでもいいことだ。

だが、見ていれば分かることがある。どんな仕事でも業界でも大なり小なりストレスを抱えながら生きている。しかし、かつて自由であったこの業界も、そうではなくなっている。

必要以上に外面を繕い、必要のない”規制枠”を作って、自らの首を絞めている。自殺行為だ。こんな雰囲気の中で仕事をしても、面白い筈がない。若い人は特に気の毒である。

ボクがこれからどうするかは、まだ教えない。
でも、少なくともこの数年間経験したことを反面教師として、自分とヨメとだけで、より良い生き方に徹しようと。


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コメント

刺激になりました

淡々と書いている。
個人の「内面世界」は僕には見えない。
判るのは、どこかで「信」を置いてのブログ会話。
「のり代」の幅があった世間での「生き方」は異相の人もなんだか「生きて」いけた。
合理的と称する「上からの目線」でのり代は狭くなり、息苦しさを感じる時期になったのだろう、か?

上記の「五輪」写真、懐かしく思いだしました。ありがとう。
エネルギーのある写真は「のり代」の幅の証明でしょうと、思いだしています。

シベリアから無事に帰還した「三波春夫」の4年たったらまた会いましょうの革命的な声が全国に響いた。

確かに新たな「声と歌」が聞こえる2020年になるように「耳と理解力」を訓練する時間がやってきたようです。
つまらぬ「政治与太話し」に反応するよりは、貴君も最後に書いていた「ヨメさんと貴君の」幸せが一番でしょう。
よき日が楽しみです。

大きな分岐点

少なくともバブルの崩壊が、大きな分岐点だったと、今思えばですが。

それまではクライアントに対しても、大手の代理店に対しても、一定以上の”攻め”はできました。”攻め”は一種の高揚感を高め、新しい発想の渦をつくるチカラになっていたように思います。

しかし、崩壊後の社会は”護り”という、しかも、ニュートラルも徐行もなく、いきなりの逆走でした。誰もが我身を守るために、決して危ない橋は渡らない。皆が知っている”前例”とか”マニュアル的”を重視し、責任をとらなくていい逃げ場を準備している。

失敗したら一番下っ端の責任。成功したら、殆ど顔を出さなかったやつが目立ちたがる。子飼を常に身辺に置き、気に入らなければどこかに飛ばす。

90年代の初めに崩壊してから約25年、あれから矢印は下を向いたまま、人も下を向いたまま。
いつからか唾を飛ばして「アベノミクス」とやっていますけど、叫んでいれば、世間はその気になる”的な”発想なのでしょう。

景気が上向く根拠が、何一つない。
「アベノミクス」は絵に描いた餅。
これは誰もが思っていることです。

それはさておき、「息苦しさを感じる時期」のこと。
景気の悪さと人の心は比例するものと、誰かが言っていましたが、そのまま、実体験したようです。

人は仕事にかかる時、多くの人たちは前もってリスクを考えておくものです。ですが、リスクヘッジが必ずしも成功するとは限らない。確率的に悪ければ一歩が出せない。
だから新しいものが生まれにくい。

言葉では「新しい発想で」とか「斬新な・・・」とか、「スポンサーや代理店をリードする」などと言いますが、リスクがあるから、決してそうしないのです。

まあ、かわいそうな気もするのですが。



面白いなぁ

イヤー、懐かしい話やね。会社に友人たちと呑み会しても、最近はあまり昔の話はしてないし。イラストレーターのY氏がいた頃はそんな話もたびたび出てたけどね。
話は変わるけど、今の若い人はナニを求めて広告のグラフィックデザインの世界に入ってくるのか?わかりません。
今の時代なら、広告とは違うデザインの世界を探すと思うのですが。広告が大好きなボクは、大好きな広告の世界が今の広告の世界にあるとは思えません。
こんなこと言ってたらバチあたるけど。

これからもそういう若いのが増えてくる。

「昔良かったこと」を思い出すのは、やっぱり年のせいかな。
でも、昔の方が面白かったのは事実。時には衝突したりケンカしたり、それで担当を変えられたり、そんなことを含めて楽しかった。
ともかく目的は、みんな同じ方向を向いてた気がする。百人いれば百通りの考えがあるのだし、それもみんな承知の上で戦ってた。
でも、今はない。百人総イエスマン。

>今の若い人はナニを求めて広告のグラフィックデザインの世界に入ってくるのか?

これは、いかにも謎だね。
大した仕事してないのに、人の役に立っているかといえば、そうでもない。そんな小さな世界ながら、もっと自由になればいいのに。たぶん自分の足が見えてないのやろね。

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