昔遊びと悪ガキ

キラキラとした別世界。・・・今考えると、これほど外の世界が魅力的に感じた時代はなかった。

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夢中になってしまった。

2014.07.15 (Tue)

あれだけ待ちわびたW杯だったが、あっという間に終わった。

そのことはもういい。早く忘れよう!

ところが来年(’15年)、今度は「なでしこジャパン」の

W杯だということを思い出した。

そう言えば前回の大会では、いち早く頂点に立った「なでしこ」だ。

自分の国のチームが勝ったというのは嬉しいし、誇らしく思う。

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ところがだ、「なでしこジャパン」W杯での優勝シーンを

動画で観ていて、たまたま「リトルなでしこ」を開いてしまった。

「リトルなでしこ」つまり「U-17日本女子代表」だ。

この動画を観ていて、ついに虜になってしまった、というわけだ。

何故か。

上手い!

そしてかわいい。

それに、明るい。

で、彼女たちもまた、つい最近「U-17W杯」で優勝している。

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これは、夢中になる筈だ。

日本での美術鑑賞は疲れる。

2014.06.28 (Sat)

今日は京都でお仕事。
でも午後からだったので、ちょっと早目に出て
「黒田清輝展」を観ることにしました。

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黒田清輝の「湖畔」は、あまりにも有名ですね。
タイトルを知らなくても、絵は知らない人はいないくらい
知られています。

年に何度も美術鑑賞はしているのに、
黒田清輝は、今まで一度も生の絵を観たことが
なかったんです、意外に。

こうして展覧会に行く度に思うことがあります。
「日本での美術鑑賞は疲れる」と。
それが何故なのか分からなかったのです。

単に年なのか、ちょっと非科学的だけど
観ているだけでエネルギーを吸い取られているのではないか。
そんな根拠のないことを考えたりしました。

たとえば芸術の都・パリと言えばルーブル、オルセイなど
2日や3日観続けても、きっと全部観れないほど
巨大な美術館でも、数百円で気軽に観に行ける。

開館と同時に行って、昼メシ挟んで閉館まで観続けても
まったく疲れなかったのに、何故日本では疲れるのか。
と、帰り道考えました。

結論に達したのは、日本ではまだ芸術に対して
敷居が高過ぎるのではないか。
芸術は一般庶民にとって遠くて、簡単に触れることができない、
決して生活の中に溶込めないもののように映っている。

会場で警備員や係員に、つきまとわれながら「黒田清輝展」を
観ていると、何かいけないことをしているような気がします。
肩がこる、腰が痛い、喉がやけに乾く・・・

あまりいいことではないと思いますが、
ルーブルでもオルセイでも、ストロボを焚かない限り
作品を撮影してもOKです。

ピカソ美術館では、サンドウィッチを食べながら鑑賞して
いる人を見ましたし、スケッチブックに模写している人も、
モネの美術館ではスイレンの花を鑑賞しながらうたた寝、
そのまま寝入っているお婆ちゃんもいたくらいです。

セーヌ川沿いには大勢の人たちがキャンバスや
スケッチブックを広げています。
つまり、芸術は特別なものではなく、極当たり前の
生活の一部である、これがフランスと日本の
大きな違いなんですね。


で、昼メシの後、さっさとお仕事を済ませ、
今度は京都駅で、バルビゾンを観ることにしました。
ミレー、コロー、クールベ。
知ってるでしょう?この名前。

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舞子浜でワカメ採り

2014.04.27 (Sun)

2年振りの舞子浜です。

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しかしええ天気やった。水もきれいだ。

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ワカメが群れている。

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メシも食ったし、さあ、ワカメを採るか。

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で、我が家のベランダはいま、ワカメで一杯になりました。

チャンチャン。

蘇る

2014.04.21 (Mon)

ず〜〜〜っと昔のことだ。

と言っても20年とちょっと、いやもっと前かも知れない。

オレと、釣りキチの先輩と、Y-内と、もうひとりいたかな?

岸和田かどこかの釣りの帰りに乗り継ぐ地下鉄の駅だった。

殆ど終電で、構内には誰も客はいない。

一日中潮風に当たっていたせいで、3人ともヘトヘトだった。

誰も喋ろうとはしない。

と、気持ち悪いくらい静かな構内に、ハーモニカが響いた。

オレの好きなブルースだ。

コンクリートとタイルの硬い空洞に、切ない音が響く。

だが何という曲か、オレは知らない。

知りたかったが、途中で遮りたくない。

できるなら、ずーっと聴いていたいと思った。

永遠に電車が来ないことを願った。

ある時、彼は病気で突然倒れた。

そして、みごと蘇った。


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さくら三昧

2014.04.06 (Sun)

今年の桜は、近年になく豪勢でした。

毎年行く中央図書館裏の、小さな枝垂れ桜。

例年、寂しくパラパラとしか咲かないけど

今年は見事でした。

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これは去年の写真です。

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その図書館の隣りの、土佐稲荷神社は

もう既にピークは過ぎ、葉桜になりつつあります。

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神社の境内を歩いている内に、桜の香りに酔ってしまいました。

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更に歩くと、フェンスに囲まれた池にこんな貼り紙が

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どこにでも、つまらないことをする人がいるのでしょう。



今日のサクラ

2014.03.29 (Sat)

今日、午後から雨という予報でしたが、

結局降らなかった。

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桜はこれからです。う〜〜〜ん、まだ3部か4部かな。

木によってまちまちだけどね。

今朝の中大江公園の桜。



おすすめの一冊。

2014.03.23 (Sun)

おすすめの一冊。

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『里山資本主義(藻谷浩介 著)』を読んだ。
だけど、この本の解説をブログなどでできないので、「ともかく、読んでみよう!」と言っておく。必ず役立つ本だ。

全部端折って、一言で言うなら、
現在、日本(特に先進諸国)が抱えている、多様化、複雑化による世の中の仕組みや、生活そのもの総ての問題が、この一冊で分かりやすく解説されており、問題解決への糸口が明解に(現在、日本各地で静かに進行している流れ)示されている。

俗な言い方ではあるが、「勝ち組」と自称している人たちが言う、『お金こそが人生を豊かにする』とか、『豊かさ(ここで言うお金のこと)を感じない人たちは、人間としての価値がない』などと、これそのものが大きな勘違いであることが分かる。

と言えば、負け犬の遠吠えと思う輩もいるだろうが、この本を読めば即座に、それこそが大きな勘違いであることが分かってしまう。

お金さえあれば何でも解決できるワケがない、と言うのは、3年前の東日本大震災で、日本中の人たちが嫌と言うほど骨身に染みた筈だ。

食料自給率40%にも満たない先進国・日本。円安による輸入物の高騰で逼迫する加工業者然り。震災直後に襲った都市機能停止。停電、交通網の大混乱、町に溢れる帰宅難民。食料品や水を求めて彷徨う人、人、人。エネルギー枯渇の恐怖。

地下資源がなく輸入に頼るしかない、この国のエネルギー事情。これが、危うい薄氷の上にある日本の現状なのである。

では、これから日本はどこへ進めばいいのか。もちろんお金は大切である。であるが、メインシステムをマネー重視の資本主義だけではなく、サブシステムとして「里山資本主義」があると。「里山資本主義」とは、何も縄文時代に戻るのではない。読めば「目からウロコ」なのだが、未来の、つまり『先進的・里山資本主義』を構築するというものだ。

これは既に、オーストリアで国家あげて進行している事実。ちなみにオーストリアは、北海道ほどの国土で、人口は東京23区にも満たない。

まったく目立っていないが、日本国内においても、以外と色んな地方で進行している事実。これは単なる「町おこし」レベルの問題ではない。

他でもない、便利な生活に慣れ親しんでいる自分が、第二の人生も、できれば「便利な田舎」などと思ったところもあるが、考え直す必要がある。

何か起こったら、たちどころに機能が停止する、そんな国がよくもまあ先進国などと言えるのか。今日明日のことではなく、そもそも根っこを変えなければ何も解決しないのでは?

●「里山資本主義」に関する文献と、ホームページ

日本の最先端を走っているのは田舎だった
日本人の不安、不信を取り除く「里山資本主義」とは

里山のチカラ

「里山資本主義」は可能? バイオマス発電の虚実

「里山資本主義」藻谷浩介とNHK取材班、
原価0円で地域再生を目指す新しいモデルがベストセラーに

新書大賞に藻谷浩介氏らの「里山資本主義」

里山資本主義
日本経済は「安心の原理」で動く(角川oneテーマ21

『小さいおうち』

2014.03.08 (Sat)

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久しぶりの投稿。

今日は、日差しが暖かった午前と打って変わって、午後はドンヨリ空。気持ちのいいウォーキング日和とはいかないまでも、難波の「パークスシネマ」まで歩いた。

ウォーキングが目的ではなく、『小さいおうち』を観るためだ。

以前観た『東京家族』のこととダブって、何だかちょっとややこしい。キャスティングも殆ど同じだったというのもね。

でもボクは最近、こういう映画を観ると、「あぁ、邦画はやっぱりええな」と思ってしまう。

山田洋次監督が小津安次郎氏に捧げるとあって、しっとりとした作風は、日本人にしか出来得ない。

そして日本人の心だからこそ、深いところで共鳴するのだろう。そんな気がする。

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確定申告と”抜け穴”

2014.02.16 (Sun)

正月も過ぎ、2月に入ると急に鬱陶しくなる。
確定申告である。

毎年のことで慣れているが、帳簿と電卓での格闘は、いくら慣れていても面倒臭い作業に違いない。

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独立して既に15年経つが、最初から一度も税理士に依頼したことがない。もっとも個人事業なので、複数の事業や不動産などを抱えている人のことを考えると、ワリと単純なのだが。

独立した当初は、事務所の契約金の減価償却やら手形での契約があって、七面倒臭い計算をしなくてはならなかったし、そこに厚生年金から国民年金の切り替え手続きが重なり、何度も税務署と年金事務所通いをしたものだ。

自分で選んだとはいえ、サラリーマンは楽だと思う。全部会社がやってくれるのだから。
申告手続きはいつも、受付が始まってすぐに提出することにしている。明日がその日だ。

特段の理由はないが、早くその鬱陶しさから開放されたい一心からだろう。

ちょっと話しは変わるが、最近、書店で手に入れた「税金の抜け穴・大村大次郎著」がある。

やっとのこと、申告作業を終えたのに、こんな税金の本など鬱陶しくて、目に触れたくなかったのだが、ペラペラ捲って斜め読みしてみると、なんと、“目から鱗”ではないか。

どこかに抜け穴があるだろうことは、ある程度分かっていた。分かっていたが、それが脱税だといわれると、これまた面倒臭いことになるし、そのために何らかの工作しなければならないと考えると、落ち着いてはいられない。

しかし目を通して見ると(まだ全部読んでいないけど)、「な〜んだ、こういうカラクリがあるのか」と、あらためて感心してしまう。

それに、他ならぬ税務署の職員が、そういう“抜け穴”をフルに活用しているというのだ。
ならば大手を振って「ボクだって」と思うのは人情というもの。

しかし、今年はもう作業は終わっているので、今から“それ”を活用する気にはなれない。

抜け穴の必殺技はさておき、よく考えるとボクは、ずっと親を扶養していることになっている。

“扶養”は、なにも同居していなくたって、経済的援助をしているなら“扶養”の控除が受けられるらしい。

何度も触れているように、ボクの父親は農業をしていたため、年金が極めて少ない。しかも母は専業主婦である。

自前の家だからローンの心配はないけど、それでも高齢になってからの病院通いが増えたり、何かと出費が多い。体調を崩して治療を我慢させるわけにはいかない。

昔の人は妙なところで見栄を張ったり、必要以上に我慢する傾向がある。それは断じて避けなければならない。誰が何と言おうと。

今年は色んなことを解決しなければならない。残している農地の問題。母の足や歯の治療。父の手の状態が良くないし、それに、これからの自身の問題もある。

でも、とりあえずは確定申告だ。



ルーツ

2014.02.09 (Sun)

「一体、自分のルーツは誰で、どこから来たのか?」

これは6年ほど前、「一本の刀」で語ったことである。それには、夏海家の7代目がボクであるとしていたのだが、今年の正月に墓参りした折に、新たに刻まれた3人の戒名があることが分かった。

新たな戒名には「浅右エ門」の名があった。没年は文政10年6月となっていて、夏海家の墓石にある以上、先祖の一人に間違いない。

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文政年間は、1818年から1829年までの11年間ある。従って浅右エ門の亡くなった文政10年は1828年なのだが、彼の生年の記録が残っていなかった。

「一本の刀」の時、初代としていた俊一郎が文化3年(1807年)に生まれ、安政4年(1858年)に亡くなっているので、浅右エ門は俊一郎の前に行きた人間であり、ひょっとしたら父親、或は祖父だった可能性が出てきた。

1828年に亡くなった浅右エ門が、一体何才であったのか分からない。仮に50才だったとすると、22才の時に俊一郎が息子として生まれたことになるが、70才が没年なら、生年が宝暦年間なので、俊一郎の祖父であった可能性も否定できなくなる。

何故今になって浅右エ門の存在が分かったのかというと、3年前、墓地の移転の際に、温泉町にある夏海家の親類に残っていた系譜である。うっかり見落としてしまいそうな図の端っこに、確かに浅右エ門の名があった。

浅右エ門は7人兄弟の4男で、結婚と同時に分家。夏海性を名のって出た後、相次いで4人が亡くなったようだ。戦死か病死か、何しろ江戸時代の混乱の時だから知る由もない。

二つ目の戒名には、没年も俗名もなく、ただ「浅右エ門の妻」とだけある。もちろん生年の記録もない。ただ「浅右エ門の妻がいた、らしい」としか見えないのだ。いくら混乱の時代とはいえ、この世に生を受け浅右エ門という男と結婚した筈である。その時代の女は、人間として扱われていなかったのか、である。

3つ目もまた、謎である。
戒名から見ると、明治17年正月(1885年)亡くなった男である。彼は一体誰なのか。没年だけが刻まれ、名前も続柄も生年も、一切不明である。

親類の系譜図には、分家した浅右エ門の下ではなく、隣りに記されていた。浅右エ門に子どもがいたかどうか、これも記録が残っていない。たとえば、浅右エ門に子どもができなかったので、養子を取ったとしても憶測でしかない。

まさか、墓石に憶測で刻むわけにはいかないので、ああいう形になったのだろうし、亡くなった年代からしても、明治17年(1885年)であるから、1928年に亡くなった浅右エ門の息子だというのは、かなり無理がある。

以前、墓石の業者から聞いたことがある。
一般的な基準として、除籍した家族の名は刻まれないし、没年がいつであろうと、主人(つまり父親)の左に妻、その左に子どもの名が刻まれるのだというが、明治17年に亡くなった彼が、浅右エ門の左に彫られているから、これはいかにも謎である。

いずれにしても、分家して夏海性を名のった浅右エ門が、初代である可能性は極めて高く、従ってボクは8代目か9代目ということだ。まだ納得していないが。



ややこしい帰省

2014.01.26 (Sun)

久しぶりの投稿である。年が明けてもう1ヶ月経つというのに、今頃なんだと言われそうだ。けれど、今回はちょっとややこしい問題で帰省した。

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相変わらず代わり映えのしない帰省、代わり映えのしない正月。年々年老いてゆく親たち。過疎化の進む旧国道沿いの商店街は、まるで死んだように鎮まり返っていた。

若者はどんどん都会へ出て、老人世帯だけが残り、とうとうボクの両親が、この町の最長老になったという。が、とりあえず大きな病気もなく、ホッとさせる。既に力仕事ができなくなったオヤジに代わっての、大掃除と餅つきがボクの役割である。

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今回の帰省は大掃除や餅つきだけではなく、3年前にやっと終わった墓地の移転に次ぐ、ややこしい話しなのだ。

約40年前、山陰から朝来市へ引っ越す時に残したままの農地を、そろそろ処分するためである。まあ40年間放置したままなので、田や畑は荒れ果て、雑草や灌木で覆われ、殆ど資産価値のない土地である。しかし、それでも固定資産税を払い続けなければならない、いわば“お荷物”なのだ。

元々は800坪ほどあった。その内、100坪は既に人手に渡っていて、焼肉店が店を構えている。それはともかくとして、問題は、残る700坪の内の300坪である。

山陰から引っ越す時に、村の、ある友人を仲介にして、温泉町の旅館のオーナーに売っていたことが、今回分かった。ところが、代金は受け取ったものの、売買契約はおろか名義変更の手続きが終わらない内に、オーナーは他界、更に仲介に入った村の友人も、その数年後に病死した。

しかし、それより問題をややこしくしたのは、旅館が不景気の最中に倒産し、店を閉じたことであった。後を継ぐ筈だった息子は、土地を買ったことを親から聞いておらず、温泉町を離れ、他県へ移住してしまった。

オヤジは、売った時の領収書をオーナーに渡したというが、聞けば、息子の返答も要領を得ず、領収書の存在すら掴めていない。35年前のことである。つまり、仲介人も当のオーナーも亡く、売買の顛末を知る人もなく、売買契約もされないまま、固定資産税をずっと払い続けている。

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河原にあった富有柿

個人の不動産売買の時候は、既に成立している。というより、元々売買契約がされていないので、法律上ではオーナーに渡っていないのと同様で、この土地をオヤジがどう処分しようが、罪に問われることは決してない。

しかし、律儀な親父は人道に反することはしたくないと思ったのかも知れないし、正直この手の手続きは面倒だ。特に年寄りにとっては。だから何十年も放っておいたのだろう。
まだある。
敷地内には焼肉店の駐車場として貸している、50坪ほど区画がある。が、そこの店主は実にケチで狡いときている。年寄りで人のいいオヤジの足下を見て、使用料を振り込まなかったりと、どうやら“ある時払い”を決め込んでいるらしい。

ここまでくると確かに面倒臭い。いっそずっと放っておこうかと、真剣に考えたくらいだ。ところが、仮にオヤジがオフクロより先に逝ってしまったとしたら、余計に面倒なことが分かった。

オヤジの預金口座の解約と、振込をオフクロの口座に変更する手続きである。亡くなった人の口座の解約を、オフクロがすれば比較的簡単であるが、現住所の違うボクが替わりにするとなれば、本籍まで遡って戸籍謄本を取らなければならない。

つまりだ、親子である証明を、口座解約時にする必要があるのだ。

数年前、村の知人から土地を譲って欲しいとの話しがあった。今思えば、その時すべて譲っておけば、面倒にならなくて済んだものを、例の旅館の亡きオーナーに義理立てして、先延ばしにしたものだ。

本当にややこしい“お荷物”である。
面倒この上ないけど、もしオヤジが亡くなったとしたら、それこそもっともっとややこしいことになる。やれやれだ。


番外編(交通事故に遇った鹿の角)
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久々の奈良散策

2013.12.02 (Mon)

久しぶりに奈良を散策。
たぶん、2年振りだったかと思う。

とにかく、暑かった。
奈良は寒いと印象が強かったので
ダウンを着込んで行ったのが大間違いだった。

あれだけ韓国・中国のイナゴ軍団でやかましかったのが
今回、行ってみると、東南アジア方面の
礼儀正しい人たちが増えたことが印象に残った。
(過去に、バス待ちの時に中国人にツバをかけられたことがあった)

それはさておき、
ギリギリ最後の紅葉を楽しんだ。
万歩計があれば、おそらく1万歩は軽くカウントしたと思う。

今回、お気に入りの5枚をご覧あれ!

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キワーノ食べた

2013.11.09 (Sat)

DAIKさんから頂いたキワーノを、初めて食べました。

いつか食べた記憶のある味、のような気がするが、

思い出せない。キワーノでないことは確かだけど・・・

このまま食べると、決して美味しいものではない。

(DAIKさん、ごめん)

見た目もイカツイし、刺がごつい。

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大きさは、写真のものが20cm弱。アボカド2つ分くらいかな?

こいつを縦に切ります。

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グリーンのゼリー状のトロトロの中に種がビッシリ。

臭いは・・・、若干の酸味と青臭さがミックス。

この種とゼリー状の部分を全部掻き出します。

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こんな感じで、

で、掻き出したゼリーがこれ。

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種は、いちいち取ってられませんので、まとめて食べます。

あと、このままだと、やっぱり青っぽさが気になるので、

ハチミツなどを混ぜます。

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ちょっとキーウイに似てるかなぁ。

雨のち晴れ

2013.11.04 (Mon)

たま〜に行く喫茶店。
古いテナントビルの1階である。
いつもはこんな早い時間(朝8時)に行くことはないのだけれど、
今朝は何となく目覚めが良かったのでブラブラと。
ホットコーヒーとモーニングを小腹に入れる。

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(イタリアンパセリ)

向田邦子の古い作品「眠り人形」を捲っていると
何やら催してきた。
喫茶店にトイレはない。

トイレはビルのエレベータの奥にあるという。
店の裏の扉の前にエレベーターがあって、その右手に
暗い通路がある。
足早に駆け込むが、休日とあって入口は真っ暗。

目を凝らしてノブを引くが、中も真っ暗。
しかもスイッチらしきものは見当たらない。
中に入って探そうと思ったら、灯りがついた。
センサー感知式のトイレだった。

便器に座って(朝からごめん)暫くすると、灯りが消えた。
すわっ、停電か?
困った。真っ暗でペーパーの位置も何も見えない。
昼間でも電灯を点けることに慣れてしまった文明生活の弊害か。

暫くじっとしていると、次第に薄ぼんやりと辺りが見えてくる。
用を足し終わってペーパーに手をやると、再び灯りが点灯。
なるほど、動くものにセンサーが反応するのかと。

さっぱりして店に戻る。
俺一人だった店には、既に3人の客がいた。
学生らしきひとりと、40歳代のサラリーマン風の男、
それに60歳代の男であった。
3人ともモーニングを食べている。

隣りに座っていた60歳代の男は、スポーツ紙を広げている。
昨日の雨降りに打って変わって、斑ではあるが薄日が射している。
大阪の繁華な町から少し外れたところ。
休日であることも手伝って、不気味なほどに静かである。

「ちょっと待て!」
と、「眠り人形」に目を落としていると、隣りのオヤジが
突然立ち上がった。
オヤジは店を飛び出し、グリーンの制服を着た2人ともめている。
迷惑駐車の監視員が手にしたカメラを、車のナンバーに向ける。

声は殆ど聞こえないが、状況はすぐに分かった。
オヤジは監視員を追い払い、トランクを開けたまま店に戻ってきた。
「油断も隙もあったものじゃない!」と、意味不明な怒りをあらわにしていた。
(違法駐車してるのはあんたやろ!)

オヤジの言い分も分からないではない。
こんな閑静なところでコーヒー一杯飲むくらい「どないやねん」と
思っているのだろう。さすがに大阪である。

オヤジによると「こうしてトランクを開けとくのが一番いい」らしい。
もちろん目に見えるところに置いてであるが。
更に、「ナンバーを撮られたらおしまいやで」と言う。
要はナンバーを撮られたら、警察に登録されるから、
たった数秒の駐車でも罰金の対称になるのだと言う。

なるほど、勉強になった。
車の助手席に誰かを残すのも、ハザードランプを点けておくのも
知られているが、トランクを開けるとか台車や荷物で
ナンバーを隠しておくというのは初めて聞いた。

監視員に恨みがあるのか、その後暫く、言い訳がましくも、
違法駐車逃れの蘊蓄をたれていた。
このオヤジ、ジコチュー的どこかの国の人と同じやなと。
這々の体で店を出た。やれやれだ。

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(いまだに咲いているオーシャンブルー)



毒の嵐が・・・

2013.10.12 (Sat)

朝6時。

ベランダの外に不穏な気配が。

大陸から、猛毒PM2.5含む黄砂が大阪の空を覆っていた。

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気のせいか石油系の臭いがする。

うんざりして窓を閉めようと、ふと見るとアサガオが

美しく咲いていた。

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ところで、眠たい。

昨夜セルビア戦を観て、あまりにも一方的な試合に

ついつい苛ついてしまい、殆ど寝ていなかったのだ。

コンフェデ杯の時とまったく進歩していない。

なんでこんなに弱くなってしまったのか。



二日前に芽を出したフウセンカズラの鉢を室内へ。

昨日の夏日和で一気に伸びていた。

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この季節から大陸よりの偏西風かやってくるようになる。

やれやれ、困ったものだ。

九州も暑かった

2013.08.15 (Thu)

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昨年亡くなった義母の初盆で九州へ。

大阪よりは幾分マシではあったが、九州もまた暑かった。

ヨメの実家から海が見える。チャリで15分の所だ。

今年こそ釣り三昧と決め込んで行ったけど、とんでもない。

そんなヒマはまったくなかっった。(その理由はいつかまた)

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せっかくの九州だからと、時間を作って海へ。

砂浜を裸足で歩くと火傷しそうなくらい暑い。

暑くてクーラーのある室内で高校野球を見てるのか、

海水浴場で有名なこの浜でも、人は疎らだった。

海も景色も空も、すごくきれいだけど、

砂浜には韓国や中国からの漂流物が打ち上げられている。

定期的に掃除はすると言うが、毎日のことだからきりがない。

話しによると、罵詈雑言を記したゴミが流れ着くのだと言う。

悪意に満ちた隣人の、計算づくの所行なのだ。

だけど、やっぱり海は素晴らしくきれいだ。

隣人には永遠に、この気持ちなど分かろうはずがない。

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義父ひとり住まいの、大きな家の片付けから初盆の準備と後始末。

これが帰省期間の総てだった。

もっともこの暑さでは釣りどころではなかっただろうが。



で、灼熱地獄の大阪に戻ってきた。

いきなり、摂氏38.9度。

焼けた鍋底という表現がピッタリだ。


ある程度と言うか、殆ど諦めていたが、

ベランダの住人が瀕死の状態であった。

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これは我が家の食卓を潤してくれたキュウリだが、

たぶん復活は無理だろう。

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2種類のアサガオもご覧の通り。

他にもサツマイモ、トマト、シシトウなど、ほぼこの状態だ。

今年の初盆は大事だったから、やむを得ない。

だけど・・・

暑いのは大好きだけど、厚過ぎるな。

高山彦九郎?

2013.06.01 (Sat)

京都での仕事の時に、よく待ち合わせ場所にしている

京阪三条の「高山彦九郎像」。

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散々行っているのに、高山彦九郎なる人物が何者か

全く分かっていなかった。(眼中にもなかったが)

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今日はたまたま、「インカ帝国展」を観に行くのが目的だったけど、

ちょっと気になって立ち寄り。

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石碑には、「高山彦九郎先生皇居望拝之趾」とある。

確かに、どこかへ向かって這いつくばっている姿だ。

解説には出身地と京への上洛時に、御所へ向かって拝礼した

その姿を、そのまま銅像にしたらしい。

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何となくこれだけ見れば、上洛する時に御所へ向かって拝礼した姿が

いたく天皇に気に入られ、その後、勤王の志士たちの手本になった、

としか見えない。



しかし、それ以上の情報は一切なく、

仕方なくネットで調べることにした。

(転記)
上野国新田郡細谷村(現群馬県)の郷士高山良左衛門正教の二男として生まる。13歳の時に「太平記」を読んだことをきっかけに勤皇の志を持ち、18歳の時に遺書を残して家を出て、各地を遊歴して勤皇論を説く。前野良沢・大槻玄沢・林子平・藤田幽谷・上杉鷹山・広瀬淡窓・蒲池崑山など多くの人々と交友。京では岩倉具選宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことにより光格天皇にも拝謁した。
尊号一件と呼ばれる事件に遭遇し、公家中山愛親の知遇を得た事が老中の松平定信など幕府の警戒を呼ぶ。1791年には九州各地を旅した後に薩摩藩を頼ろうとするが退けられ、一時は豊後国日田において捕縛される。その後も幕府の監視を受け、1793年、筑後国久留米の友人森嘉膳宅で自刃する。享年46。多年にわたる日記を残しており、吉田松陰はじめ、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人物である。また、二宮尊徳や楠木正成と並んで戦前の修身教育で取り上げられた人物である。

なるほど・・・・・




ベランダの住人

2013.05.16 (Thu)

先週の休みに撮影していて忘れていました。

去年一度死んだ筈のウドが、暖かくなったせいか

このところ一気に大きくなりました。

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問題は暑い夏をどう乗り切るか、です。

急成長といえば、このトマトもそうです。

花の咲いてるのはミニトマト。他に2種類ほどあります。

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これは山椒。一旦触ると、なかなか臭いがとれません。

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実家から持ち帰ったミョウガとキクイモ。

キクイモは無事に根着いたんですが、ミョウガはだめでした。

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リンゴです。実りはまだ数年先。

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八朔はいずれまた、アゲハチョウのエサになります。

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実は、今年3度目のサニーレタスです。

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寒い日でも、以外に強いです。


まだ続く、春。

2013.05.07 (Tue)

熊に出会うかも知れないと、村の人に言われたけど

気配ひとつなかった。そのかわり、

山歩き寸前、イノシシの足跡を見付けました。

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ここではイノシシの他に鹿、サル、熊、キツネなど

動物園並みの自然界らしい。

野に出れば、また別の意味で春を見付けました。

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たくさんの小さな生き物が、これからどんどん増えていきます。

我が家もうっかりすると、そんな自然界に飲み込まれます。

にわ.jpg

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シキビの花を初めて見ました。

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そして、去年の夏に植えたサクランボの木が

早速、実をつけたようです。サルに狙われるかも知れません。

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これはロウバイの種ですかね。初めて見ますが。

ちなみに、正月のロウバイです。

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楽園・我が故郷。

2013.05.06 (Mon)

何もすることがない我がふるさとですが、

これだけはふんだんにあります。

今日はその一部をご覧ください。

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徒歩5分でこれだけの、野山の花たちがあるのです。

そして、ガキの頃によく道草をしながら食べたスイバやイタドリ。

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それから野いちごの群生がすぐ近くにありました。

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5月だというのに、今年はどうもおかしい。

日中は暖かいのに、朝夕は寒い。

でも、朝霧の出る風景は痺れるほどに美しいものだ。

hinode.jpg

驚いたことに、なんと八重桜が満開でした。

sakura.jpg

つづきは明日。


桜三昧

2013.03.31 (Sun)

ついこの間まで寒い寒いと言ってたのに、

あっという間に春になって、桜も、もう散りかけています。

先週24日に行った大阪城公園は、

その日はまだ、全体的に2部咲きというところでした。

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oosaka-2.jpg

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それでも天気は、すこぶる良くて、汗が出るほどでした。

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これは桜と違って、アーモンドの花です。

花が大きくて、ツルッとしています。

ぼけ.jpg
白ボケ.jpg

紅白のボケです。もう殆ど終わりかけていました。

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レイチャールズくんも、特別参加でした。





さて、昨日(3月30日)も、とてもよく晴れたので、

いつもよりは少し足を延ばし、我が家の土佐稲荷神社を皮切りに

靭公園〜南天満公園から造幣局の川沿いを散歩しました。

桜は当然、どこも満開です。

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tosa-1.jpg

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これは、靭公園の雪柳。

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ここは南天満公園の端。

ここから堂島川を東へ、それから造幣局沿いを北上します。

約1.5km(まだ先があります)、この調子で桜並木が続きます。

tenma-2.jpg

実は先週、大阪城で見たレイチャールズくんが

偶然にも土曜日に、この南天満公園でもあいました。




インフル全快!

2013.01.29 (Tue)

無事にインフル全快しました。

色々励ましの声やメッセージ、ありがとうございました。

先週の23日、京都で大きなイベントがあり、

仰山のお客さんの中で、ちょっとヤバい気がすると

思っていたら、案の定ダウンしました。

でも、4日ほど家を出なかったので、十分に休養できました。

まあ、ちょっとはしんどかったけどね。

ヒマやからベランダを見ていたら、飛行船が・・・

hokosen1.jpg

ビルに当たる〜〜〜〜〜!

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今度は、予防接種しよ!




down ↓

2013.01.26 (Sat)

生まれて初めてのインフルエンザでっせ。

でも昔、この感覚あったようななかったような。

何にしても、風邪とかで長期休んだことがないので

勝手が違うなぁ。

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病院では少なくとも5日間は外出しない方が良い、

と言われたけど、万全ではないけど70%くらいかな?

まぁ、下手に出て周りに迷惑かけると思えば

我慢しないとね。

余談だけど、このインフルの薬、A型もB型も同じだそうだ。

????? 分からん?

生野の変

2013.01.12 (Sat)

実家に帰ると必ず寄るところがある。
町の一番南のある「山口護国神社」だ。
殆ど誰も寄ることのない、寂しい神社だけど、
いつもきれいに手入れがしてある。

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この神社は、この町の大戦の戦死者が祀られているので知られているが、
以前にも投稿したように「殉節忠子の墓」があることでも知られている。

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「殉節忠子」とは、幕末に攘夷派志士として戦った人たちのこと。
「生野義挙志士殉難」の地が、生野「山口」である。
幕末の文久3年(1863年)10月に但馬国生野において
尊皇攘夷派が挙兵した事件で、生野の乱、生野義挙とも言う。

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「生野の変」で敗れ、自刃した長州の南八郎ら、
幕末志士を祀るとともに、明治維新から昭和にいたるまでの
地元戦没者を祀っている。
石碑の揮毫は、山陰道鎮撫総督であった西園寺公望の書。
南八郎らが自刃した旧朝来町山口の妙見山の山麓。

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石碑には「議論より実を行え なまけ武士、国の大事をよそに見る馬鹿」とある。

「南八郎」の石碑の向い側に「平野国臣」の碑がる。
平野は福岡藩士、大蔵氏の流れをくむ。
攘夷派志士として奔走し、西郷隆盛ら薩摩藩士や真木和泉、
清河八郎ら志士と親交をもち、討幕論を広めた。

文久2年(1862年)、島津久光の上洛にあわせて挙兵をはかるが
寺田屋事件で失敗し投獄される。

出獄後の文久3年(1863年)に三条実美ら攘夷派公卿や真木和泉と
大和行幸を画策するが八月十八日の政変で挫折。
大和国での天誅組の挙兵に呼応する形で但馬国生野で
挙兵するがまたも失敗に終わり捕えられた。

身柄は京都所司代が管理する六角獄舎に預けられていたが、
禁門の変の際に生じた火災を口実に殺害された。

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幕末から明治にかけて、この地でもまた多くの血が流れた。

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長年の風雨に晒されて、判読不可能なものが多いが、
京都を中心とした歴史の畝りの先端が垣間見える気がする。



<参考>
文久3年(1863年)8月、吉村寅太郎、松本奎堂、藤本鉄石ら尊攘派浪士の天誅組は孝明天皇の大和行幸の魁たらんと欲し、前侍従中山忠光を擁して大和国へ入り、8月17日に五条代官所を襲撃して挙兵した。代官所を占拠した天誅組は「御政府」を称して、五条天領を天朝直轄地と定めた(天誅組の変)。
天誅組の過激な行動を危惧した公卿三条実美は暴発を制止するべく、学習院出仕の平野国臣(福岡脱藩)を五条へ送った。
その直後の8月18日、政局は一変する。会津藩と薩摩藩が結んで孝明天皇を動かし、大和行幸の延期と長州藩の御門警護を解任してしまう(八月十八日の政変)。情勢が不利になった長州藩は京都を退去し、三条実美ら攘夷派公卿7人も追放された(七卿落ち)。
そのころ三田尻の招賢閣に、筑前の平野国臣と但馬の北垣晋太郎(但馬の青谿書院出身)が逗留し、但馬義兵を呼びかけていた。長州藩は自重したが、河上弥市(南八郎)は奇兵隊第2代総監の職を投げ打ち、隊士13人を引き連れて但馬へ向った(長州藩内の内紛である教法寺事件の責任のため、奇兵隊初代総監の高杉晋作は謹慎中であった。同じ大組士の家に生まれた河上は高杉の幼少のことからの親友であった)。
変事を知らない平野は19日に五条に到着して、天誅組首脳と会って意気投合するが、その直後に京で政局が一変してしまったことを知る。平野は巻き返しを図るべく大和国を去った。
天誅組は十津川郷士を募兵して1000人余の兵力になるが、装備は貧弱なものだった。高取城攻略を図るが失敗し、9月に入って周辺諸藩からの討伐を受け、多勢に無勢で各地で敗退し、9月27日に壊滅した。
七卿の一人、公卿沢宣嘉を主将する一行は但馬に向かう途中で、京・四条木屋町の具足屋大高又次郎のところで武器調達をするため、京の旅籠花屋に宿泊していた但馬の進藤俊三郎(原六郎)らが、大和国から逃れてきた土佐の池内蔵太(後に海援隊士)に会い、天誅組大和破陣を話を聞き、京から進藤俊三郎が播州へいき、生野挙兵を目指す一行へ情報をもたらした。平野国臣と北垣晋太郎らは、一旦挙兵を自重し、再度の時期の到来を待つべきと主張したが、結局、河上弥市(南八郎)らの挙兵強硬派の主張がまさり挙兵にいたる。







忙しいお正月

2013.01.03 (Thu)

昨年末、忘年会をパスして九州へ。
正月前には小生の実家へと、まあ忙しい年末年始でした。

何の実やったかなあ?この鮮やかな赤い実は。
これ、実家の裏庭にあるやつ。見事でしょう。

uraniwa.jpg

荷物を置くとすぐにオヤジの畑へ。
最近よくサルが出ると言っていた裏山の下の畑です。

帰りの途中、墓地へよった時に、近所のオバさんから、
「アンタんとこの畑、サルにやられて大変やった」だって。

hatake.jpg

見ると、殆ど片付いていたようでしたが、
大根、人参が全滅。白菜も2つしか残ってない。
ため息ついて空を見ると、まあPカンの空に飛行機雲。

p-kan.jpg

何だか幸運の兆しやろかと、良いように考えるのでした。

大体、サルのガキはこの裏山から、木の枝を伝って降りるとか。
「どうぞおいでください」と言わんばかりの木、木、木。

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裏山には野生化したユズの大木がある。
この街のアチコチにこういうユズの大木があるけど、実は採らないのかな?

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さてさて、今回帰省した目的のひとつは、
キクイモの収穫でした。
夏に帰った時は、3メートル超えの、殆ど木でしたが、
イモの方はどうなってるのやろ?と。

kikuimo1.jpg

スコップを入れると、出るわ出るわ、
畳1帖分ほどのスペースに、驚くほどの密度で。

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ものすご強い植物です。
周りの雑草を飲み込んでしまうくらい迫力ある。
掘っても掘ってもキリがないので、
レジ袋2つ分にして、あとは勝手に生えとけ!と。


御堂筋のイルミネーション

2012.12.14 (Fri)

何となく夜が来るのが、年々早くなっているように思うのは

気のせいやろか?

5時になったら、もう暗くなる。

前、こんな早かったかな?と、つまらないことを考えている。

今日は6時に退社。外は完全に夜だ。真っ暗。

それに、寒い。

御堂筋で、突然混雑した。

何事か?と思ったら、今日からイルミネーションが点灯されるんやった。

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この写真、下手やなぁ。無惨や!

寒いし、人多いし、やかましいし、警備員の笛うるさいし。

さっさと歩けよ!って

チャリ乗って、ひとりで寂しいってか?

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芸術的やろ!




偶然やな。

山で迷子。

2012.11.02 (Fri)

先日上った愛宕山(明智越)の途中どこで迷ったか。

親切な地図と思って頼っていると、
とんでもないことになるかも知れないよ。

まぁ、小さな山だから、そう滅多なことはないと思うが、
慣れてないおばさん二人連れだと、何かと心配だ。
誰かがケガをすると洒落にならないからね。

中年真っただ中のオレと、オレのヨメちゃんと、
その友だち(♀)の3人。
と、入山口の手前で女性の親子連れ二人が、つかず離れずで。

仮にグループとすれば、(♂1人)、(♀4人)である。
それも素人ばかり。

tizu2.jpg

ネットで調べた地図では、B地点がひとつのポイント。
つまり、三叉路になっているというのが目印だ。
ところが、A地点でも三叉路になっていて、
そこに、例のややこしい道標があったわけだ。

だから、つい素直に丸太橋の方と思い、右に折れた。

maigo.jpg

A地点を右へ折れると暫くは、わりと平坦な道がつづく。
が、その先にはとんでもない世界が広がっていた。
前回書いたように、度重なる倒木箇所と、崖崩れ&モロ崖。
おまけに行き止まり。

ところが、一緒に迷ってくれた親子連れの娘さん
(たぶん20歳代)が、GPS機能搭載スマホで調べた。
見ると、マーカーが完全に外れていた。

というわけで、GPS機能搭載スマホはすごい!と
あらためて感じた次第です。はい。




明智越え

2012.10.28 (Sun)

明智越えって知ってました?
実のところボクも「明智越え」言うの、
友人から初めて聞いて知ったんです。

前々から「愛宕山」には上ってみたかったので、友人に聞くと
そこには既に「明智越え」ハイキングコースがあると教えてくれました。
というのは、例の明智光秀はんが本能寺を襲撃した時、
この愛宕山で何を思ったのか、そういう思いに浸ってみたいと。

しかし、何も感じなかったなぁ。
というか、そう考える以前に同行者の介護に負われて
ゆとりが全くなかったというわけ。

ともかくどんな所か、かいつまんで紹介しましょう。

出発地点はJR亀岡駅です。
駅の北側は霞がかった田園地帯が広がって、保津川が流れています。

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保津川下りはここが発着点です。

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田舎の古い町家を暫く歩くと、いきなり

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「明智越えハイキングコース」の道標が、雑木林を指していました。
田舎とはいえ、アスファルト道から、雑木をかき分けての入山なのです。

ケモノ道のようなそこを約2時間ほど上ったところに
ややこしい道標がありました。

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この道標のお陰で、ほぼ1時間ロスしてしまいました。
微妙な道が三叉路に分かれていて、→に近い方の道を
素直に選んだのが、そもそもの間違いでした。
(これは後続の集団も間違えたのです)

素直な我々をあざ笑うかのように、

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こんな倒木が道を塞いでいたり、
更にその奥の三叉路のどれもが、途中で行き止まりか、崖か、
道はあれども人の歩いた気配さえない始末。

おまけに

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こんな、「奈落の底」を見たり、同行者はギャーギャー騒いだり。

ともかく間違いの発端である三叉路まで引き返し、
再び粘土層に砂岩が入り交じった、V字型の斜面をひたすら上る。
「こんなところを、はんまに明智はん、上ったんやろか?」
「少なくとも、馬は歩かんやろ」と、独り言。

しかし、30分の格闘の後、急になだらかな道に出ました。

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どうやらここが折り返し地点らしい。
案内マップには「広場」という文字が、何箇所かあったが、
茶店どころか、ベンチひとつない。

「ハイキングコースなどと誤解させるような・・・」と、
同行者は、ワイワイブツブツと吠える。

その「広場」とやらの丸太木に腰を下ろして、昼飯をとった。

折り返しであれば、前半味わった斜面の下りがあるというもの。
同行者は「下り」の意味を理解してなかった。

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過去に、走って上った「比良山」に比べ、
平坦ではないけど、やはり「初心者コース」ではある。
が、膝が笑っている。
こんな溝でもビビってしまっている。

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こんな看板に「ギョエーッ!」とか騒いだり、

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なんだかんだ言いながら最後の杉林を潜って、
丸太橋へ到着しました。

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この丸太の橋を渡るのさえ、腰が引けている。やれやれ。

ココから先、保津峡駅まではアスファルト道約2キロ。
笑った膝でも40分くらいだったか。

いやーっ、オモロかった。
こんな楽しいハイキングやったら、どこでも行ったる。


でも、さすがに本能寺までは歩く時間はなかったので、
帰りに嵯峨野へ立ち寄って、竹林を散策。

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想像はしていたけど、人、多かったなぁ。
最後に、嵐山の駅前で売ってたコロッケ、美味しかったわー!

えらいこっちゃ!

2012.10.20 (Sat)

道には色んなもんが落ちている。
いつだったか、随分前には500円を拾ってしまった。
面倒だから届けてはいないけど。

今日はねじ釘だ。
ねじ釘など、わざわざ拾うわけがない。
自転車のタイヤで踏んでしまったのである。

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いやはや、とんだ出費である。
もともと相当疲労していたタイヤだったので、
修理屋のオヤジは「このタイヤ、もうあかんで!」だって。

いずれは替えるつもりだったので
伸びたチェーンの調整分を値切ってOKしてもらった。

修理屋で抜いたねじ釘は、記念?に持って帰った。
それにしても、何でこんなもん、道に落とすねん。

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産創館の前当たり、だから東警察の前でもある。

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ことのついでに言うけど、
この前の、と言うことは本町通りになるのだが、
この通りは、ほんまに滅茶苦茶やで。

まず、歩行者。この歩行者いうのが一番えげつない。
信号など、絶対待たない。斜めに横断する。
信号でもないのに平気で横断する。
基本的に、5割はケイタイ操作しながら歩く。

まるで中国みたいや。
そやから、立場的には車の方が気を遣っている。

次に「迷惑駐車」だ。
この通りが一番多い。目の前に警察があるっていうのに、平気や。
迷惑駐車の横をチャリで走るのが、これも一番恐い。

と言うのは、チャリの逆走である。
四ツ橋筋の交差点から松屋町の間を走るだけで、
一日平均、20人以上の逆走チャリに出会う。

こいつらが、迷惑駐車の前から突然現れる。
「危ない!」と睨んでも、視線を合わせない。

逆走チャリの特徴は、オバさん寄せをすることだ。
つまり、車両は必ず左回避が約束事なのだが、
そういうやつに限り、右にハンドルを切る。

オレが間違っとるんやろか?

くいだおれ太郎

2012.10.14 (Sun)

道頓堀界隈はちょくちょく行く。
そやけど、暫く「くいだおれ太郎」を拝んでへんかった。
今日は久しぶりに太郎くんを、じっくり拝んだ。

実はこの店の創業者とは、親戚筋に当たる。
創業者は「山田六郎氏」。
オレの爺さんの従兄弟に当たる。

そう言えば幼稚園の頃、爺さんに連れられて
この店に入ったことを憶えとった。
山田六郎氏とオレの爺さんは、瓜二つやった。

まあ、それはそうと「くいだおれ太郎」くんは健在や。
昔より若干小ぎれいになったいたが、相変わらず人気もんやなぁ。

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知らんかったけど、その「くいだおれビル」の隣りに
おもろい店「いちびり庵」いうのがでけとったで。
表には、大阪はベタベタの看板や。

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その門を潜るてーとや、これもベタベタ大阪のお土産もんが
ビッシリ並んどるがな。
そん前に、太郎くんの暖簾を潜らなあかんけど。

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ほんで、いきなり太郎くんグッズが仰山おますんや。

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太郎くんグッズばっかりやあらへんで。
食いもんや、何やかや、色んなもんがある。
百聞は一見にしかずやで。

店の奥にもオモロいもんがある。
基本的にはトイレへの通路やったり、裏口へも出れる。
けど、その通路の壁や天井には
懐かしい道頓堀界隈の生活感ある写真が飾られとる。

itibiri2.jpg

itibiri3.jpg

この写真では、よう分からんけど、
実際に「ブツ」を見たら、オモロいで〜〜〜〜!


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