昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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テレビ西部劇狂時代

2006.11.07 (Tue)

わが家にテレビが来たのは、世間から随分遅れた昭和38年だった。それまでは近所の家で見せてもらっていたが、これからは自分の好きなチャンネルを独占できるという至福に恍惚となった。

ボクらの小5から中学生の頃にかけて、ブームの渦中にあったのはテレビ西部劇で、ボクは率先して熱心な視聴者となった。木曜日の夜8時はララミー牧場、ローハイドは土曜の夜10時、ライフルマンは水曜日の夜7時半からというふうに、ボクの一週間は西部劇を中心にまわっていた。そのうち、同好の志があらわれると、少々マニア的な鑑賞の仕方をするようになり、初歩的なところでは誰が一番の早撃ちかといった議論を闘わすことになった。とはいっても、結局は自分の好きな主人公が一番早いといった我を通すだけであったが。(今ふりかえると赤面ものの幼稚さである)

ボクはララミー牧場のジェス・ハーパー。Y君はブロンコのブロンコ・レーン。F君は早撃ちよりも、ウインチェスターの銃身を短く切った拳銃無宿のジョッシュ・ランダルが一番強いと譲らなかった。それならライフルマンのあの連射の方が凄いといったのはM君であった。こんなときに、無邪気にローンレンジャーとかいうヤツがいると、ボクらは子供扱いして軽蔑したのである。ボクらなりに、お子様向け西部劇とは一線を画していた。だから、ライフルマンはギリギリの線だった。許せるのはボナンザやシャイアン、テキサスレンジャー、バットマスターソン、幌馬車隊のレベルで、ギャンブラー系の異色作マーベリックも認めていた。ララミー牧場、ローハイド、ブロンコ、拳銃無宿はテレビ西部劇四天王であった。(ああ恥ずかし)

そうこうするうちに、マニア度にも磨きがかかってくる。大人の映画雑誌や銃の専門誌にも西部劇特集があるのがわかり、本だけは買ってくれた母親にマンガの代わりだといって無心するようになった。そんな折り、ある銃の専門誌が西部劇ブームに目をつけ、大々的に西部のヒーローの特集を組んだことがあった。ボクは密かにそいつを手に入れ、その雑誌で、ワイルド・ビル・ヒコック、バッファロー・ビル、ダニエル・ブーン、ジェームス兄弟、カラミティ・ジェーン、ビリー・ザ・キッド、リンゴー・キッド、シッティング・ブル、ジェロニモ、ジム・ボーイ等々の名前を覚えた。すべて実在の歴史上の人物だった。別の雑誌からは綴じ込み付録となっていた実物のWantedポスターの縮小版。人気絶頂のロバート・フラー(ジェス役)のカラーアルバム本も、ボクのコレクションに収まることになった。

やがて、こうしたテレビ西部劇のブームも終焉を迎えることになる。現代物の“逃亡者”や“ベン・ケーシー”などの登場とともに徐々に下火となり、ララミー牧場の最終回(淀川長治の企画によるララミー牧場の回顧番組)をもって、完全に息の根を止められてしまった。そして、現在に至るまで、一時代を画したテレビ西部劇ブームの再来はなかった。

raihuruman.jpg

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コメント

わかる、わかる、わかる、わかる。
で、ひとつ疑問。「拳銃無宿」はジョッシュ・ランダルってあったけれど、スティーブ・マックィーンじゃなかった?

ララミー牧場、ローハイドもすごかったけれど、拳銃無宿は…つまりスティーブ・マックィーンは、本質的に悲しい存在だった。この記憶とともにあるなあ。

どちらが強いか、速いかは、もちろん気になったことだったことだったけれど、ま、なんとなく話しても仕方ないという感じがあったよ。この分だけ、いうなら年長者だったんだろうなあ。

いまね、中島みゆきを聴きながら、この投稿を書いています。いやはや、ほんまに、地獄的ナルシズムに落下していくようでね。


大脱走は極め付けだった。

ジョッシュ・ランダルという主人公をスティーブ・マックィーンが演じていたと思う。
だから、どっちもあっている。

あの頃はやたら西部劇ばかり観ていたから、ストーリーも主人公も俳優も、ゴチャゴチャになって、訳がわからなくなってしましました。
エピソードも、この状態で書いたんですが、少ない資料を調べ、思い出しながらの作業。全く自信がないのです。(笑)

スティーブ・マックィーンは、かなり長い間好きだった。
カウボーイのスティーブ・マックィーンというより、スティーブ・マックィーンのキャラクター性に。
大脱走は極め付けだった。

笑われると思うけど、麦わら帽子のツバの両サイドをクルッと巻いて、てっぺんを紐で結んでカウボーイの真似(自分ではスティーブ・マックィーンになったつもり)をしていました。

それから、木の枝を削って作った拳銃を腰のベルトに挟んでね。
バンバンバンバンバーーーーン!(笑)
昔、牛を飼っていた頃のことですが、スティーブ・マックィーンの真似をして牛に跨がったこともあります。振り落とされましたがね。

奈落の底から聴こえます。

最近音楽を聴かなくなった。
大きな理由は、再生機器が全部ツブレてしまったこと。長い間使わなかったせいですかね。
ラジカセ2台、ウォークマンも・・・。(悲)

中島みゆきは好きですね。
でも、重たい。人を勇気づけるような詩なのに、どういう訳か奈落の底に落ちそうになる。

その奈落の底に落ちたくなる時があります。(もちろん気分的にですが)
擬似的に悲愴感を味わうと、血が滾るっていうのか、「元気」とか「勇気」とは違う何か。
思考が深くなり、頭が澄んで、物語が描ける。「クスリ」をやったらああなるのかも知れない。決して攻撃的にはならないけど。

たとえば、バッハの「マタイ受難曲」「コラール」、チャイコフスキーの「悲愴」や「海の嵐」、エルガー、ラフマニロフなどを、やたら聴きたくなる時があります。あれこそ奈落の底から聴こえます。

そ、また負けちゃったねえ。

3-2で負けてるとき風呂にはいり、風呂からあがったら延長にはいったところだった。なんとなくホームランで決着がつきそうだなあと思ったら、あっけなく、そのとおりになってしまった。

日米野球はぼくの記憶でも、負けるものだった。に1勝でもすれば、どうだっ!という感じだった。でも、今年は点差はあったとしても、ま、それなりにいい戦いをしていたように思う。でも、ぱっと見でも、日本選手はキャシャだよなあ。

野球とサッカーは、ぼくの知識の違いです。

野球はそれなりに長く観ているわけで、解説を聞きながらだけど、「こういうときには、こうする」という定跡みたいなものが、なんとなく頭にあるわけです。

ノーアウトかワンアウトで、3塁走者がいれば外野フライ…というようなことですが、するとピッチャーもバッターの駆け引きも、これを軸にしてあるということになる。こんなことがわかってくると、ただ偶然に、バットがボールにぶつかる…というような観方ではなくなってくるということです。

ところが、サッカーになると、その定跡みたいなものが、ぼくの仲にほとんど皆無なんですよね。ただ、走っている選手を見ているような気になる。そして、まるで偶然のようにボールがあちこちに動き、まるで偶然のようにゴールにはいる。

ただ、ぼくのようなド素人でも、シュートの爽快さはわかるし、そこにプロならではの技術があることはわかるけど、でも、やはり全体としては、偶然に支配されているようにしか見えないということがあります。

それにね、4年に一度のワールドカップも(ついでに言えば、オリンピックもですが)、あの雰囲気はあまり好きじゃない。そりゃ、ぼくも日本チームを応援してしまうんですよ。でも…。

たとえば北朝鮮、韓国なんかは、日本戦となると、ちょっと異常な「必死さ」を感じるところがある。相手がそうだと、こちらもそうなるわけで、こういう必死さが好きじゃない。

そして、サッカーより野球のほうが、比較的、それが少ないということがあります。今回の日米野球でも「アメリカ国vs日本国」という構図より、「アメリカ野球vs日本野球」というような、なんとなく先輩・後輩の付き合い方に近いものを感じるということです。

明日、大阪に出る予定です。電話するかもしれません。

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